心のお鈴を鳴らして、真念の道をゆく

昨日電車に乗った「文化の森」駅まで戻ってきて歩きを再開した。登校中の小中学生たちに混ざって園瀬川にかかる潜水橋を渡り、18番恩山寺へ。徳島は今が田植えの時季のようで、代掻きを終えた田んぼが水面を輝かせながら植え付けを待っている様子があちこちで見られた。19番立江寺から今日のお宿の送迎場所である「道の駅 ひなの里かつうら」までは、最近復元された古道「櫛渕真念道」を選択。立江寺奥の院の「星の岩屋」に寄ってみたかったが、昨日歩かなかった分の距離が伸びたこともあり、残念ながらその時間はなかった。
| 日付 | 2025.04.16(水) |
| 天候 | 晴れ(5℃〜18℃) |
| 行程 | 18番恩山寺〜19番立江寺(47,502歩/26.4km※/↑449m ↓373m/10h50m) ※電車&車送迎距離を除く |
| 06:30「スーパーホテル徳島・小松島天然温泉 」チェックアウト 07:11- 07:18 中田駅→文化の森駅(JR牟岐線 鳴門行き ¥240)→ 18番まで10.9km 10:30-11:30 18番恩山寺(滞在60分)→ 19番まで 4.0km 12:40-13:40 19番立江寺(滞在60分)→ 道の駅まで 10.7km 16:35 道の駅「ひなの里かつうら」→ お宿まで送迎あり(7.5km) 17:20「ふれあいの里坂本」チェックイン 18:30 夕食 | |
| お宿 | ふれあいの里坂本 【 個室2食付き ¥8,030/7室/15:00 〜 】※2025.9.30営業終了 (4/1 23:50 HPから予約) |
| 費用 | 納経料 ¥500✕2寺 摺袈裟 ¥800 食 費 ¥2,295 交通費 ¥240(中田〜文化の森) 洗濯代 ¥300(洗濯 ¥150、乾燥 ¥150 ) 宿泊費 ¥8,030 合 計 ¥12,665 |
【櫛渕真念道について】
・令和元年(2019年)に地元保存会により復元された古道ルートである。
・19番立江寺から20番鶴林寺に向かう13kmのうち、前半の約5.5km部分。
立江寺から約700mのところで県道ルートから分岐する道しるべがある(分かりやすい)。
・県道ルートより500mくらい長いが、車がほとんど通らないので快適に歩ける。竹林やみかん畑、田んぼの間を通っていくのどかな道で、江戸時代の真念さんのしるべ石やお地蔵さまもあり、古道の雰囲気を感じられる。小さな峠っぽいものをいくつか越えるが、特筆するほどのアップダウンはない。
【18番札所・恩山寺(おんざんじ)】本尊:薬師如来
5:30、起床。まずは景気づけに温泉に入りに行く。このホテルは一晩中大浴場が使えるタイプなので、チェックイン後は好きな時にお風呂に入り放題なのだ。熱いお湯のおかげで気分はスッキリ、だるかった脚もシャッキリである。部屋に戻ると空が明るんできていて、春霞に朝日がぽっかり浮かんでいた。今日もいい天気のなか歩けそうだ。
身支度をしながらバナナを食べて軽くチャージする。ホテル宿泊者には朝食サービスがあるのだが、提供開始が6:30からなのだ。電車に間に合うように出発しようと思っていた時間と同じ…。オーガニックサラダや焼きたてパンなど気になるメニューが満載だったのだが、仕方がない。(ビジネスホテルに泊まるのは、到着が遅くなりそうな時か、次の日早くに出発したい時が多かったので、朝食サービスのビジネスホテルでモーニングを食べられたことは結局1、2回しかなかった。涙)
6:30、ちょうどオープンした朝ごはん会場に後ろ髪を引かれつつホテルを出発し、昨日歩いてきた遊歩道を戻って駅に向かう。さすがに登校する生徒はまだいないようだ。歩道はきれいにお手入れされており、片側は萌え出る赤い若葉、反対側は真紅のサツキ?が満開で、早朝の冷たい空気のなか歩いているととても気持ちがいい。遍路道ではないが、密かにお気に入りの道だ。
6:45、中田駅に到着。いい具合に回復しているのか、同じ距離を昨日より5分早く歩けている。電車の出発時刻は7:11なので余裕を見すぎたのだが、遅れるよりはいいだろう。駅前の自販機でリンゴジュース(Qooりんご。遍路中、ほぼ毎日飲んでいた)を買い駅舎に向かう。この駅には券売機もあったので、首尾よく切符も購入できた。よしよし、今のところ順調だ。待合室でさくらあんぱんを食べながら電車を待った。
