海の道の始まり

本日最初のお参りは、お宿から「8秒8歩」の22番平等寺。今日は「焼八千枚供の荒行」の結願日とのことで、境内は華やかに彩られ法要が行われていた。平等寺から23番薬王寺に行くルートはいくつかあるが、峠道を歩けて景色も良い旧土佐街道・貝谷峠経由を選択した。峠の少し先にある展望所には、絶景を望む天空のブランコが!遍路道から見る初めての海は青く淡く、遠い昔この海を見ながら行き交った人々の心情はどんなものだったろうと思いを馳せる。峠から下りると「田井ノ浜」。霊山寺から始まった巡礼の道は、三つのへんろ転がしを越え、ついに海沿いに出た。ここは太平洋。室戸岬・足摺岬を越えて宿毛まで、約420kmに及ぶ長い長い海岸沿いの旅の始まりだ。
| 日付 | 2025.04.19(土) |
| 天候 | 晴れ(14℃〜24℃) |
| 行程 | 22番平等寺〜23番薬王寺(42,634歩/24.2km/↑668m ↓712m/9h05m) |
| 06:30 朝食 07:30「山茶花」出発 07:30-08:20 22番平等寺(滞在50分) → 23番まで 21.0km 11:30 貝谷峠(標高181m)、展望所 14:40 恵比須洞 15:30-16:20 23番薬王寺(滞在50分)→ 24番まで 75.4km 16:35「壱 The Hostel」チェックイン 18:10 薬王寺温泉 19:45「ひわさ屋」で夕食 | |
| お宿 | 壱 The Hostel【 ドミトリー食事なし ¥3,800/15人/15:00〜 】 (4/15 24:58 HPから予約) |
| 費用 | 食 費 ¥ 2,056(ジュース¥256、夕食¥1,800) 衛生品 ¥ 880(ちふれ保湿液) 納経料 ¥ 500✕2寺 温泉代 ¥ 650 洗濯代 ¥ 300(洗濯¥200、乾燥¥100) 宿泊費 ¥ 3,800 合 計 ¥ 8,686 |
【22番平等寺〜23番薬王寺への遍路道】
・大きく分けて3通り。山ルートと海ルートは、平等寺から約7.4km地点、旧福井南小学校の手前で分岐。
① 山ルート(旧国道55号線)…薬王寺まで19.7km。旧旧道(星越峠)は消滅のため、旧国道を歩く。
② 海ルート(貝谷峠)…薬王寺まで21.0km。峠道が歩け、海が見える展望所(天空のブランコ)もあるのでおすすめ(貝谷峠を過ぎて200mくらいのところに「展望所(30m)」と案内されている)。
③ 海ルート(由岐坂峠)…薬王寺まで22.4km。貝谷峠ルートが復活するまでは海ルートといえばこれだったらしい。県道25号線を歩く。
【美波町のへんろ看板について(貝谷峠/由岐坂峠〜)】
・美波町のへんろ看板に書かれている薬王寺までの距離は、すべて舗装路(県道25号線)を歩いた場合の長さだと思われる。峠の標識から急に距離が増えて驚くが、「俳句の径」「山座峠」で歩き道を選択する場合は看板の距離から3.5kmくらい(時間にして約1時間分)を引いた距離が妥当。(例:貝谷峠で「薬王寺15.5km」とあるのは12kmに読み替える。)
【第22番札所・平等寺(びょうどうじ)】本尊:薬師如来
5:20、起床。起きたらまずは天気のチェックだ。今日は快晴!!しかし、気になっていることがある。4日後の23日、昨日お宿がとれた室戸岬の天気は1日中盛大に雨。自分は暴風雨でない限りは雨でも歩く派だが(雨の日はお休みにするという人もいる)、靴が濡れないに越したことはないので、焼山寺の時のようにうまく夜中にズレてくれないかなあ、などと折に触れては天気予報を開いてしまう。
朝のルーティンも定まってきたので出発の準備はすぐにでき、朝食までの時間を利用して昨日の記録をスマホのメモにつけた(たまに疲れて白紙になっている日もあるが、このメモと膨大な写真、そしてGoogleストリートビューをもとに記憶を引っ張り起こして、このブログを書いている)。同時にヤマさんとお遍路通信。1日分先に進んでいるヤマさんは、今日の朝イチで薬王寺をお参りし、歩けるところまで歩いて、予定通りいったん区切るとのことだった。これで徳島で知り合った区切りのお遍路さんは皆帰ってしまうことになり、ちょっと寂しい。
6:30、朝食。またもお宿の心尽くしで、お昼のおにぎりをお接待してくださった。このあと高知のお宿でもお昼におにぎりを持たせてくれるところが多かったのだが、要するにその日歩く道中に食堂どころか商店もないのである。お宿の方はそのことを分かっているので、歩き遍路たちがエネルギー不足に陥らないように配慮してくれているのだ。つくづく頭の下がる思いである。常設のお接待コーナーから水のペットボトルも1本いただいて、今日の装備が整った。
7:30、お宿を出発した。本日最初のお参りは、お宿から「8秒8歩」の22番平等寺である。山門の前まで来てみると、昨日の夕方に前を通った時にはなかった看板が階段の登り口に立てられていた。曰く、「真言宗最大の荒行・焼八千枚供/8時〜17時の間どなたも即時無料でご祈祷/お一人3分以内に終わります」。
「焼八千枚供」とは真言宗に古くから伝わる祈りの儀式で、この秘法を通じて仏さまにお願いした願いごとは全て成就すると言われているそうだ。修行者は3週間かけて徐々に食事を減らしながら護摩祈祷を重ね、心身を清めていく。そして迎える最終日、集大成の「結願の座」では、八千枚の護摩木を願文を読み上げながら不動明王の炎に投じていき、人々のために祈り続ける。断食断水で一昼夜、時には10時間近くに及ぶという、まさに荒行だ。そしてその結願日、それがなんと今日だというのである。
境内に上がってまず目に飛び込んでくるのは、山門から本堂に向かって長く伸びる五色の帯だ。ご本尊の手と繋がっているというその帯に添うように「焼八千枚供」の真っ赤な幟が何本もはためいており、境内はとても華やかな雰囲気だった。御手水にも鮮やかな花が飾られていて清涼感がある。法要が始まるまでにお参りを済ませようと鐘を撞きに行くと、鐘撞堂の足元にはたくさんの小さな仏さま。なにこれかわいい!
