お地蔵さまの道

昨日に引き続き、強めの風が心地よい快晴だった。遍路道は徳島平野の縁をなぞる形で1番から17番にかけて西回りに大きく逆コの字を描き、徳島の市街地に戻ってくる。なるべく街の中を避けようと、17番井戸寺のあとは上鮎喰橋を渡り、眉山を越えるルート(地蔵越)を選択した。地蔵越は一部焼山寺を思わせる急な登りがあり、ぬかるみに足を取られたり滑ったりで抜けるのに1時間弱かかった。もともとはホテルまでも歩くつもりだったが、到着が遅くなりそうだったため、遍路道を外れる部分は電車を利用することにした。
| 日付 | 2025.04.15(火) |
| 天候 | 晴れ、一時雷雨(8℃〜15℃) |
| 行程 | 14番常楽寺〜17番井戸寺(39,762歩/21.7km/↑228m ↓251m/9h20m)※電車距離を除く |
| 07:00 朝食 07:45「かどや旅館」出発 → 14番まで 2.3km 08:25-09:00 14番 常楽寺(滞在35分)→ 15番まで 0.8km 09:25-09:55 15番 国分寺(滞在30分)→ 16番まで 1.8km 10:25-11:05 16番 観音寺(滞在40分)→ 17番まで 2.8km 12:00-12:40 17番 井戸寺(滞在40分)→ 18番まで 16.8km 15:05-15:55 地蔵越遍路道 17:08-17:15 文化の森駅→中田駅(JR牟岐線 阿南行き ¥240) 17:40「スーパーホテル徳島・小松島天然温泉 」チェックイン | |
| お宿 | スーパーホテル徳島・小松島天然温泉【シングル朝食付き ¥7,000/99室/15:00 〜 】 (4/1 23:15 楽天トラベルで予約) |
| 費用 | 納経料 ¥500✕4寺 食 費 ¥1,767 医薬品等 ¥,6,303 交通費 ¥240(文化の森〜中田) 洗濯代 ¥200(洗濯 ¥200、 乾燥 ¥ -) 宿泊費 ¥7,000 合 計 ¥17,510 |
【地蔵越遍路道について】
・17番井戸寺から地蔵越遍路道の入口までは、「上鮎喰橋」経由で4.4km、約1時間
・地蔵越そのものの所要時間は1時間弱。地面やへんろ札の整備は行き届いていて歩きやすい。ただし傾斜がきつく、登りも下りもトラロープのオンパレードなので雨の日は滑る。
・お地蔵さまの峠を越えた後は東斜面なので、午後だととても暗く感じる。向かう場合は計画的に。
【同名札所に注意】
・国分寺…15番(徳島)、29番(高知)、59番(愛媛)
・観音寺…16番(徳島・かんおんじ)、69番(香川・かんのんじ)
一宮神社(いちのみやじんじゃ)
4:30に目覚ましが鳴った。外は嵐のようで、風の音がビュービュー聞こえている。昨日は写真整理を放置して寝てしまったので、布団に寝転んだまま、クラウドに上げ終わった写真をスマホ本体から消す作業を進める。
5:45、風も収まったので、身支度をしてお散歩に出かけることにした。まずは大日寺で朝のお参り。誰もいない境内は雨に洗われて清々しい空気である。次に、昨日気になっていたお向かいの一宮神社にも行ってみた。狛犬の前には神馬がいて、2頭のお腹の下をくぐれるようになっている。馬の足元には鈴が付いていて、鳴らしてみるとコロコロリンとかわいい音がした。
本殿の正面は一宮城跡の入口へと続いており、敷地の境に苔むしたまんまるの太鼓橋があった。老朽化していることもあるが、角度が急すぎてさすがに装飾用とみえ、実際に渡ることはできない。
お城の説明板曰く、「一宮城は1338年に小笠原(一宮)氏により築城されたが、天正十年(1582年)、長宗我部元親の侵攻を受けた。その3年後、豊臣秀吉の四国征伐時には、鮎喰川を挟んだ辰ケ山に陣を構えた豊臣秀長と長宗我部元親との攻防の舞台となった(要約)」とある。
ーーまた長宗我部か。
そう、「また」、なのだ。お遍路を回った人にはきっと100%同意してもらえると思うのだが、1番から順に札所を回っていると、途中で必ずこう思うのである。「長宗我部は寺を焼きすぎではないか?」
長宗我部元親は土佐(高知)の出の戦国武将で、土佐国内を平定したあと、四国を統一しようと阿波・讃岐・伊予に攻め入った。1582年といえば本能寺の変の年、信長厄災の混乱に乗じたわけである。しかし1585年には全国制覇を目指す秀吉が四国征伐に乗り出してきてあえなく敗北、三国は没収され、土佐のみの所領を安堵された、この土佐平定から四国征伐までの10年間(1575〜1585)の戦乱は「天正の兵火」と呼ばれ、四国各地の寺社仏閣にとっては受難の時となった。当時の寺社仏閣は信仰だけでなく経済や軍事の拠点ともなっていたため、それを制圧するのは武将として当然といえば当然なのだが、それにしても焼きに焼いている。