予定通り7:11発・鳴門行きの電車に乗って(今度こそ慌てずに行き先を確認できた。3度目の正直)、7:18に文化の森駅に到着した。そこから一部県道を使って直接恩山寺の方向に向かう選択肢もあったが、せっかくならと900mほど道を戻り、昨日遍路道から離れたポイントに戻って歩きを再開する。別に「黄色い地図」の歩き遍路道に固執する必要はないのだが、やはりルート通りに歩いたほうが古くから続く道ならではの景観や道しるべが見られて面白いのである。
この戻ったところもそうで、ダイレクトに進むとただの県道の橋だが、ちょっと戻って遍路道を行けば、歩行者専用の潜水橋を渡ることができるのだ。ちょうど地元の小学生たちの登校時間だったようで、子供たちや見守りの保護者さんが爽やかに挨拶してくれるなか、春風のそよぐ小さな橋を渡る。四国は素敵だ。
橋を渡ったあとは道しるべが若干分かりにくく、何度も地図(写真に撮っておいたものをめいっぱい拡大)とアプリを開いて進行方向を確認した。肝となる分岐や曲がり角にはシールが貼られているのだが、そのあとはふわっとしていて、なんとも心もとないのだ。こういう時に最も頼りにするのはカーブミラーである。四つ辻にカーブミラーを見かけたら、支柱にへんろシールが貼られていないかを目を皿のようにして探す。
余談だが、道しるべの書き方も四国遍路とスペイン巡礼では少し違っていて面白い。石柱以外では道路標識に矢印が記されていることが多いのは同じだが、大きな違いは、スペインでは個人宅の塀などにもけっこう矢印が書いてあることと、公的・私的に関わらず、足元(地面)に誘導が書いてある場合が多いことだ。アスファルトにスプレーで分岐が書かれているのはざらで、時にはカフェやアルベルゲの案内まで書いてある。公共物とは…(笑)。逆に四国では、最近建てられたと思われる石柱に「土地提供者◯◯」と刻まれていて、それはそれで「ここまでやるか」と驚いた。お国柄が出ていて面白い。
(↓スペイン矢印シリーズ)
そんなことに思いを巡らせつつ、最終的に「Henro Helper」に頼りっきりで歩いていたら、「日本一低い山 弁天山」の前を通りそびれてしまった。弁天山は標高6.1m。昔この一帯は海だったらしく、その時は小島だったのだが、室町時代に海水が引いて小山になったのだそうだ。自然にできた山としては日本で1番標高が低く、登頂に1分かからない。ネタになるかと思っていたのだが、このために引き返すのもどうかとそのまま進んだ。このあたりがもともとは海だったということにも驚く。
ちょいちょい道を間違ってはリカバーしながら1時間ほど歩いて、やっとしっかりした道しるべ(新しめの石柱)が現れた。丁寧にも「大松川橋へ」と記してくれていたので、指示通り「大松川橋」方向へと道路を渡り、続いて「勝浦川橋」へ向かう。相変わらず川の水は底が見えるほど透き通っていて、晴天のおかげもあってか碧色に輝いて見えた。勝浦川は徳島市と小松島市の市境になっている。次に徳島市に戻ってくるのは、2ヶ月後くらいかな。
勝浦川橋を渡ったあと遍路道は右折するのだが、このまま直進して約2km、徒歩30分のところに昨日の(というか今朝出発してきた)ホテルがある。本当は昨日ホテルまで歩いておいてここをセーブポイントにしたかったのだが、色々あってめげたのは前述の通りである。時刻は9:00すぎ、ちょうど2時間のロス。当初の計画では19番立江寺にお参りしたあと、その奥の院である「星の岩屋」なるものに寄ってみたいと思っていてこの時間をみていたのだが、残念ながら今回は諦めることになった。
さて、橋を渡ったら遍路道を右折である。太い県道に別れを告げて住宅地へと入っていくと、雰囲気のある煉瓦造のJRの高架が出てきた。2時間ほど前、文化の森駅に戻る時にこの上を電車で通過したはずだ(ちょっと切ない)。高架をくぐってしばらくすると大規模な道路工事の現場があり、巨大な橋脚が何本も建てられていた。どうやら高速道路を建設中のようで、「国土強靭化対策工事、国土交通省」と書かれた看板に職業(過去)柄つい見入ってしまう。国の事業ともなると受注も大企業なんだなあ。
工事現場を過ぎたあと、「黄色い地図」にはない、より山沿いの道が「Henro Helper」に表示されていたので、敢えてそちらを歩いてみた。先ほど「黄色い地図」の道に拘ったばかりなのにあれだが、要するにできるだけ自然や里山の雰囲気が感じられる道を歩きたいのだ。ここも、住宅地の間を縫う1.5車線くらいの路地と広々とした田んぼが入り混じっていて、いい感じだ。向かいからきた自転車のおばちゃんが、恩山寺さんかい、気をつけてねと声をかけてくれる。