平等寺は平地のお寺だが周囲からはひとつ小高くなっていて、本堂から山門の方を見下ろすと遠くまでスパーンと視界が開けていて爽快だった。雲ひとつない快晴のもと、明るく開けた境内は晴れやかで清々しい空気に満ちている。春の風が本堂に向かって心地よく吹き上げてきて、運気も上がりそうだ。今日一日への期待感、高揚感が身体の奥から湧いてくる、こんな感覚はいつ以来のことだろうか。
本堂は広く開け放たれていて、ご本尊のお顔をよく見ることができた。8時からの法要に合わせてか、お坊さんたちが階段を登ってきて堂内へと入っていく。本職の方がおられると少しどぎまぎしてしまい、ちょっと小声でお参りをした。
大師堂にお参りするには一度下まで下りなければならないのだが、下り階段は本堂の左手から別に伸びていて、その一段一段に小銭が撒かれていた。なにかお参りの作法があるのだろうか?大師堂まで下りてくると、先ほど(営業時間前)はまだ閉まっていたお堂の戸が開けられていて、こちらも全面開放である。こんなにガッツリ堂内と大師像が見られていいのかしら。至るところでオープンな平等寺は「開放的」という言葉がぴったりだった。
納経所で今日のことを聞いてみると、コロナのあと様子見を経てようやく本格的な法要とのことで、幟も久しぶりに寄進があって立てることができたとのことだった。そんなタイミングの、しかも結願日にお参りに来られて、お計らいというかご縁を感じる。法要が始まったらしく読経と楽の音が聞こえてきて、参拝者が続々と本堂への階段を登っていくのが見えた。自分ももう一度階段を登って本堂へ。なぜか遠慮してしまって堂内に入るところまではせず、法要の様子をみんなの背中ごしに伺うだけにしてしまったのだが、せっかくのご縁だったのでご祈祷を受けておいたらよかったかなあ。
平等寺はデジタルツールの活用に積極的なお寺で、本堂の24時間ライブ配信やオンライン祈祷などもされているようだ(法要の様子もライブで見られ、オンライン参加もできる)。四国八十八箇所霊場で初めて電子マネー賽銭を取り入れた札所でもある。「侘び寂び」「厳粛」「古風」といった印象が先に立つからか、今の時代においてはお寺や神社がHPで発信したりYouTubeやInstagramをやったりしていると「先進的だ」「前衛的だ」と思われがちだ。しかし、鎌倉仏教などの例にあるように、いち早く時代の流れを読み、むしろ自らそれまでのイメージをぶち破ることで人々の心を掴んできたこの柔軟性が日本の宗教のいいところだと思うので、実は割と本来の姿のような気もする。
平等寺でこういったオンライン参拝の手法が取り入れられたのはコロナ禍で参拝者が減ってしまったことがきっかけだそうだが、遠方であったり健康上の理由で来たくても来られないという人も好きな時間にご本尊にお参りできるので、けっこう人気を集めているようだ。平等寺は、「あらゆる人々の心と身体の病を平等に癒し去る」と誓いをたててこのお寺を創建したという空海の思いを体現したかのような、万人に開かれたお寺だった。
平等寺〜福井南小学校(海ルート・山ルートの分岐点)
8:20、平等寺を出発した。納経所が開いたら一番乗りで御朱印をいただいて次へ向かおうと思っていたが、いつも通り札所でフィーバーしすぎて、またもやゆっくり発進だ。行程表(スプレッドシートで管理している)を作る時は1札所40分の設定で所要時間を想定しているのだが、本当にコンパクトなお寺でしかこれでいけた試しがない(ちなみに歩く速さは「1kmあたり平地20分山道30分」で計算している)。一日で歩く距離は20km前後を目安にしているが、札所が多い時は参拝の時間を考慮しておかないと日が暮れてしまう。距離だけでは一日の計画を決められないのがスペイン巡礼とは異なる難しいところだ。
平等寺の山門を下り、住宅地に向けて歩き始めた途端にスポーツドリンクのお接待をいただいた。日本語達者な外国のお坊さん。例によってお礼の納め札を渡す間もなく、軽自動車は颯爽と去っていってしまった。四国の人々の神業のようなお接待スキルがすごい。いつもこうやって渡すものを準備してくれているんだろうな。今日は晴れなのは嬉しいが、道のりの多くは町中を歩くことになり、日陰がほとんどなさそうだ。気温も上がりそうなので、とてもありがたい。
しばらくは県道284号線を南下していく。春うららのお日さまの光は柔らかくて心地よい。その温かさを頬に感じながら、今なら光合成できそう、と思ったり。10分も歩くと民家は途切れがちになり、田んぼが広がってきた。徳島の田植えシーズンはほぼ終わったようで、まだ根の付ききっていなさそうな稲の赤ちゃんがひよひよと風にそよいでいる。秋の遍路道を歩いたら、黄金の波を見ることができるだろう。
途中で良さげなブロック塀の段差を見つけたので、そこに腰掛けておもむろにスマホを取り出し、お宿の予約をひとつ入れた(4/24 おうち宿しだお)。前のお宿から20km少しとちょうどいい距離にあるのだが、そのあたりではここ一軒しかお宿がないので、もし満室で取れなかったら予定を組み直さないとならない。平等寺を出発する前に「電話しておくかな…まあ、もう少しあとでいいかな?」と迷ったのだが、歩いているうちにだんだん不安になってきて、結局ここでかけてみることになった。空いていてよかったー!これでスッキリした気持ちで歩けるぞ。
心なしか足取りも軽くなって進んでいくと、道路脇に木の板にマジックで手書きされた説明看板が立っていた。その背後、ガードレールの向こうを覗くとふたつの岩が仲良く並んでいる。弘法大師が四国霊場を開くためにこの地を訪れた時、大岩が小岩に「日が暮れるぞう」と話しかけていたのを聞いて、このあたりの地名を「暮石」とし、ふたつの岩を「夫婦岩」と名付けたそうな。わざわざ弘法大師に絡めることもない気もするが、ほのぼのとしていてなんだかかわいい言い伝えだ。
夫婦岩の少し先に、立派な休憩所があった(へんろ小屋 No.58「月夜」)。2年ちょっと前にできた新しいへんろ小屋のようだ。「月夜」とは風流な地名だが、弘法大師がこの地で野宿するにあたり、月が沈んで暗くなってしまったのでお経を唱えて呼び戻し、明るい一夜を過ごすことができたという伝承に基づくものらしい。この小屋も、そのエピソードにちなんでまんまるの満月をイメージしたフォルムなのだそうだ。