特に地理的に土佐から攻めやすく、最初の足がかりとなったと思われる阿波(徳島)の被害は甚大で、実に4番、8番、12番、20番以外の札所、つまり、ちょっと遠かったか山の上にあった以外の札所はすべて一度天正の兵火で焼けているのである(ついでに?別格2番の童学寺も焼かれている。めっちゃ山の上の21番太龍寺がなぜ焼かれたのかは謎…。ちなみに、その後秀吉により徳島藩主に封じられた蜂須賀家によって復興されるのとだいたいセットである)。高知の英雄だろうけど徳島県民からしたら複雑だろうなあ、と思う。
440年前に焼け野原となったというこの一帯の姿を想像しつつ、30分ほどで散歩から戻り、荷物を整えて出発の準備をした。朝食は7時から。やっぱりお米がおいしくて、朝からまた2杯おかわりである。今日の大事なエネルギー源なので、たっぷりチャージするのだ。お部屋を片付けて、一晩お世話になったお礼を言って退出する。お隣のおじいちゃんもまた、部屋に一礼して出立していった。巡礼旅をしていると、人々に対してはもちろんだが、「この場に存在させてもらっている」ということがとても得がたいことに思われて、部屋という空間そのものにも一宿の感謝の気持ちが湧いてくる。
【14番札所・常楽寺(じょうらくじ)】本尊:弥勒菩薩
7:45、「かどや旅館」を出発した。昨日に引き続き、雲ひとつない文句無しの快晴である。意気揚々と50mほど進んでいくが、YAMAPの「活動を開始(GPSログ記録開始)」ボタンを押すのを忘れたことに気づき、旅館までいったん戻ってやり直し。旅館の玄関先では同宿の自転車お遍路さんがちょうど愛車にまたがるところで、絶対怪しかったと思う。挨拶をしてやり過ごし、気を取り直して再始動だ。
13番大日寺〜17番井戸寺までは8km弱の間に5つも札所があり、立地も平坦な住宅地の中にあって参拝しやすいため、「五箇所参り」として古くから親しまれており、お遍路体験コースとしても人気だという。昨日の大日寺の方の説明では鮎喰川の堤防沿いをいく感じになるはず、と思って歩いていたら、田んぼの向こう側に並行する道がどうもそれっぽい感じに見える。どうやらひとつ手前で曲がってしまったようだ。今歩いているこの道はどこへ行くのだ…!?歩き始め早々、波乱含みである。
しかしここは「歩き」の強み、リルートは自由自在である。なるべく通っても支障のなさそうな田んぼの間の小路をテテっと渡って向こうの道にたどり着き、正しい遍路道へ。ようやく説明通りの堤防沿いを歩いていくと、5分ほどでお地蔵さまのお出迎えがある。このふたまたは、左。お地蔵さまの背後に見える山は、午後に越えることになる眉山である。
堤防沿いを進んで町工場の倉庫の前を通り過ぎると、前方に「一の宮橋」に上るスロープが見えてきた。この橋は車で渡ろうとするともっと長さがあるが、歩行者はこのスロープを上って橋の真ん中あたりから歩道にアクセスできるようになっている。橋の上に出て、昨日から旅の道連れになっている鮎喰川をまたまた渡る。ここまで来るとだいぶ河川敷も広くなっていて、川の上より河川敷の上を渡っている区間のほうが長い。
橋を渡りきると、14番常楽寺、15番国分寺の方向を示す巨大な案内看板が出てきた。矢印が豊富ってすばらしい!!とひとりで喝采する。道沿いのおうちには七福神の石像とともに相田みつを氏の詩が刻まれた石板が置かれていた。ここを通る遍路に向けての呼びかけなのだろうか、巡礼の途上にいると、なおさらその言葉のひとつひとつが心に沁み入る。スペインでもそうだったが、沿道の個人宅に時折こうして歩き巡礼たちに向けたディスプレイがあって、それを見るとテンションが上がる。
歩いていてひとつ気になることがあった。切幡寺のおじいちゃまに譲ってもらったお鈴のことだ。山あいを歩いていた昨日は全く気にならなかったのだが、住宅地を歩いているとけっこう大きな音がするのである。紐の長さを調節してみたり、吊るす場所を変えてみたりと色々やってみるのだが、鳴りすぎず鳴らなさすぎずのいい具合にどうも収まらない。応急処置として、住宅地では山谷袋のポケットにしまっておいて、札所の境内と山道でだけ取り出して下げてみることにした。