徳島では今時分が田植えの時季らしく、あちこちの田んぼで田起こしをしたり水を張ったりして準備をしている様子が見られた。地元では5月の連休後に田植えを始めるので、ずいぶん早いなと感じる。水門も全開で水路には水がたっぷり流れており、代掻きを終えて植え付けを待つ田んぼたちが水面をきらめかせていた。こういう風景のど真ん中で育ったわけではないのに懐かしいと感じる、日本人の心の原風景である。同時に昨今のコメ事情を思うと、こんな状況でもお米を作り続けてくださってありがとうございますと叫びたくなる(不審者)。
気持ちいい春の風に吹かれつつ田んぼの間の農道を歩いていくと、新居見城趾なるものが現れた。付近に案内の矢印も一応あったが、藪がもりもりで石碑も飲み込まれかけており、踏み入ったら大変な目に遭いそうな気配がする。史跡とか、自治体としては残したいし補助金取って整備はするけど、維持管理は大変だよね、分かる…と謎の親近感を覚えながらその前を通過する。
そこから恩山寺に近づくにつれ、「義経ドリームロード」という看板がぽつぽつ出てきた。小松島市は、源義経が平家討伐(屋島攻め)のために摂津から船でやってきて、最初に上陸したところだと言われている。義経軍はここから弁天山(当時は「弁天島」?)の脇を抜けて昨日回避した峠道「あずり越」を越え(義経が「あずり(苦労し)」ながら越えたのでこの名がついた)、3番金泉寺で戦勝祈願をして屋島(香川県)の方に出陣していくので、高知県へと南下していく遍路道と義経の道の矢印は逆になる。もはや森に戻った新居見城も、この時義経の道案内をした近藤六親家という武将の居城だったようだ。
阿波を通って讃岐に北上したといえば、例の長宗我部元親である。義経といい元親といい、歴史の授業で知識として聞いただけの人物たちがかつてこの地を歩き、この景色を見ていたと思うと、急に血が通ったものに思えてくる。敢えてルートを外して歩いてみたことでこれらの史跡が見られたので、今回の選択は成功だった(違う道を選ぶとえらい目に遭ったり、遠回りした割に特にどうということもなかったり、まあ色々ある)。
「義経上陸の地」の碑を過ぎてしばらくすると、恩山寺への右折の道しるべが見えてきた。新旧さまざまな案内が出ていて賑やかなので、これを見落とすことはないだろう。少し行くとお遍路さんに人気の宿「民宿ちば」もある。マップによるとお宿のすぐ先あたりから古道に入れたらしいが、実際の分岐がひっそりし過ぎ&特に道しるべがなかったので見逃し、山門までのほほんと舗装路を歩いてきてしまった。
10:30、恩山寺の山門(仁王門)に到着。そばに建てられた看板の意図するところがぱっと見で分からずに見入っていると、恩山寺の方から見覚えのあるお遍路さんがちょうど下りてきた。二日前「かどや旅館」で一緒になったおじいちゃんだ。今回から納め札が「赤札(巡拝7〜24回目)」になったというおじいちゃん(Sさん)は教えてくれた。「歩き遍路は山門をきちんと通って参拝しなさいとの案内ですよ」と。
なるほど、と思い山門の正面に向けて(少し道を戻る形になる)歩き出そうとすると、その動きにつられて山谷袋に下げていたお鈴が鳴った。Sさんはその音にすぐに反応し、「とてもいいお鈴ですね」と褒めてくれる。あの時の感動をなんとか伝えたくて興奮気味に切幡寺での顛末を説明すると、Sさんはひとしきり感心してくれたあと、「実はもしかして…欲しそうな顔してたんじゃな〜い〜?」とニヤリ。わー違うんですって、いつかあんな感じのを持ってみたいとは思ったけど、それそのものを欲しがったわけではないんですってば…!でも、そういえば「すだち庵」のオーナーさんにもこんなノリでイジられたのだった。やっぱり欲しそうだったのだろうか…?なんだか自信がなくなってきたぞ…
歩き遍路同士が出会うとほぼ必ず話題にあがるのは、「どこから来たか、何巡目か、通しか区切りか、今日何番まで打つか、どこに泊まるか」である。大阪から来ているというSさん(もちろん7巡目)は、今日のお宿が同じだった。夕食のときにまた会いましょう、と言ってお互い逆方向に進路を取る。
教えてもらったとおり山門を通って参道に入ると、しばらく車道と並走していた歩き遍路道は次第に山手の方へと離れていき、それに伴って傾斜もきつくなっていく。しばしの峠道気分だ。登りになると急激に歩みが亀になり、さっき山門のところで一緒になった若い男子はあっという間に小さくなってしまった。たくさんの仏さまやお地蔵さまに見守られながら5分ほど山道を登っていくと「修行大師像」の背中が見えてきて、境内に到着した。