「月夜橋」というこれまた風流な名前の橋を渡って歩くことしばし、「四国のみち」の矢印が直進を表していたのでぼーっと歩いていったら、カーブミラーの支柱に左折のマークがあった。うおっ、危ない。道路の右側を歩いていたら見落とすところだった。手前でどこかにへんろマークがあったっけ??このまま直進してもいずれ同じ道に合流はするのだが、そうすると県道から一筋左に入ったところにある平等寺の奥の院、「月夜御水大師」をスルーすることになってしまう。
危うくへんろマークの差す方向へと進路をとり、ほどなく「月夜御水大師」に着いた。時刻は9:10、平等寺を出てから50分といったところだ。入口には大きな杉の木がある。樹齢1000年と伝えられ、高さ約31m、幹周りは6m超。徳島県下でも数少ない大杉で、天然記念物に指定されているそうだ。全ての枝が一度下を向いてから上に伸びていることから、別名「逆杉」とも。
一帯は明るい光が差して、静かで心地がよかった。今は庵主のいないお堂といい、焼山寺道の柳水庵に少し雰囲気が似ている。かつては六地蔵の正面に大師堂があったらしいのだが、老朽化により残念ながら取り壊しになったようだ。さらに奥には「大師加持水」の井戸が(あるある)。現在この水は飲むことができないが、代わりにさっきお接待してもらった恵みの水のスポーツドリンクを飲んでひと息ついた。
「月夜御水大師」を出てしばらく細道を進むと、さっきの県道に戻ってきた。途中まで威勢の良かったアスファルト道はいつの間にかセンターラインがなくなり、次第に道幅も狭まってくる。ここから先は民家もない山越えの道となるようで、利用されている形跡は少なく、路面も苔むしてきていた。
タケノコを採っているおじちゃんがいて、ご挨拶。この時季の風物詩といえばタケノコ採りだが、竹山を所有している人にとったら毎年頭が痛いだろうな。そんなにたくさん食べられるものでもないけど、道にはみ出しそうなやつだけは絶対掘っておかないと…みたいな。(遍路道でもたまにど真ん中にタケノコが生えてきていてネタにもしているが、地元保存会の方々が適宜撥ねておいてくれることで道が保全されている。感謝。)
このあたりは不法投棄が多いのか、至るところで警告を発する看板が掲げられていた。こういう監視の目が行き届きにくいところに不逞の輩が多いのはどこでも同じようである。しばらく歩いていくと山の中に小船(漁船?)が数隻置かれており、始めは「こんなところに船が?どういう使われ方をしていたんだろう?」と思いながら通り過ぎたのだが、いやいや、まさにあれこそが不法投棄だろ!!と途中で気がついた。自分で使ったら自分でちゃんと処分しなさいよ、まったく…。
9:45、平等寺から約5km。福井川を越える「鉦打橋」を渡った。そして、その先に見えてきた青い交通標識に目が釘付けになる。む、室戸…!!ついに室戸岬への案内表示が出た!(徳島と室戸って、案内する幅が広すぎるようにも思うが。笑)そう、今日これからお参りする第23番札所・薬王寺は、「発心の道場」阿波の最後の札所なのである。いよいよ「修行の道場」土佐の風が吹いてきた。同時に、明日からはお遍路通信もしばらくお休み、本当のひとり歩きが待っている。そういう意味でも高知は修行になりそうだ。
看板の先のガードレールに独鈷杵マークの渋いおへんろ標識を発見した。このあともたまーに見かけたが、本当に気まぐれに出てくるレアキャラで、かといって市や県を限定するわけでもなく現れ、どういう基準で誰がマーキングしているのか謎の道しるべだ。歩き遍路をしながら印を付けていってる人がいるのかな?
続いてその先の擁壁に伝う白い花の群れを見つけて、道路の向こう側へフラフラ。こうやって思うがままにフラフラするために時間に余裕をみているのだ(笑)。何の花か調べてみたら、「アケビ(木通)」と出た。へー、アケビって実がなっているのを見たことはあるけど、こんなかわいい花だったんだ。初めて見た!(ちなみに植物の検索には普段から「Picture This」というアプリを使っている。)
へんろ札にしたがって脇道を上がると、お手製の鹿威しがカコーンといい音を立てていた。これまたお手製の水車がくるくる回って、カコーン。うまくできてるなあ、と5回ほどその様子を見守ってしまった。そのすぐ先にはいい感じに旧道の雰囲気がする竹林があり、今日最初の山道、待ってました!と意気揚々と突入したが、100mもなく3分で終わってしまい、不完全燃焼に終わる。車道のヘアピン部分をショートカットする道だったようだ。出口には英語でカフェの案内があった。この看板を見て来る人はどれくらいいるのだろう。
束の間の山道区間を出ると、ここからは国道55号線、センターラインくっきりの片側一車線道路である。道路を渡った先にお地蔵さまの祠と鉦打大師のお堂が並んでおり、その横でいったん荷物を下ろして小休憩をとった。ザックを下ろした瞬間の羽が生えたように身体が軽くなる感覚はすばらしい(そのあと背負う時は地面にめり込むのだが)。「山茶花」さんお接待の塩せんべいを1枚。
国道はそれなりに交通量があったが、一段高くなった太めの歩道があって歩く分には安心だ。しばらく行くと「 鉦打トンネル(全長301m)」が出てきた。そういえばトンネルは童学寺のとき以来だろうか?別格霊場を回らない人にとってはこれが最初のトンネルになるのかな。ちゃんとガードレールがしてあって、さすが国道だ。
トンネル内には「室戸まで96km」のキロポストがあった。約100km。遠いのか、近いのか…。いや、普通に遠いな。その日その日は当日歩く距離だけを考えているからそこまで思わないが、総距離で言われると「歩くとかマジか」と我ながら思ってしまう。ちなみに高知以降はこのタイプのキロポストがさんざん出てくるのだが、そういうつもりで思い起こすと徳島の遍路道は国道があまりなかった(というか、高知の海岸沿いがほとんど国道だったというか)。