大日寺から常楽寺への距離は2.3km、道も平坦な舗装路なので、ほんの30分ほどの道のりである。桜の季節にはすばらしいだろうと思われるため池沿いの道をたどっていくと、「常楽寺」と掘られた石柱が見えてきた。そこから続く階段の手前に、見覚えのある自転車が停まっている。
8:25、14番札所・常楽寺に到着。常楽寺にはいわゆる山門がないらしく、入口を示す二本の石柱が建つのみの素朴なものだ。屋根がない分、背景の青空が目に沁みるほどまぶしい。
階段を上りきると、境内一面ががごつごつとした岩に覆われているさまが目に飛び込んでくる。断層が露わになった様子が流れる水のようにも見える、「流水岩の庭」と呼ばれる特徴的な境内だ。江戸後期(1818年)にそれまでお寺が建っていた谷地に灌漑用池を造り(多分さっき通ってきたため池)、その50mほど上に岩肌を削って移転したことで、この景観ができたらしい。相当固い岩盤に思われるが、よくここを削って造成したものだ。誰が思いついたんだろう、みんな仰天したのでは…などとその時のことを(主に人足になる側の気持ちで)想像してしまう。
本堂の手前には大木の切り株があり、その股のところに小さな大師像がちょこんと座っていた。この木はアララギ(イチイ)の木で糖尿病に薬効があるとされており、この「アララギ大師」には糖尿病や眼病の治癒を願って人々が訪れるという。かつては10mを超えていたと言われるこのシンボルツリーは台風で被害を受けてしまったらしく、徐々に切り詰められて、今はほぼ幹を残すのみとなってしまった。
ご本尊は、八十八箇所霊場で唯一の弥勒菩薩。釈迦入滅の56億7000万年後に現れて衆生を救ってくれるという仏さまである。遠い…。(脱線するが、ある漫画の「この56億7千万とは人類の人口のことで、弥勒はすでに地上に現れている」という設定がけっこう好き。)お参りの前にまずお清めであるが、最近は御手水をする時に「やましたさん」の柄杓がないかを探すようになった。個人的には長宗我部ショックに次ぐお遍路あるあるではないかと思っている。おそらく八十八箇所を結願されて、お礼にすべての札所に柄杓を奉納されたのだろう。ここにもそれがあったので、使わせてもらう。
大師堂にはカラフルな四色の紐で彩られた独鈷杵が置かれていた。これは空海が中国(唐)で修行を終えて日本に帰国する際に、「日本で密教を広める拠点を置くのに適した土地はどこ〜?そーれっ」と3本の杵を投げたところ(実際はこんなにポップではなかったと思うが笑)、五鈷は京都東寺、三鈷は高野山、独鈷は四国に飛来したとされている伝説に基づくものだ。このため四国霊場ではこの独鈷杵はよく出てきて、「南無大師遍照金剛」と唱えながら触れると弘法大師と同行二人の結縁ができるとされている。
一面の岩の上を躓かないように注意しながら境内を巡って、無事納経。何となく甘い物が欲しくなって、自販機でカフェオレを買って一息ついた。次の札所に行こうと最初に上ってきた階段を下りていて気がついたが、この階段も岩を削って造られたもので、まるで一段一段水が流れ落ちていくかのような模様を描いていた。
【15番札所・国分寺(こくぶんじ)】本尊:薬師如来
9:00ちょうどに常楽寺を出発した。次の15番札所・国分寺までの距離は0.8km、なんとたったの800mである。2つの札所が同じ敷地にあるという68番神恵院&69番観音寺(香川県)を除けば、おそらく最短の部類に入るだろう。すぐ着くだろうと高を括っていたのだが、その油断が災いしたのか、道しるべがなかなか見つけられなかったり、見つけても読み間違ったりして、お寺の敷地から一般道路に出るまでにけっこう時間がかかってしまった。
常楽寺の階段を下りてさらに坂を下っていくと「八幡神社」という神社があるのだが、松の木がラウンドアバウトのようになっていて、そこの四差路でまずぐるぐる。単純にまっすぐ行けばよかったことに気づいて隣の慈眼寺(常楽寺の奥の院)にたどり着くが、今度はその境内を通り抜けて奥へ通じる道が発見できずにうろうろ。さらに、常楽寺のミニ四国八十八箇所(裏山)に吸い込まれかけて行ったり来たり。あとから考えればそこまで複雑な経路でもなかったのだが、なぜか一時的に方向感覚がおかしくなってしまったようだった。第三者が観察していたらだいぶ怪しい動きをしていたと思う。