恩山寺は久しぶりに高低差のある境内だった。境内に入るにも階段、本堂に行くにも階段である。しかしこの1週間で色々と激しい目に遭ってきているため、もはやこれくらいではそこまで苦とも思わなくなってきている。ひょいひょいっと。
ここはもともとは女人禁制のお寺だったそうだ。かつて空海がここで修行をしていた時、故郷から母親の玉依御前が訪ねてきたが、境内に入ることができなかった。そこで空海は七日間の滝行をして女人解禁の祈願を成就し、母を迎え入れて孝行することができたそうだ。真魚ちゃん(空海の幼名)、お母ちゃん思い。そういえば山門の手前にある橋も「母養橋」といった。玉依御前はここで髪をおろして出家したとのことで、本堂と大師堂の間にある御母公堂にはその像と髪とが納められているという。
そして、恩山寺といえば有名なのが「摺袈裟」である。袈裟はお坊さんが着ている法衣のことで、「摺袈裟」はその内側に仏さまを表す梵字や陀羅尼(仏の功徳を説いた言葉)が版木で刷られているものだ。これを持っていればどんな病も治り、悪いことも良いことに変わり(滅罪生善)、棺に入れれば必ず極楽浄土へ往生できるという、生きていて良し、死んでもなお良しのスーパーアイテムである。
恩山寺では全国で唯一この「摺袈裟」をお守りとして授与していて、しかも一度授かれば更新要らずで一生ご利益があるのだそうだ。レアかつ最強かつ期限なし、凄すぎる。昨日はいろいろと取りこぼしをしてしまったが、今日は忘れずに授与してもらった。
納経を終えたあと、ザック置き場になっているベンチに腰掛けておにぎりともみじ饅頭でチャージした。地元の食堂を探すのも旅の楽しみではあるが、都合よく食事にありつけるとも限らないので、お参りのあとに携行食を軽く食べてから出発するスタイルになってきた。面白いものだが、どんなに空いている時でも不思議と途切れることなく参拝客があるもので、人々が思い思いに境内を行き来する様子を眺めながらおにぎりを食べているとなんだか心が和む。陽射しはぽかぽか、お腹はほくほく。この平和な時がいつまでも続きますように。
【19番札所・立江寺(たつえじ)】本尊:延命地蔵
11:30、恩山寺を出発した。遍路道は先ほどの山門までは戻らず、途中で次の札所・19番立江寺へ向かう小道に分岐していく(※)。ここは牛舎の横を通る遍路道ということで界隈では有名らしく、黒い牛さんたちがモフモフ言いながらごはんを食べていた。目視できたのは数頭ほどで、想像していたほどたくさんは飼われていないようだ。検疫上の注意が必要なため、脇を通らせてもらうだけで近づいてはいけない。(※Sさんは牛舎横を通らず県道を使う選択をしたため、山門まで戻ってきていた)
このルートでもそうだったが、歩き遍路道は札所の背後から入ってきて山門から出ていったり、逆に本堂の裏手から次の札所に通じる道が伸びていたりすることが珍しくなく(たどり着くのが大変な札所に限ってこのパターンが多い気がする)、山門から入って山門から退出する、という観光で訪れる時のようなノーマルな形でないことも多い。「お参りを先にしてから後でゆっくり見よう」「今は人が多いから写真は後で撮ろう」が叶わないことがあるのである。
巡礼の道に「あとで」はない。人であれ、景色であれ、食べ物であれ、その時にアクションしないと二度と巡り合うことはできないのだ。出会ったら声をかける。きれいだと思ったら立ち止まって写真に収める。気になるお店があったら覗いてみる。遍路道では「迷ったら、やる」を心がけていた。うまく言葉にできないが、きっと仏教や密教で教えていることの片鱗なんだろうと思う。これは巡礼中に限ったことではなく、むしろ消費してしまいがちな何事もない毎日でこそ大切な心がけのはず、と頭では分かっているのだが…
牛さんゾーンを過ぎた先の看板に従って右折すると、静かな竹林が続いていた。たけのこが皮を落としたばかりの若い竹が多いと見え、鮮やかな緑(まさに「若竹色」)が爽やかで、針葉樹や広葉樹の森よりも明るく感じる。恩山寺の山門のところから始まった「小松島南ロータリークラブ」の案内板はとても丁寧で分かりやすく、迷うことなく歩くことができた。この道も義経の道となっており、敵を警戒しながら登った「弦張坂」、もう大丈夫だと弓の弦を緩めて巻いた「弦巻坂」などの説明板があった。
しばらくは爽やかな竹の葉擦れの音を楽しみながら歩いていたのだが、途中でふと違和感に気づく。
お鈴の音がしない…?