鉦打トンネルを抜けると、休憩所(へんろ小屋 No.5「鉦打」)を挟んで、再び短いトンネルを通る(福井トンネル、全長175m)。こちらは歩道はあるもののガードレールがないので、新童学寺トンネルと同様「歩行者注意」を知らせる押しボタンがあった。トンネルを出てほどなく峠道に向かう県道(200号線)へ分岐の矢印があり、国道とはお別れになった。
10:30、平等寺から2時間強というキリのいい頃合いでトイレと休憩所の案内があった。小学校の一角を遍路用に貸し出してくれているようだ。私はトイレが遠く、実は歩いている間ほとんどトイレに行くことがない(誰かの参考になればと思い、道中で見かけた時はトイレがあったと書くようにしているが、自分が行くことは99%ない)。しかし、今日は水を飲みすぎたのか、行っておいた方がいい気がする。しばし遍路道を離れて案内のある方に進んだ。
入口の坂を上りきると、正面のネームプレートが目に入る。阿南市立、福井南小学校。すぐそばには立派な休憩小屋も建てられていた。花壇には色とりどりの花が植えられており廃れた雰囲気は感じなかったので、「今日は土曜日だから子どもがいないのかな」と始めは思っていたのだが、残念ながらやはり休校中だったようだ。平成11年(1999年)休校当時、全校生徒数7名。一昨日の坂本小学校、昨日の大井小学校に続く、子どもの声のしない校舎である。これが日本の地方都市の現実だ。切ない…。
案内に従って校舎の間の渡り廊下を伝っていくと(懐かしい感じの造り)、きれいに掃除されたトイレがあった。3つあるドアのうち、ひとつはなんとシャワーブースになっている。野宿派のお遍路さんは助かるだろう。ポストに僅かながらだが協力金を入れて、ありがたく使わせてもらった。
帰りに休憩小屋のほうも覗いてみた。入口にはJリーグ・徳島ヴォルティスの青いユニフォームがどどんと掲げられている。中に入ると「バリスタ君のコーヒーのお接待」と書かれていて、どういうことだろうと近寄ってみると自由に使えるコーヒーメーカーが設置されていた。ボランティアの方が毎日お水を変えてくれているらしい。なるほど、バリスタ。壁にはここで休憩したお遍路さんからの納め札がわさっと貼られていて、自分も1枚押しピンで留めていく。
貝谷峠と天空のブランコ
先ほどの分岐まで戻り、色々と看板が立っていたので改めて読んでみる。実はここは薬王寺までの遍路道のうち「海ルート(由岐〜日和佐)」と「山ルート(旧国道55号線)」を分ける大きな分岐点でもある。Y字の分岐のど真ん中には茂兵衛さんの道しるべ(153巡目)があり、左は「木岐」、右は「是より三里余 二十三番薬王寺」と書かれているようで、当時は山ルートが主流だったようだ。今は景色のいい海ルートを通る人が圧倒的に多く、もはや山ルート側にはトイレの案内しかされていない。山ルートの旧道(星越峠)は道が消滅してしまっているそうで、「黄色い地図」13版には挟み込みで「非常に危険なので国道を通ること」と注意書きがあった。
もちろん「海ルート」を歩くつもりだったので、左に進路を取る。峠に向かうにつれ道路脇もだんだん植物が優勢になり、アスファルトに覆いかぶさるように伸びてきて、そこに可憐な花びらを散らせていた。歩いていると、足元を彩る散り花に魅了される。車で飛ぶように通り過ぎてしまっては味わえない光景だ。民家の石塀にはサボテンのディスプレイ。穴が開いているところから規則的に顔を出していたので、意図して植栽されているようだ。さすが南国だなあ、と思いながら調べてみると、「白檀」と出た。あのお香の白檀?これも初めて見た。今日は「知っている気になっているが実際見るのは初めて」の植物が多い。
11:05、「貝谷峠」と「由岐坂峠」の分岐に来た。「海ルート」はここでさらに二手に分かれる。貝谷峠ルートは近年になって整備が進んだ旧土佐街道の道で、各方面でおすすめされていたので、そちらを通ることにした。数年前まではなんの標識もなかった分岐には丁寧な案内板が立てられており、分かりやすい。
民家もまばらなのどかな道をしばらく行くと、お堂の手前に土佐街道への案内が現れた。地図になにやら説明が書かれているが、印刷が雨で滲んでいて、何を言っているのかはもはやよく分からない。インクジェットは…いかんぜよ…。ともあれ、元気よく書かれた「行ってらっしゃい!」の文字に背中を押され、峠に向けて足を踏み入れる。
貝谷峠への道は、たまに踏み跡がふわふわしていたり岩がごろごろしていたりするものの、歩きやすい快適な峠道だった。今日の行程のうち、数少ない土の道の部分だ。うきうき。
貝谷峠には15分ほどであっさりと到着した。あたりは広く木を切って整えられており、とても明るい。ここからさらに松坂峠という小さな峠を越えて、由岐へと下るようだ(「由岐坂ルート」と合流)。なお、この峠の標識から後述する「距離が長めに表示されている問題」が起こっていたのだが、この時点ではまだそれに気づいていなかった。
貝谷峠から200mくらい下ったところで展望所への案内があった。30mか、それなら行ってみるかな。道も平らっぽいし…と思って何となく寄ってみたのだが、これが大当たり!文字通りすばらしい展望が望めた。なにより、遍路道から見る初めての海!!なのである。これまでの「思いっきり霞んでるけど…山の向こうにうっすら見えるのがそうかも…?」みたいなもやっとしたものではない、眼下に広がる真っ青な太平洋だ。遍路道は、ついに海側に出てきたのだ。
展望所にはテーブルとベンチ、そして海に向かって設置されたブランコが1台ある。なにこのステキ空間。時刻は11:30を過ぎたくらい、ちょうど頃合いなので、ここでお昼にしようといそいそと荷物を下ろした。
まずはブランコでひとしきり遊んでみる。2日目、別格1番霊場・大山寺への山中で使ったきりの自撮りスタンドを出してきて撮影会だ。いい歳をしてキャッキャできるのが、旅の途上のいいところ。始めは少しぎこちなかったがだんだん漕ぎ方を思い出し、久しぶりに天高く遠心力を感じながら風を切った。今日のお昼はお宿でいただいたおにぎりとかっぱえびせん、そしてさつまいものおやつ(「ひなの里かつうら」で買った最後の1本)。他に誰も来なかったので、30分ほどゆっくりして久しぶりの海を堪能した。