常楽寺は5番地蔵寺と同じく奥の院が隣接しているタイプ。その慈眼寺でお参りをしたところまではよかったのだが、ぱっと境内を見渡したところ、どうやらこの敷地は行き止まりのように見える。道を間違ったかと思ってさっきの神社のあたりまで戻ってみたりとウロウロした結果、お堂の隣の寺務所と思われる建物と生け垣の間に奥に抜ける道を発見した。この建物が人の住んでいる住宅っぽく見えたので、始めはそこまで入り込むのを躊躇ったのだ。生け垣に近づくと、ひっそりと「順路」と書かれた札がかかっていた。
やれやれと思ったのも束の間、今度は「ミニ四国」トラップにはまる。あとから写真を冷静に見てみれば石柱の掌はどう見ても「右へ進め」を示しているのだが、山道に惹かれたのか、うっかり直進して階段を上ってしまった。「延命山(=常楽寺の山号)新四国八十八ケ所参道」という石柱が出てきて、嫌な予感がしてYAMAPを確認すると、どんどん遍路道から離れていっている。あぶねー!!住宅地で遭難するところだった!と引き返すと、下の道へ降りる階段にあっさりと繋がった。昼日中から狐につままれてしまったようで、この200mちょっとでだいぶ遊んでしまった。
住宅地の道路へ出てしまえば要所要所の案内は分かりやすく、迷うのではという心配がなくなってようやく心穏やかに歩くことができた。途中にあった「八祖大師」のお堂は赤と白のコントラストがかわいくてお気に入り。瓦や装飾がちょっと中華風にも見える。八祖とはインドで起こった密教を中国を経て日本まで伝えた8人の祖師のことで、8人目が弘法大師とされている。
9:25、国分寺に到着。道迷いのおかげで800mに25分もかかってしまった(笑)。数年前に改修を終えたばかりという本堂はすらりとした二階建てで、これまであまり見なかった形式のように思えた。ここは庭園がとても有名らしいのだが(入園料300円)、今日は歩く距離が長いので時間の関係で諦めることに。
この札所は住宅地の中にあるため、境内はコンパクトかつフラットで、お堂の後ろに向こうの民家が見える開放的な造りである。「国分寺」は聖武天皇が国家鎮護のため国司に命じて建てさせたお寺だから、そもそも人々が多く住んでいる中心地に造られたのかもしれない。このあたりの地名もズバリ「国府町」というのである。ちなみに建立当時(741年)は法相宗、空海が来て真言宗に改宗、例によって長宗我部元親に焼かれ、復興の祖の宗派に従い曹洞宗に改宗とその変遷はめまぐるしく、現在は四国八十八箇所霊場で唯一の曹洞宗のお寺である。
なお「国分寺建立の詔」は全国の国司に向けて命じられているので、四国八十八箇所霊場においても「国分寺」という名前の札所は3箇所ある(15番(阿波)、29番(土佐)、59番(伊予))。検索する時は何番の国分寺かを念頭に置いておかないと、とんでもないところに案内される恐れがあるので注意である。
【16番札所・観音寺(かんおんじ)】本尊: 千手観音
9:55、国分寺を出発。次の16番札所・観音寺までは1.8kmの道のりである。久しぶりに広い道路を渡ることになったが(国道192号線)、住宅地の辻には古い石柱やお地蔵さまがたくさんあり、歴史を感じる道のりである。
ここで、さらなるお遍路あるある。遍路道には迷わずに歩けるようにと古いものから新しいものまで様々な道しるべが建てられているわけだが、有名なものに「茂兵衛さんの道しるべ(遍路石)」がある。中務茂兵衛さんは江戸後期から大正初期にかけての人で、現在の山口県周防大島町の出身。22歳から78歳の間に279回と87寺を歩き遍路で回ったという前人未到の記録を持つ人だ(多分今後これを越えられる人はいないだろう)。88回目の巡礼から道しるべを建てようと活動を始め、四国各地で確認できるだけでも243基が現存しているそうだ。実は初日からお世話になりまくっているのである。
10:25、30分ほどで観音寺に着いた。入り組んだ住宅地の道路ぎわに立地しており、どんなに道路の向こう側に張り付いても、どっしりとした重厚な楼門をまっすぐ撮れるポイントがないくらいだった。ここもこぢんまりとした境内で回りやすい。手水鉢の縁に「あがっっ」と齧りついている龍がかわいいな、と思いつつ、ここでも「やましたさん」の柄杓を手に取った。このあたりでは小僧さんの衣装も揃えているのか、相変わらず目の焦点の合っていない小僧さんは国分寺と似た感じのベレー帽を被っていた。
観音寺には夜泣き地蔵がいて、ご利益をあずかったお礼にと何枚ものよだれかけが奉納されるそうだ。子供の夜泣き止めや成長祈願だけでなく、睡眠不足にもご利益があるというので、これからもぐっすり安眠できるよう願った。こちらのニュー小僧さんはふくふくとしていてかわいい。最近のデザインだろうか?