一気に血の気が引いた。落とした…?まさか…!!
いつ?なんで気がつかなかった?何か音がしたはずだ。いや、草の上だったら?探しに戻らないと。どこまで?
心臓が暴れるのを感じながら山谷袋の紐をたぐると、重みがあった。お鈴はそこにあった。ああ…!
思わず握りしめると、ひんやりとした金属の感触が伝わってくる。へなへなと膝の力が抜けた。
よくよくお鈴を見てみると、使い込まれた紐がほつれて、中の玉が落ちてしまったようだった。結び目がさらに緩めば本体も落ちてしまっていたかもしれない。危ない。絶対に失うまい、と急いで本体を山谷袋の底に厳重につっこんで、再び歩き始める。
小さな乳白色の玉はさすがに見つけられないだろう。結願したら、仏具屋さんで新しい玉を見繕ってもらおう。あの音がもう聞けないのが寂しいが、絶対に忘れたりはしない。ずっと心の中で鳴らそう。………。
それからしばらくは放心状態で立江寺までの道をたどった。さっき褒めてもらったばかりなのに、直後にこんなことになるなんて。何より、おじいちゃまに申し訳なさすぎる。いや大丈夫、本体はこの手の中にある、お別れじゃない…。おじいちゃまは今も一緒に歩いてる。
いつの間にか小道の区間は終わっていて、気がつくと車道沿いを歩いていた。立江寺へのラスト3kmは広い県道だ。残り1kmほどのところに仕掛花火の工場があって、広々とした緑地に愛嬌のあるお遍路さんや動物たちがディスプレイされていた。楽しげに躍動する動物たちを見て、少し心がほぐれる。
そのすぐ先に「お京塚」と刻まれた大きな石碑が出てきて、広い敷地の奥には桜に囲まれた立派なへんろ小屋があった。ここには次の立江寺に由来(因縁?)のある「お京」という女性を祀ったお堂(お京塚)があったが、老朽化の改装に伴い平成25年(2013年)にへんろ小屋として整備されたとのことだ。
お京さんは江戸時代(1800年頃)の人で、不倫相手と共謀して自分の夫を殺害したのち、心中しきれず四国遍路を始めた。しかし立江寺でお参りしようとした際に仏罰が下ったため、ふたりは悔い改めて終生をここで隠棲したという。そんなエピソードをもつお京さんの最後の地に「結婚相手探します!」の看板が掲げられているのが物凄くシュールに思えるのだが、これは一体…。
民宿「鮒の里」の前を通ってしばらく行くと、立江寺への分岐が現れた。ここでいったん左折して19番立江寺にお参りし、また戻ってきて今度は20番鶴林寺に向けて直進する(立江寺は山門から入って山門から出る、ノーマルパターン)。立江川を渡る「白鷺橋」は「ここに見張りの白鷺が止まっている時はこの橋を渡ってはいけない」という伝説のある橋で、もともとは雰囲気のある赤い欄干だったが、最近付け替えられたらしく古い方の橋の橋脚だけが残されていた。
橋を渡った先にはいくつかお店が立ち並んでおり、「たつえ餅」「立江だんご」の看板が気になったが、あいにく店頭に人がおらず食べてみることができなかった。昨日に引き続き、地元名物とのこ゚縁にはなかなか恵まれないようだ。
12:40、立江寺に到着した。立江寺は四国霊場のなかでは珍しく電車の駅が近くてアクセスが良いためか、多くの参拝者で賑わっていた(朝に見送った逆方向の電車に乗っていれば、なんと10分ちょっとで立江駅に着けたらしい。歩き遍路とは…笑)。聖武天皇が光明皇后の安産を祈願して建立したとされ、ご本尊の地蔵菩薩は地元では「たっちぇ(立江)の地蔵さん」と呼ばれて親しまれているそうだ。最大200人泊まれるという立派な宿坊があるのでお遍路さんにも人気のようで、杖立てがこんなにみっしり金剛杖で詰まっているのを初めて見た。
住宅地の中のお寺なのでこぢんまりした境内を想像していたが、思っていたよりも広々としており、ちょうど満開だったサクラソウの濃いピンクに彩られて華やかな印象だ。本堂は昭和49年に焼失したため再建された新しいものだというが、重厚な二層の木造建築が素晴らしかった。時代的にコンクリート造になってしまってもおかしくなかっただろうに、当時の関係者はがんばったんだろうな。内陣の絵天井も東京藝大の教授などが参加して描かれた見事なものだそうだが、事前にそのことを知らなかったため見逃してしまった。ちなみにご本尊は例の長宗我部の兵火も、この時の火事も乗り越えて無事だったとのこと。