春霞に水平線は淡く滲んで、空と海の境目は曖昧だ。「太平洋の荒波」とよく聞くが、まだ海岸からは距離があり、波も穏やかなのでとても柔らかで優しい印象を受ける。しかししばらく眺めているうちに、なんだかそっけないような気もしてきた。うまく言葉にできないが、自分は自分でやってる、みたいな。人間側がどう受け取るかなんて海にとっては関係なくて、ただただ自然現象のまま、風がないから凪いでいるし、嵐が来れば波が立つ。意味を見出すのは見る方の心の問題だ。自分にとっては癒やしと回復の時間になったが、物見遊山ではなく生活のためにこの峠を行き来していた昔の人には今日の海はどう見えただろう。
展望所から10分ほど下って、松坂峠(標高70m)に到着。説明板によると、かつてこの土佐街道は由岐の町から隣町へ行く山越えの主要なルートであり、この場所には明治11年まで茶屋があったとのことだ。峠からは由岐の沖合を通る船がよく見えたそうで、遭難供養塔が残っている。昨日の太龍寺道もそうだったが、人の流れが変わると道はこんなにも静かなものになってしまうんだな。そして、ここから海が見えたというのもなかなかに信じがたい。当時よりも海岸線が遠くなったのか、それとも木が生い茂ってしまったのだろうか。
峠を過ぎてほどなく、大きな道路の高架下をくぐる。国道55号線の新道、日和佐道路の高架だ。恩山寺から立江寺に向けて歩いている時に複線化の工事現場があったが、このあたりは既に完成しているようだ。歩き遍路道は、橋脚沿いを伝って向こうへ回り込むように付け替えられている。橋脚の足元に少しだけ人間の歩く幅の歩道が作られていて、やっぱり四国にしかない配慮…と思いながらコンクリートの塊の横を通り抜けた。
松坂峠から10分ほど、小さな階段を下りて、アスファルト道に出た。土佐街道はここで終わりのようだ。視線を素早く周囲の支柱やガードレールに巡らせて矢印を探す。よし、あっちだな。歩きながら、何時だろう、と腕時計をチラリと確認。11:30。
んん??
さっき展望所で11:30じゃなかったっけ?
スマホの方を見たら12:30。なんと、歩き旅はまだまだ序盤だというのに、腕時計が壊れてしまった。安価ながらも防水・ソーラーで気に入っていたのだが、汗の蒸気が入ってしまったのか、少し前から内側が曇るようになっていたのだ(一応生活防水だが、このあたりはお値段がらというか)。スペインに引き続き汗だくの旅に付き合わされているうちに参ってしまったようだ。す、すまぬ…。
(しばらくは不便を感じて高知市まで行ったらイオンあたりで1,000円時計を買おう、と思っていたのだが、じきに慣れてしまい、結局最後まで腕時計なしのまま歩いた。そして帰ってから同じものを買い直した。)
土佐街道を出たところから案内看板の雰囲気が変わった。県やへんろみち保存協会が設置している以外のローカルの案内板は、自治体によって味が出る。美波町のま新しいへんろ看板は、遍路道だけでなくトイレや休憩所、地元の神社なども示されていて細やかだ(遍路道以外の案内が詳細すぎて、逆に惑わされたくらい。笑)。しかし、それを追いながら歩いているうちに、ふと違和感に気づく。「薬王寺までの距離がやたら長くないか?」
土佐街道の出口の看板には「薬王寺まで14.3km」と記されているが、自分の歩きのペースでざっくり換算すると4時間強である。現在時刻、12:30。え、納経時間(17時)に間に合わなくない?そんなに遅い想定だったっけ。それに、平等寺から4時間で6.7kmしか歩けていないというのもおかしい。さすがにそこまで油は売っていないはずだ。慌てて「黄色い地図」の方で確認すると、残り距離は10.8km。どちらが正しいのか不安だったが、4時間(うち約1時間は休憩)で10.2km歩いてきて、残り10.8km(3時間強)の方がしっくりくる。15:45到着予定、地図を信じることにしよう。
このカラクリは歩いているうちに分かってきたのだが、貝谷峠から始まる美波町のへんろ看板は、どうやらすべて舗装路(県道25号線)を歩いた場合で薬王寺までの距離が表示されているようだった。急に距離が伸びたように感じたが、この3.5kmの積み増しの内訳は、このあと出てくる「俳句の径」と県道の差約1.5km、山座峠道と県道の差約2.0kmの合計と思われる。いや、結果としては「思ったより早く着いたね〜」でいいんだろうけどさあ…ビックリするから何か説明しておいてよ…。
時計は壊れるわ距離表示は乱れるわで現在地が分からなくなりモヤモヤしながら歩いていると、いつの間にか線路が並走してきて、12:45、田井ノ浜の駅に出た。この駅は海水浴シーズンだけ営業する臨時駅のようで、今は電車を待つ人影もなくひっそりとしている。駅舎の向こうには、打ち寄せる白い波。1番札所・霊山寺から歩き始めてちょうど10日、阿波の試練「三大へんろ転がし」を経て、遍路道は太平洋に出た。室戸岬まで83km、足摺岬まで360km、宿毛までは420km。単純に一日20kmとして、約3週間の海沿いの旅がここから始まることになる。
線路沿いから踏切を渡ると、さらに海岸が近づいた。トイレ・シャワー併設の立派な休憩所、「田井ノ浜休憩所」が現れる。海岸ではわんこがウッキウキでお散歩していて、毎日のお散歩コースがここだと楽しいだろうだなあ、とほっこり。海に見とれながら海岸に近い方を歩いていたら、そのままトンネル(木岐トンネル)に吸い寄せられてしまった。遅ればせながら「Henro Helper」を見てみると、山手(道路の右側)の側道からトンネルを迂回して海側をなぞる旧道(舗装路)に入れたっぽい。残念。
この「トンネルを行くか旧道(峠道を含む)を行くか」問題はこのあと特に高知を歩いている時によく出てきた問題で、なかなか悩ましい。トンネルは交通量が多く、排気ガスもひどい。古いトンネルでは歩道が設けられておらず、白線外の狭いスペースを通らなければならないものもある。歩き遍路は荷物が大きいので、車と接触してしまう事故があったということも聞く。ならばと迂回路(旧道)を行けば、これがとんでもなく距離が長かったり険しい峠道だったりすることもある。その時の時間や天候、足の調子などによって、どちらを選ぶか都度判断を迫られるのだ。