【17番札所・ 井戸寺(いどじ)】本尊: 七仏薬師如来
11:05、観音寺を出発すると、ほどなく神社が見えてきた。「大御和(おおみわ)神社」というらしい。きれいに手入れされた広い境内には大きな楠の木が生い茂っており、その木陰には時代を感じるブランコや滑り台などの遊具が設置されている。なんだか微笑ましい雰囲気に惹かれて、立ち寄ってみることにした。
今はその時季ではないようだったが、この神社は花手水やライトアップなど四季折々にさまざまな意匠を凝らしており、それを目的に県内外からの参拝者も多いようだ。本殿の前には狛犬ならぬ狛虎もいて、ネコ科特有のしなやかさが彫刻にもしっかり現れていた。狛犬ちゃんはにっこり笑顔。境内はとても静かで、さわさわと揺れる木々の葉っぱの音が心地よかった。神社の向かいのお寺(大坊千輻寺)にはまさしく歩き遍路の心を示すような格言が掲げられていたが、解脱しきれない身としては耳が痛いところ。
神社を出て30分ほど歩いたあたりから、風が強くなってきた。今日の道はいつにもましてお地蔵さまが多かったのだが、そのお召し物も風に煽られてはためいている。赤い頭巾と前掛けのお地蔵さまがあまりにたくさんいたものだから、ついに遠くに見えてきた赤い煙突?までお地蔵さまに見間違ってしまった。
12:00ちょうど、井戸寺に到着した。朱塗りの山門が青空に映えて輝いている。かつては七堂伽藍に末寺十二坊を誇る広大な寺院だったそうだが、例によって天正の兵火などの戦火を経て、現在は住宅地の中にあるコンパクトな造りのお寺になっている。境内も平らに舗装されており、朝イチでお参りした常楽寺の、気を抜くと躓きそうな境内と対照的だ。こちらの永代供養堂には徳島市出身の瀬戸内寂聴さんが分骨を希望されて眠っておられるとのこと。
お参りしていると、見覚えのあるお遍路さんがいた。ヤマさんだ。今日は徳島市内泊とのことで眉山越えを目論んでいる自分とはここから進む方向が別になってしまうが、明日のお宿が同じだったので、また会うことができそうだった。1番札所から歩き始めて6日目、それまで道中で出会ってきた顔ぶれはなんだかんだで減ってきていて少し寂しい。
ところで、ここ井戸寺にはその名の表す通り、由来のある井戸がある。濁り水で困っていた住民のため、空海がその錫杖で一夜にして掘ったという言い伝えのある井戸だ(弘法大師あるある)。「面影の井戸」といい、覗いてみて自分の姿が映れば無病息災、映らなければ3年以内に厄災が訪れるという(どこかで聞いたような?←3番金泉寺)。
また、この井戸に映る自分の姿を空海自らが彫ったと言われる大師像があり、5日、7日など日を限ってお参りすると願いが叶うということから「日限大師(ひかぎりたいし)」と呼ばれている。井戸とその大師像がある「日限大師堂」では、井戸の加持水を購入することもできるのだ。
…というお堂の外観だけ撮って、中の井戸を見ずに出てきてしまった。「井戸寺」にお参りして井戸を見ず…。今日はなんだか色々と浮足立っているのか、センサーの感度が鈍く、全体的に調子が悪い。
地蔵越遍路道(標高140m)
12:40、井戸寺を出発した(井戸を見ずに)。風が非常に強く、雲行きも怪しい。天気予報を見てみると、13時〜14時の間に強めの雨が降るようだった。ここから地蔵越に向かうまでに昼食と物資をもろもろ買い込もうとチェックしている複合スーパーがある。そこまで天気がもってくれるといいのだが。
田んぼの中を歩いていると、みるみるうちに黒雲が立ち込めてきた。先を急ぎつつも、良さげな神社を見つけて立ち寄ってみる。「王子和多津美神社」に続く道は短いながらも桜並木に包まれていて、まっすぐに本殿に連なるその参道には清々しい空気が流れていた。満開の時にここを歩いたらさぞかしきれいだろうな。国道192号線に合流する手前で、赤い色が抜け、もはや文字の痕跡だけとなりつつも「恩山寺 国道を左直進」と書かれたへんろ札を発見。マイナールートにも道しるべを整備してくれている、その親切がありがたくて元気が湧いてくる。
13:15、目的のスーパー(というかDAISO)に着いた。あとは道路を渡るだけ、というところで大粒の雨が降り出す。なんとかずぶ濡れは回避することができた。ここにはうどん屋さんもあるし、せっかく四国に来たのだからお昼はうどんにしよう…とお店に近づいて行くと「4月14日と15日お休みします」の張り紙があって膝から崩れ落ちる。なんか、こういう巡り合わせってあるよね…。