立江寺は四国4県それぞれにある「関所寺」の総本山で、「悪人は関所寺の境内に入ることができない」と言われているそうだ。お参りできたので、「いい人」に認定してもらえたと思って良いのだろうか。その他の関所寺は27番神峯寺(高知県)、60番横峰寺(愛媛県)、66番雲辺寺(香川県)とのことで、あとから思い返すと確かにこれらは皆どこか厳然とした雰囲気をもつ札所だった気がする。この中では立江寺が一番ほっこりしている印象なのだが、さすがは総本山で、厳しい仏罰を与えた伝説がある。それが、先ほど出てきたお京さんなのだ。
お京さんは夫殺しという悪行を働いていたので、ここに参拝した時に罰を与えられた。ご本尊を拝もうとした途端にお京さんの髪が逆立ち、本堂の鐘の緒に巻き付いて捩じ上げられてしまったのだ。何事かと問いただした住職に泣きながら懺悔したところ、頭皮ごと髪が剥ぎ取られていき命だけは助かったのだという。お京さんと不倫相手は悔い改めて出家し、京塚庵で地蔵尊を拝んで生涯を過ごした。本堂の隣にある「黒髪堂」にその「肉付鐘の緒」が祀られているのだが、けっこう生々しいと聞いていたので、覗かないことにした。
納経を終えたら軽食タイムである。ツナマヨおにぎり、バナナ、緑茶でひと息ついた。くっきりと青い空とピンクの芝桜の対比が美しい境内、楽しげに行き交う人々、それを眺めながらお腹を満たす、お気に入りの癒やしの時間。
でも、頭の中ではお鈴のことがぐるぐると巡っていた。あの時、なんであのまま振り返らずに進み続けたんだろう?土の部分は1kmもなかったのだから、せめて200m〜300mでも戻って玉を探してみればよかったのに…立江寺に近づけば近づくほど定期的に湧き上がってきたこの悔恨。でも、もうここまで来てしまった。さすがにここから引き返す時間はない。後悔先に立たず。遍路道に「あとで」はない。
お鈴への未練を胸の底に残しつつ、のそのそと出発の支度を整えた。これから向かう「櫛渕真念道」への分岐点と、最寄りの郵便局の場所をチェックする。真念道は、地元の保存会によって令和元年(2019年)に復元整備された「新しい古道」だ。県道ルートよりも少し(500mくらい?)距離が長くなるが、峠道派の私はもちろんこちらを選択する。
そろそろ現金の残高が寂しくなってきた。この先は山がちの地域に入るので、お参りグッズ同様こちらも補充しておかなければならない。昨日から各地の郵便局(ATM)をチェックしていたのだが、場所が微妙だったり、営業時間外だったりしてなかなか実行できなかった。幸いなことに、立江寺を出てすぐ(橋を渡る手前)に郵便局があるようなので、そこでお金をおろしてから次へ向かおう。
(現金用口座は、郵便局と連携していて手数料無料で出金できる銀行を使っていた。遍路道はいわゆる中央郵便局みたいなものを通ることは少なく支店?ばかりなので、ATMも土日は休み、営業時間は10:00〜17:00というところが多い。もちろん手数料を払えば24時間コンビニで引き出せるが、それは負けた気がするので郵便局を駆使した。)
櫛渕真念道
13:40、立江寺を出発。ちょうど山門を出ようとしたところでヤマさんと一緒になった。ヤマさんも真念道を歩くつもりとのことだったので、お宿も含めこれからの行程は同じになる。白鷺橋を渡っていくヤマさんを見送ってから、まずは立江郵便局へ寄り、無事現金をゲット。よかった、これで今日のお宿に泊まれる(ちょっとギリギリすぎた。笑)。
そこからお宿の送迎の待ち合わせ場所である道の駅までの11km弱の間、ずっとヤマさんの5分くらい後ろを歩いていたと思うのだが、その姿は全く見えなかった。四国はスペインに比べて歩いている人はとても少ない印象だが、住宅や森に遮られて見えないだけで、体感よりはもう少し人がいるのだろうか。(スペインは平原が多いので、ずーっっと先まで前を歩いている人が見えたりする。もちろん、360度見渡せる平原で自分ひとりだけの時もある。)