トンネルを越えて約10分、木岐の漁港に着いた。沿道の家は建屋が道路ギリギリまで迫っているものが多く、かつては主要な街道だったのだろうか、と思わせる雰囲気だ。
へんろ看板に従って港を回り込む道を進んでいくと、その先でどうやら路面の貼り替えをしているようで、工事のおじちゃんが1本手前の民家の間の細道をエスコートして通してくれた。「お遍路さんと同行二人できて嬉しいわあ」と言ってくれたが、こちらこそ、ふくふく笑顔の大福さまみたいなおじちゃんと歩けて幸いなのである。もとの道に戻ると圧着されたばかりのほかほかのアスファルトが続いており、できたての道路に一番乗りさせていただく。
13:25、「白浜休憩所」に着いた。隣には公衆トイレもある(行ってないけど笑)。威勢のいい紫陽花の葉っぱに埋もれた案内板には、「薬王寺まで歩き道経由9km、舗装路経由10km」と書かれていた。若干計算が合わないのでスッキリしないが、とりあえずここで先述した「俳句の径」の分の積み増しは解消され、山座峠分の差約2kmを引いて、残り約7kmが薬王寺までの距離となる。案内に従って左へ進路をとり、歩き道へ。入口からしばらくは、「俳句の径」という響きから連想するはんなりさとは相反する小岩ごろごろの道が続いた。
「俳句の径」の沿道では、歩き遍路の旅情の数々を描いた句碑が出迎えてくれる。木製なので表面が風化して字が消えてしまっているものもあったが、どれも歩いている時の風景が思い出され、「そうそう!」と言いたくなるものばかり。「さっき見た見た」というものも。四季折々の遍路模様が詠み込まれた句を「なるほど、そういう風に表現するのか」などと感心したり唸ったりしながら、苔むした山道をゆっくりと登っていく。
(さっき見たシリーズその①)
(さっき見たシリーズその②)
歩き道は1kmほどでさっき別れた県道と合流したが、その後もしばらくは俳句の札が立てられていた。時々顔を覗かせる海を遠目に眺めつつ15分ほど坂を上り、14:00、山座峠休憩所に到着。ここでまたまた歩き道と県道の分岐だ。この分岐をもって舗装路経由分の積み増しはなくなるので、へんろ看板の距離がやっと感覚と一致したものになる。薬王寺まで残り5.2km、1時間半、15:30到着予定。やれやれ、昨日の「いわや道」に続き、長め・遅めに距離を表示してくれるのはいいのだが、ちゃんと意図するところを書いておいてくれないと、途中すごく焦ったわ…。
山道に下りる前にと、水を飲んで少し休憩。嬉々として歩き道に入ったが、10分もすると下の田んぼに出てしまって、これまたすぐ終わった。これ以降は県道25号線を歩くので、本日の山道はこれにて終了、である。
山座峠を下りて出てきた先は、「恵比須浜」。「恵比須浜休憩所」を越えて、漁港の先にキャンプ場もあるようだ。海を見ながらのキャンプかあ。魚も釣ったりできるのかな(漁業権とかあるかもしれない)。ここ恵比須浜は古くから良港として知られていたようで、『土佐日記』の作者・紀貫之が土佐での国司の任期を終えて京へ帰る際に4日ほど滞在したそうだ。850年前の義経に続き、今度は1100年前、貫之と逆の道を辿る遍路道である。打ち寄せる波の音は、きっと当時と変わらない。徒歩しか移動手段のない時代、故郷から遠く離れた海を彼はどんな思いで見つめていたのだろう。
穏やかな波を眺めながら浜辺の道を辿っていると、はっとさせられる看板に出会った。津波避難場所。そう、海辺に出てきたら、喜んでばかりもいられない。浮かれた気分を現実に引き戻すのは、この先ずっと目にしながら歩くことになる津波注意の呼びかけだ。太平洋に面した海岸沿い、その可能性は否応なく高まりつつある。普段海から遠い内陸地でのほほんと暮らしている自分は、有事の際に適切な行動がとれるだろうか。
もし今揺れが来たらどの方向に走ろう、と頭の中でシミュレーションしつつ、浜を回り込んで、今度は岬の方へ。この先に波が岩山を侵食してできたという「恵比須洞」があるので寄っていってみよう。気温は24℃、海沿いの車道は日陰もなく、歩いているとかなり暑い。「対向車あり」を示す電光掲示板が物語るとおり1車線ギリギリの区間が続いていて、車でここを通る時は離合のセンスが要求されそうだ。これも災害対策の一貫なのか、恵比須浜の出口あたりから日和佐道路に繋げるバイパスを工事中だった。3年がかりのトンネル工事。これが完成したら、いま歩いている道も「旧道」として廃れていくのかなあ。
14:40、恵比須洞の入口に到着。洞窟のある岩山へは、鬼のように階段を下りていく。これ、帰りに登るのかあ…。ザックの重みが肩に食い込む。一番下まで下りきったところで、波が岩を穿つ様子を見ることができた。岩は貫通して向こうが見えている。洞窟は幅30m、奥行き40mにもなるそうで、これが波の作用だけでできたとは気の遠くなる出来事だ。さらに先の階段を登っていけば太平洋を望む展望台と縁結びの恵比須神社があるようなのだが、さすがにそこまで行く元気はなかった。階段を登り返して、もとの道に戻る。ここから薬王寺までは2.7km、あとひと踏ん張りだ。
恵比須洞を出て、ホテル「白い燈台」を過ぎると見えてくるのが大浜海岸だ。アカウミガメの産卵地で、近くにはウミガメ博物館もあり、古くから保護研究がなされている。ウミガメの上陸は5月中旬から8月中旬とのことで、まだシーズンを迎えていない静かな浜辺はきれいな水と穏やかな波が印象的だった。そして、どの海岸にも必ず何人かは散歩をしている人がいるのがちょっとおもしろい。波切不動明王と、岬あるあるの「恋人の聖地」を越えたら、遍路道はいよいよ日和佐の町へと入っていく。
「美波町」は2006年に由岐町と日和佐町が合併してできたそうだが、旧名の「由岐」「日和佐」の方が通りがいいようだ(道路標識にも「旧 由岐」「旧 日和佐」といちいち書いてあることが多かった)。キャッチフレーズは「にぎやかそ!にぎやかな過疎のまち☆美波町」って、おいおい…。ちなみに日和佐は奈良時代にここからワカメが献上されたという記録が平城宮跡の木簡に残っているらしく、千年以上も昔から漁村として栄えていたようだ。