気を取り直して、DAISOで物資の調達をする。お線香とライター、それにキルト地のポーチ。お参りグッズはまだ少し余裕があるが、この先しばらく山がちの地域になりいつ入手できるか分からないので、ここで補充しておくことにした。ポーチには、別格霊場の念珠たちと大事な頂き物を入れていくことにする。幸いここのDAISOは半分スーパーだったので奥にお惣菜コーナーがあり、そこで昼食も調達することができた。雨は激しさを増している。うどん屋の軒先で、大粒の雨が地面を叩くのを眺めながらおにぎりを食べた。
14:00頃、雨が弱まってきたので、お昼休憩を終えてDAISOを出発する。歩き出してすぐに見えてくるのは「上鮎喰橋」。鮎喰川を渡るのはこれで最後になる。橋を渡った先にも大きなうどん屋さんがあったが、こちらも「支度中」の札が下がっていた。今日はうどんには縁がないらしい。しばらくするとまた雨が強まってきたので近くのバス停に避難したが、風が強くてそこでは凌ぎきれなかったため、もう少し進んだ商店の軒先を借りる。ちょうど自販機もあったので、食後のコーヒータイムにした。(商店自体はもうやっていないみたいだった。哀…)
14:30、やっと完全に晴れてきたので歩きを再開した。雨宿りのために分岐を少し通り過ぎていたため引き返したのだが、思ったよりも先へ進んでいたらしく、来る角来る角で「ここか!?」と曲がってはすごすごと戻って来る、の繰り返し。結局橋を渡ってから歩いてきた道をだいぶ戻って、やっとルートに乗ることができた。分岐の目印は、緑の屋根が特徴的な「加茂名南小学校」の方へ下りていくこと(よく見ればカーブミラーにへんろシールがある)。その後は住宅地をひたすらまっーすぐ、歩くうちにすっかり青空になり、さきほどまでの荒れ具合が嘘のような晴天になった。
住宅地のどん突きまで行くと、大きなため池が現れた。一帯は「地蔵院池緑地」として整備されており、遊歩道になっている堤防に上っていくと、池の周りを取り囲むように桜並木が続いているのが見える。立派な四阿や遊具がたくさん置かれた楽しそうな児童公園などもあり、ご近所の憩いの場になっていそうだった。気持ちのいい遊歩道を歩いて堤防を回り込むと、「地蔵院」というお寺が見えてくる。
地蔵院は弘法大師が女性の安産を願って開いたのが始まりとされており、境内には7世紀頃の古墳があったり、曼荼羅霊場でもあったりと見どころも多いお寺である。今通ってきた地蔵院池ももともとはこのお寺の放生池であり、藩主の舟遊びなども行われていたそうで、どうりで優美な雰囲気だったわけだ。時間が押していたため外から手を合わせるだけになってしまったが、鮮やかに彩色された本堂の彫刻が道からでもよく見え、それに合わせたようなカラフルな垂れ幕が風にはためいて踊っている様子が楽しげだった。
地蔵院の横を通り過ぎてすぐ、「地蔵越遍路道」と刻まれた大きな石柱が見えてきた。15:05、地蔵越の入口に到着。もっとひっそりとしたものかと思っていたが意外にもしっかりした道しるべが整備されており、「別格へのルートみたいに何もなかったらどうしよう」という懸念はいい意味で覆された。このようにルートがいくつかに分かれるような場合であっても、やはり八十八箇所霊場の道案内は手厚さが違う。石柱を通り過ぎるといきなりいい感じの橋(網の下が透けて見える)があって、それを渡ると山道ゾーンの開始になった。
登り始めは明るい林の中なだらかな道が続き、空は青いし風はそよぐし、どこからか沢の流れる音も聞こえてきて、快適なトレッキング気分を楽しむ。ここぞとばかりに山谷袋から取り出したお鈴も軽快に鳴る。先程の雨で道は少しぬかるんでいたが、地元の方がこまめにお手入れしてくれているのか、落ち葉はきれいに払われていて歩きやすい。水玉模様の傘を差したお地蔵さまがいて、かわいい頭巾と前掛けがとってもおしゃれ。どんなおばあちゃまが着付けをしてるのかしら、などとほっこりした気持ちになる。
しかし、である。入口から5分とちょっと、この傘を差したお地蔵さまを過ぎたあたりから、なんだか道の雰囲気が急におかしくなってきた。道の角度がグンと上がって、岩肌と急傾斜、枯れ沢のトリプルコンビネーションに見舞われる。き、聞いてない感じ…っ?息を切らせつつ大きな石がごろごろする道を登っていくと、道は下りに転じ、そしてついにアレが出てきた。トラロープである。おお、滑る、滑るぞ…!