白鷺橋を渡ったら、先ほどの分岐を鶴林寺方面へ進む。立江寺を出てから15分ほどで「櫛渕真念道」への入口が現れた。赤い塗料が眩しいくらいの新しいへんろ札がたくさん立てられていて、とても分かりやすい。でかでかと書かれた「マムシに注意!!」の看板に慄きつつ足を踏み入れたが、地元の方の生活道でもあるらしく、民家と竹林、そしてみかん畑の間を縫いながら続く、とてものどかな雰囲気の道だった。
この道は江戸時代からのへんろ石も残る古道だが、遍路道としてはあまり知られておらず、県道(28号線)を歩いていくお遍路さんが多かったそうだ。住民にも歴史を知る者が少なくなってしまい、このままでは失われてしまうのではと危機感を覚えた「鮒の里」のご主人が保存会の結成を呼びかけ、道しるべを設置するなどして整備してくれたのだ。
この道が「真念道」と名付けられたのは、江戸時代初期の高野聖である真念法師(生年不明〜1692頃没)が設置したとされるしるべ石が3基ほど残っているためだ。
真念は弘法大師への信仰が篤く、20回以上も四国霊場を巡拝したと伝えられている。そして、弘法大師の偉大さをより世の中に広めようと、各霊場の場所や境内の配置、そこまでの道順や宿のある村、さらには巡拝の作法や旅の持ち物までも記した『四國邊路道指南』を出版した。これは初めての四国遍路ガイドブックと言われており、それまで庶民には縁遠かった四国遍路がこれによって一気に普及したとされている。
この指南書で特筆すべき点は、霊山寺を1番、大窪寺を88番と決めてしまい、八十八箇所の霊場番号と各霊場の御詠歌を定めたことだ。それまではどこが何番ということもなく、札所の総数も曖昧だったらしい。なかなか思い切ったものだとも思うが、いま当たり前だと思っている四国遍路のスタイルは、この時に原型ができて今日まで受け継がれてきたのだ。
それ以外にも、遍路に宿を貸してくれる人を募ったり、道しるべを200基以上も設置したりと(現存は約30基とされている)、真念の活動によって四国は一般人にも歩きやすくなった。私たちは「四国遍路の父」真念が作った道を歩いているとも言えるのだ。
なだらかな小山をひとつ越えて下りてくると、道路の建設現場に行き当たった。今日はやたら道路工事が多いなあ、と思っていたのだが、道中の説明板によると徳島県南部〜高知県にかけて(まさにこれから歩いていく区間)は「高規格道路のミッシングリンク」と呼ばれているらしく、災害時に緊急車両の交通が確保できない恐れがあるため、複線化・多重化を行っている最中のようだ。だから工事名が「国土強靭化対策工事」だったのか。
実際このあと四国の南半分を歩くにつれ、道路工事が盛んに行われているのをよく見かけた。工事に伴って遍路道もいったんぶった切られてしまうが、新しい道路の横っちょや橋脚の足元を縫うように歩き道が繋げられていて、これって四国にしかない配慮だよなあと思ってしまった。計画策定の時に「ここには遍路道があるんですよ」とかやり取りされているんだろうか、などと妄想が膨らむ。
工事現場から先は1.5車線くらいの舗装路が続く。15分ほど歩くと、「櫛淵天満神社」の手前にひとつ目の真念さんの道しるべがあった。茂兵衛さん(明治〜大正)の道しるべよりも小ぶりで、石の色も白っぽい感じである。あとで知ったが、このひとつ目の道しるべは地面に固定されていなくて、手で抱えて持ち上げられるそうだ(笑)。その傍には再整備の際に立ててくれたと思われるへんろ札もあった。新旧さまざまな道しるべに助けられて、遍路たちは歩いていく。
真念さんの道しるべを過ぎた先で一瞬県道ルートに合流するところがあったのだが、そのわずか350mほどの間にまたまたお大師さまの采配があった。前から走ってきた軽自動車のお母さんが「これどうぞ!スーパーで買った安いやつやけど〜」とパックの苺をくださったのだ!えっっ??と思っている間にその車は軽快に走り去ってしまった。意外に長い真念道に疲労感を覚えていた矢先、つやつやの苺たちがいっそう輝いて見える。(安いやつとか、絶対うそ。優しいな。)