薬王寺は厄除けのお寺として有名だ。赤い欄干の、その名も「厄除橋」を渡っていくと、川の向こうにランドマークの「瑜祇塔」が見えてくる。橋を渡った先の「桜町通り」にはお宿や飲食店、カフェが集中していて、今日泊まるお宿もそのひとつだ。この通りには伝統的な建築の建物が多く、古くからの門前町としての風情がよく残されていた。しかし意外にもシャッターやビルの壁へのアートペイントも多く、地元をなんとか盛り立てようという努力を感じる(にぎやかそ!の一環だろうか)。飛び出すトリックアートの仁王像と弘法大師が描かれたJRの高架をくぐると、薬王寺の山門はもうすぐそこだ。
【第23番札所・薬王寺(やくおうじ)】本尊:薬師如来
15:30、第23番札所・薬王寺の山門に到着した。横断歩道を渡った先に山門が見えている様子は、初日、1番札所の霊山寺を思い出す。奇しくも阿波の最初の札所と最後の札所でデジャヴを感じるとは。そして信号が変わるのを待つうちに、ちゃんと間に合ってよかったあ…と安堵感がじわじわと湧き上がってきた。「看板の距離表示が長めなのだろう」と分析しつつも、やはりちょっと不安だったのだ。貝谷峠ルートで平等寺から21.0km、所要時間は7時間と10分。休憩を除く6時間で時速3.5kmは結果としては想定通りだった。ほんとドキドキさせないで…。
四国八十八箇所霊場の札所は全て空海が開いたというわけではなく、約三割はその百年くらい前に活躍した僧・行基による創建である。この薬王寺も聖武天皇の勅願によって行基が開いたもので、空海は厄年である42歳のときにここを訪れ、自身と人々の厄除けを祈願して厄除薬師如来坐像を彫って本尊とし、厄除けの根本祈願寺とした。正式名を「醫王山 無量寿院 薬王寺」といい、無病長寿を授ける医の王かつ薬の王、歴代天皇の信仰篤く、今も全国から厄除け祈願に参拝者が絶えないという。
山門をくぐると、境内は厄除けシステムのオンパレードである。まずは女厄坂33段。厄坂の石段には『薬師本願経』の経文が書かれた小石が埋め込まれているそうで、薬師如来の真言を唱えながら一段一段お賽銭を置いていく。登りきると大きな香炉の手前に石臼と杵があるので、こちらも真言を唱えつつ臼の中の香を歳の数だけ搗いて、無病延命。今度は男厄坂42段、ここにもお賽銭がキラキラと輝いている。そして本堂の前には「随求の鐘」。大随求菩薩の真言を唱えながら歳の数だけ撞く。さらに瑜祇塔に向かっては、61段の男女還暦厄坂だ。これを全部こなしたら、生まれ変わったようにスッキリ浄化されそうだ。
…という作法をあまりよく分かっておらず、「わ〜階段にお賽銭がされてる、平等寺でも見たなあ」と思いながら登り、「この臼と杵なんだろ?」と思いながらお線香をあげ、普通に本堂と大師堂にお参りして帰ってきた。だってどこにも何も書いてないんだもん…。随求の鐘は分かりやすいところにあり、説明もあったのでこれは撞くことができた。
歩き遍路はルートに始まりお宿や食事どころ、薬局やコンビニなどの補給ポイントに天候などなど、毎日調べることがいっぱいで、肝心の札所の詳細まで手が回らなかったりするのだ。むしろ「あんまり調べすぎても頭でっかちになってしまうし、もっと肌で感じるようにしたいなあ」と思って敢えて前情報なしで訪れているところもあり、こういうことが多々あるのである。お参りは心、薬師如来さまも受け入れてくださるだろう(と良きように解釈)。ちなみに鐘については時報代わりに毎日6:00と17:00に12回撞かれることになっているようで、一般の参拝者は撞けないように紐で固定されていた。
女厄坂&男厄坂を登った正面に本堂がある。本堂は何回かの焼失を繰り返しており(天正の兵火を含む)、現在の本堂は明治41年に建てられたものだが、この本堂とご本尊に纏わるおもしろいエピソードがある。文治4年(1188年)に本堂が焼失した際、ご本尊の厄除薬師如来は光を放ちながら飛び去り、奥の院・玉厨子山に自ら避難した。のちに本堂が再建されて新しい薬師如来が安置されると、再び光りながら飛んで戻り、新しいご本尊と背中合わせで厨子に入り戸を閉めたという。行動派の初代!なので、薬王寺にはご本尊の薬師如来像が二体いらっしゃるのだ。
瑜祇塔は、本堂の右手から還暦厄坂を登った先にある。高さ29mの真っ赤な楼閣は、遠くからもよく見える日和佐のシンボルだ。この塔は昭和39年(1964年)に弘法大師による四国八十八箇所霊場開創1150年を記念して建てられたもので、天と地の和合を説く『瑜祇経』という経典の教理を形に表したものだそうだ。上方は四角、下の方は円筒になっているのだが、その姿が「世の中のものはみな二つの相対したものからできているが、これがひとつになることによって世界の平和や家庭の幸福の基礎がある」という教えを体現しているという(難…)。
内部にはご本尊の「金色五智如来」や国宝級の図画の数々、戒壇巡りなどがあるらしいが、残念ながら今日は閉まっていた。瑜祇塔の前は広く展望スペースとなっており、さっき歩いてきた道を目で辿りつつ、日和佐の町をしばし眺める。今日も歩いたなあ…。そろそろ帰ろうと本堂の方へ下りていくと、ホウキにチリトリを持ったおじちゃんが階段のお賽銭を攫って集めていた。お正月などには階段が埋もれるほどのお賽銭があるそうで、こうやって定期的に回収しているようである。16:00を過ぎると戸締まりが始まるらしく、瑜祇塔から戻ってくると本堂の戸はもう閉められていた。
お参りを終えたら、さっき来た道を5分ほど戻ってお宿だ。信号待ちをしていたら、横断歩道の向こうから手を振る人物が見えた。なんと、ユキちゃんだ!たまにLINEで情報交換などのやり取りはしていたが、実際に会うのは4日目・焼山寺の日の「すだち庵」以来だ。こちらが1〜2日遅れているのでもう会えないかと思っていたから嬉しい。汗だく同士でぎゅっっとハグして、お互いの健闘を称えあった。ヤマさんが区切りを終えてこれからはちょっと寂しくなるなあ、と今朝思ったところでこの出会いがあるのだから、巡礼の道は采配に満ちている。
本日のお宿に到着!