なんとか無事に下り終えてほっとしたのも束の間、今度は登りでロープの連続である。ついに本当の鎖まで出てきて、テンションがあがって動画を撮りながら登っていたら見事にコケた。スマホが谷底に吹っ飛んでいかなくてよかった…。その後は心を入れ替えてマジメに斜面にとりかかる。なんと、地蔵越は標高こそ140m程度とはいえ、瞬間最大風速でいうと焼山寺を超える傾斜だったのだ。
お地蔵さまから約15分、車道へ向けてますます角度をつけてくる急傾斜のラストスパートを登りきって(山道あるある)、やっと舗装路に出た。やれやれ、これでピークは抜けたのかしらと思っていたら5分もしないうちに再び山道へと誘われる。
こちらは石ころは少なく乾いた土の歩きやすい足元ではあったが、やはり傾斜は急で、道の先を仰ぎ見ると青空が見える(もう何度目か分からないデジャブ)。ロープをたぐりながら坂を登りきり、ふと平らになったと思ったら、木彫りのかわいい道しるべが出迎えてくれた。そしてその道しるべの示すとおり「恩山寺」の方向に視線を向けると、落ち椿に囲まれて峠を見守るように鎮座するお地蔵さまの背中が見えた。
15:35、お地蔵さまの峠に到着。近くの木に吊るされた梵鐘を鳴らしてお参りをする。今日の遍路道はふたまたのお地蔵さまから始まって、本当にたくさんのお地蔵さまに見守られた、まさしく「地蔵越」の道だった。道中に出会ったお地蔵さまたちの姿を思い出す。かわいいお召し物、ユーモラスな表情、踊っているような姿、2mを超える威容…時に微笑み、時には厳しく道を示す、その最後を締めくくるような穏やかで慈愛に満ちたまなざし。すぐ下に車道があるというのに、あたりは不思議な静寂に包まれていた。
そこからの下り道は一面の椿に彩られた道で、再びロープのお世話になりながら下る。岩ごろごろの道も躓かないよう気を使うが、土だけの道もそれはそれでとっかかりがなく滑りそうで神経をすり減らす。5分ほどで車道に下りた。これでさすがに終わりかな、と思ってカーブの先に視線をやると、ほんの10mほど先にまた山道への入口が。まだあるのか…!峠道が好きで踏み込むくせに、車道に出てくるとやたらホッとするし、何度も山道が出てくると「もう早く終わって…」と思うこともある、複雑な歩き遍路ごころである。
この最後のパートもまた急で、ロープを頼りに登ったり下ったりの道が続いた。しかも峠を越えた先の東の斜面だったため陽が完全に遮られる形になり、急に山の雰囲気がそっけないものに変わったような感じがする。薄暗い森の中、なにか人ならざるものに馬鹿されないようにと、金剛杖の鈴を意識的に大きく鳴らしながら先を急いだ。
やっと車道への降り口が見えてきたときには心底安堵した(さらに山道があったら途方に暮れただろう)。15:55、地蔵越遍路道を脱出。雨宿りで小一時間遅れたこともあり、遅くとも16時には峠道を出ていること、というマイルールギリギリだった。所要時間は50分。
こちら側の出口にも、そこからの車道沿いにも新しい大きな石柱が立てられていたり、「徳島県」と書かれたステッカーが貼られたりしていて、地蔵越遍路道はそこはかとなく「オフィシャル感」を漂わせていた。このあたりは宿泊の関係で市街地側を歩く人が多いようだったので地蔵越はマイナールートかと思っていたのだが、自然豊かで雰囲気もある古道なので、行政的には「推し」なのかもしれない。実際、(上ではわーきゃー言っているが)とても楽しい峠道だった。けっこう本気の山道であることと、「五箇所参り」を経てから日の落ちないうちに越えられるかを考慮しなければならないが、それがクリアできるならおすすめの道である。
地蔵越遍路道を出てから20分ほどのところに、「八万温泉」というスーパー銭湯があった。多くの車の出入りがあり賑わっているようで、人の気配にほっとする。陰った斜面をひとりで下っていた時はやはりかなり心細かったのだ。温泉に入ってさらに緩まりたいが、今日泊まるホテルにも温泉があるので、そこまでは我慢する。
川沿い(園瀬川という新しい水系に移った。鮎喰川、ありがとう)に向けて歩いていると、後ろから車が来てクラクションが鳴る。邪魔だったかな、と思って道路ぎわに避けると、ちょっといかつめのお兄さんが運転席から「おへんろさん、どうぞ」とひょいとペットボトルを渡してくれた。あ、あ、ありがとう…!怒られるのかと思ってゴメン(笑)山道に入ってからはフィーバーしすぎて水分補給も忘れていたので、さっそく半分ほどを一気に飲んだ。綾鷹が五臓六腑に染み渡る。
その後もお茶を飲み飲み歩いて、川沿いの分岐に出た。左に行けば車道沿い、右に行けば「あずり越」(峠道)。この「あずり越」については、時間のことを差し引いてもちょっと危なそうな情報しか出てこなかったので(道が消えたとか、背丈ほどの藪漕ぎだったとか)、回避。予定通り左のルートを選択し、そのまま市街地へ向かう。交通量の多い県道沿いだったが、車道と歩行者専用路が完全に分かれていて、とても歩きやすい道だった。
しばらく快適に歩いていたが、ここで事件(?)が発生する。このあたりでお宿までの所要時間を調べておこう、とGoogle MAP 先生で検索をしたところ、「8km、所要時間1h52m、到着予定時間18:16」と出てきて絶望したのだ。に、にじかん…2時間か…。今日歩いてきた距離は18kmほど、そこまで長くはないのだが、札所4つと雨宿り、そして峠越えで時間としてはけっこうかかっているのである。ホテル着くの、18時半かあー。
(心の折れる音)
…うん、電車を使おう。幸いここはJR沿線だ。最寄りの電車駅「文化の森」駅の時刻表を調べる。そこからホテルの最寄り「中田」駅まではふた駅、電車だとなんと7分(!)だ。明日また「文化の森」駅に戻ってきて、そこから歩きを再開しよう。そうすれば歩き道としては空白地帯を作らずに済む。明日歩く距離が長くなるが、今日はもう限界だ。うん、そうしよう。
現在地から文化の森駅までは約2km、徒歩26分と出た。幸いにも電車は30分おきに出ているようで、ちょうど間に合いそうな17:08発の電車があった。これを逃すまいと爆速で駅に向かい、17:00に到着。所要時間は23分、電車に遅れたくないばかりに無我夢中で歩いてしまったが、11kgの荷物を背負って見込みより3分巻いたのだから、無駄に頑張りすぎた。腰が痛い。
文化の森駅は畑の真ん中に突如として現れる高架の駅で、ホームに上ると折からの強風で飛ばされそうだった。券売機が見当たらなかったのでとりあえず小銭を握りしめて待つ。どうもシステムがよくわからない。
ほどなく電車がホームに滑り込んで来て、さっそく乗り込もうとしたら行き先に「板野」と出ている。これは見覚えがある、霊山寺に行くときに乗った行き先だ。早く着きすぎて、1本前の逆方向の電車に乗って1番札所に送り返されるところだった。危ない。落ち着け、落ち着くのだ。
努めて深呼吸をしながらさらに待つこと数分、ついに救世主の電車が来た。17:08発、阿南行き。方向を間違わずに乗れてひと安心、遍路道とはしばしのお別れである。ちなみにこの文化の森駅は初日にフェリーで降り立った徳島港とは7kmほどしか離れておらず、なんなら前泊したHOSTEL PAQは今日泊まるホテルよりも近いくらいだったりする。徳島県の東の端から上陸して、西回りに逆コの字を描いてここまで戻ってきたのだ。これから遍路道は南へ進路を変え、高知県へと近づいていくことになる。
本日のお宿に到着!