ユキちゃんと一緒にお宿までの道を戻る。彼女は桜町通りに面したお宿「さくら庵」に泊まるようだ。ここは築100年以上の古民家を活用したゲストハウスで、和の雰囲気満点。ネット予約がしやすいため外国お遍路さんにも人気で、受付を待つ列ができていた。自分が泊まる予定の「壱 The Hostel」は、その少し先の路地を入ったところ。またね、と挨拶をして、お宿に向かった。
16:35、お宿にチェックイン。手続きは手前のバーのカウンターにて、QRコードを読み込んで入力する方式だった。オーナーさんはきれいなお姉さんでドキドキする。ウェルカムボードには4組の名前が書かれていたが、他の人たちは個室のようで、4人タイプのドミトリーを想定外の広々貸し切りである。下段の窓際、特等席に陣取って、しばし休憩。部屋からはバルコニーに出ることができて、さっき渡ってきた日和佐川の流れが目の前にあった。
まだ他の人が来ていないようだったので、トイレを借りるついでに素敵なゲストハウスを探検してみた。食事提供をしていない分、設備バッチリのキッチンがある。隣のリラックスコーナーもすばらしい。ただ悲しいかな、自分はこういうパブリックスペースでゆっくりすることに慣れなくて、ほとんど活用したことがない。食事なし・自炊可はスペインのアルベルゲでも圧倒的に多い形式なのだが、食材を買い込んでみんなで料理をシェアしたり、イブニングにギターをポロンとやったりしている人たちを、かっこいいなー…と思いながら隅っこで気配を消しているか、外の公園とかに行ってしまう種族である(それを人は陰キャと呼ぶ)。
浴室には湯船はなくシャワーのみのようだったが、今日は近くに温泉があるのでそこに行ってみるつもりだった。その名も「薬王寺温泉 醫王の湯」、薬王寺さんが運営する温泉である。もう名前からして薬効がありそう。
お風呂に行く前に、お宿の予約を3連打(4/25 唐の浜、4/26 芸西村の家、4/27 遊庵)。朝の分も入れると、今日のお宿トライは4件だ。来週末は4/29の祝日に絡む四連休なので、少し予約のペースを上げた。このあとゴールデンウィークも控えているので、しばらくは前倒しで進めておかないとお宿を確保できない恐れがある。今日はどれも電話がうまく繋がり、そして空きもあってよかった。ほっとしたので、さあ、お風呂とごはんだ。
18:00、お風呂に向けてお宿を出発。お宿の玄関を出たらプリプリしたお尻の2匹のにゃんこが出迎えてくれて、ウッカリだいぶ遊んでしまった。途中「豊田屋」さんという和菓子屋さんでお饅頭をふたつゲットして(明日のおやつ)、10分ほどで薬王寺温泉に到着。隣には「温泉宿坊 薬師会館」と書かれた3階建ての建物があり、かつてはここでも宿坊をされていたのかなあと想像する。今や宿坊に泊まらせてもらえる札所は数えるほどしかないが、13番大日寺、20番鶴林寺、そしてここ薬王寺など、その名残を偲ばせる建物があるところは多い。
空海は薬王寺の山腹から湧き出る霊水に薬効があることを発見し、病に苦しむ人々に温浴や飲用を勧めて多くの人を救ったという。源泉は近代に入りラジウムエマチオンの作用をもつ硫化水素泉と認定され、薬王寺温泉は徳島県温泉開発第一号として企業化されたのだそうだ。入湯料は650円、ロッカーは荷物の大きいお遍路対応なのか、全て掃除用具入れのサイズである。ちょうど他に誰もおらず、広いお風呂を貸し切り状態で楽しむことができた。サウナ用の水風呂があったので、温冷浴温冷浴。昨日の山登りに今日のアスファルトの打撃が追い打ちをかけてきて、足がだるーい。
温泉でゆっくりさっぱりしたあと、近くのコンビニとドラッグストアで明日の食料などを買い込んだ。向かいには「道の駅 日和佐」があるが、この時間はすでに閉まっている。買ったものや着替えなどをいったんお宿に置いて、今度は薬王寺温泉とは反対方面、チェックしていたご飯やさんに向かった。薬王寺にも食事処はあったが、地元のお店っぽくて気になったのだ。
19:45、お目当ての「ひわさ屋」に到着。厄除橋のすぐ手前にあり、ありがたいことに営業中だ(歩き遍路あるある、涙の臨時休業。笑)。土曜日の夜なので混んでいるかと思ったが、ほどほどの入りで、テーブル席には地元の同窓会かな?と思われるグループと、ほか2組程度だった。誰もいないカウンター席のすみっこをキープし(陰キャ)、おすすめメニューの「海山ごはん」1800円を注文。今日は豪遊だ。
お店からお宿までは200mもないが、帰り道は日和佐の町並みをゆっくりと眺めながら歩いた。春の夜は寒くもなく暑くもなく心地よい。夜風に乗って遠くから聞こえてくるのは蛙の大合唱だ。いつもはお宿に着いたら大抵そのまま引きこもりになってしまうが、たまにはこうやって夕涼みながら町を歩くのもいいものだ。お風呂で温まって、お腹も満たされ、あとは寝るだけ(洗濯があるけど)。一日の終わりのこの時間にはなんとも言えない充実感がある。
20:30、お宿に戻るとバーが開店していた。旅先のバーでお酒を飲むというのもやっぱり外国の人が多い気がする。「さくら庵」に泊まっているお遍路さんたちだろうか。宿の方ではテラスのバーベキュー台とキッチンの間を2人の男子が忙しく行き来していて、聞いてみると「伊勢海老が食べたくなったので煮込んでいる」という。自分たちで釣ってきた魚もさばいて、これからビールで乾杯のようだ。アウトドアを満喫してるなあ!玄関を入ると、フロアには海鮮のいい匂いが満ちていた。
みんなが思い思いの夜を過ごす中、タイマーを掛けながら洗濯と乾燥を終えて(待ち時間はベッドに戻って調べ物をしていた)、23:00 就寝。うむ、今日も良き一日だった。
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