今日のお宿は「スーパーホテル徳島・小松島天然温泉」。JR牟岐線の中田駅から1.3km、徒歩20分ほどの所にあるホテルだ。駅近とはいえないが、歩き遍路は「徒歩」の距離感がバグっているので「20分?スグやん!」とか思ってしまう罠。遍路道からも少し離れているのだが、せっかく徳島の市街地なので、久しぶりにビジネスホテルにして気ままに夜を過ごすことにした。雰囲気のある遍路宿も好きなのだが、連日民宿や旅館だと、それはそれで少し疲れてしまう。
17:15、電車は中田駅に到着した。小銭を運賃箱に入れて下車する(これでよかったみたい?)。駅から住宅地へ続く道は素敵な遊歩道になっていて、植栽がきれいに手入れされたその道を下校の高校生たちに混ざって歩いた。今日は午前中は札所たくさん、夕立&予想外の険しい峠越え、駅まで競歩の3本立てで疲れてきていたため、住宅地の向こうにひとつ抜け出て建つホテルが見えてきた時の安堵感は大変なものだった。これも歩きのあるあるで、建物は見えてから実際にたどり着くまでがけっこう長いのだが、「もーすぐ…、もーすぐ」と唱えながら脚を前へ運ぶ。
17:40、無事チェックイン。お宿に着いたらまずはお風呂!!このホテルには部屋のユニットバス以外に天然温泉の大浴場があるのだが、普通(?)の観光客やビジネス客は着いて早々にお風呂なんて入らないのか、一番乗りの貸切である。何度も温冷浴をして、よれよれになった脚をほぐす。とにかく膝がだるい。お風呂の次は洗濯だ。洗濯機は1回200円だったが、乾燥機はサービス!しかも洗剤まで置いていてくれていてありがたかった。
洗濯機を回している間に食料などの買い出しに出た。もともとは外食できそうなお店をチェックしていたのだが、部屋の窓からすぐ下にスーパー(キョーエイ)が見えたので、スーパーで食材を買い込んで部屋でまったり食べることにした。
ホテルの下の広場はスーパーやドラッグストアが集まる複合施設になっていて、ここで食料や湿布など必要な物資をすべて揃えることができた。地元を含め地方にはよくある形態だが、この後もこういうタイプのショッピングモールには何度もお世話になった。
ホテルのカクテルコーナーでジュースを作って(お酒は飲んだら倒れそうなので回避)、買い込んできた夕食をゆっくり堪能しつつ、宿取りに勤しむ。一日歩いたら一日コマを進める、この繰り返しである。お疲れモードになってくると、なるべくネットで黙って取れるお宿を探してしまう。目をつけていたお宿にまだ空きがあったので、そこのホームページから無事予約を完了した(4/19、壱 the hostel)。
次に、荷物を盛大に引っ張り出してザックの中の配置調整をした。この一週間で不要になったものを手放したり、あまり使わなかったものを底へ追いやったり、なるべく軽く、なるべく使いやすくを念頭に組み直していく。四国遍路では納経帳などのお参りセットがけっこう場所を占めるのだが、逆にスペインでは毎日使っていた街歩きグッズはほぼ使わなかったりして、微妙に使い勝手が違うのだ。あれこれ奮闘していてふと気がつくと夜中の2時近くになっており、慌てて布団に潜り込んだ。






















































