苺を抱きしめつつ歩いてほどなく県道と別れ、再び住宅地の間を縫う小道に入る(この分岐に真念さんのふたつ目の道しるべがあったらしいが見逃した)。このあたりは椎茸の栽培が盛んなのか、「櫛渕椎茸組合」と書かれた倉庫がたくさん並んでいた。倉庫群の先はまた竹林で、なだらかながらもちょっとした丘のようになっている。切り通しを抜けると小さな集落があり、ここにも水が張られた田んぼが広がっていた。
田んぼの間の農道をてくてく進み、矢印に従って角を曲がると、明日にでも田植えをするのだろうか、おばあちゃんが田んぼの土手を丁寧になおしているところだった。この道はほとんどお遍路さん来ないんだけどねえ、さっきひとり男の人も行きよったけど…とおばあちゃん。ふふ、ヤマさんだな。
おばあちゃんの田んぼを越えた先に、お地蔵さまの祠とみっつ目の真念石があった。さらに200mほど進むともうひとつお地蔵さまの祠があり、ここで里山ゾーンは終了。そこからは、向こうの勝浦の集落に抜ける小さな峠をひとつ越えていくことになる。時刻は15:00を過ぎ、日が傾きだした。風も出てきて、肌寒くすら感じる。少し心細くなって、ここでイチゴ休憩を取ることにした。気持ちが温まる何かが欲しい。
ずっと胸に抱えてきたパックのフィルムをそっとはがす。ビタミンカラー全開で輝く苺たちを見ると、あのお母さんの笑顔と溌剌とした声を思い出して顔がほころんだ。新鮮な苺は瑞々しくて、甘くて、ちょっとだけ酸っぱい。もうひと踏ん張り歩く力をおくれ…とひとつ、またひとつと優しさの塊を口に運んで気持ちが上がったかと思いきや、お鈴とおじいちゃまのことがまたふいに頭に浮かんできて半べそになる。情緒が不安定すぎるが、もう、今日は仕方がない。
ふたつめのお地蔵さまを過ぎてすぐにため池があり、その先から再び竹林が始まった。恩山寺以降はほとんど竹の中だった今日の峠道、ラストスパートとなったこの竹山は始めのうちは緩やかな上りが続いていたが、コンクリート舗装から土道に変わった途端に傾斜が急になった。最後は頂上までまっすぐな1本道で、一面に降り積もった竹の葉っぱがスルスル滑って地味に脚の疲労に拍車をかけてくる。長い坂を登りきると突然竹林が終わり、視界が開けて、これから向かう勝浦町の家並みを眼下に望むことができた。
そこを頂点にして、あとはなだらかな下り道。西側の斜面に出てきたので陽射しも復活したように感じられ、さっきお地蔵さまのところで襲ってきた焦りや心細さも引っ込んでくれた。お日さまの力は偉大だ。里に降りて田んぼの中ののどかな道を進むこと20分、茂兵衛さんの道しるべが見えてきて、もとの県道ルートと合流した。真念道の古道を抜けたようだ。時刻は15:35。入口から5.7km(最後ちょっと違う筋を通ったみたいで200m伸びた)、所要時間は1時間40分だった。
気持ち的にはここで終わった感満載だったのだが、立江寺から道の駅までは10.7kmなので、まだあと4kmは歩かなければならない。1時間強だろうか、あまり遅くなってはお宿に迷惑をかけてしまうので、サクサクいこう。最終的にはどうしても太い県道(16号線)沿いを歩くことになるが、できるだけ車通りがない畑沿いの道を選んで道の駅へ向かった。
先ほど書いたとおり、もともとの計画ではこのあと「星の岩屋」(星谷寺、19番立江寺の奥の院)に寄ってみるつもりだった。道の駅の北約3kmにあり、その昔人々に災禍をなしていた悪星を空海が地上に引きずり下ろして封じ込めたという伝説や、裏側から滝を見られる「不動の滝(裏見の滝)」、数々の不動尊、仏陀石など、神秘的で見どころも多そうだったので気になったのである。何より名前がかわいい。このために昨日がんばって距離を稼いでおきたかったのだが、またの機会に持ち越しとなってしまった。ちなみに19番立江寺の奥の院なのに、納経は20番鶴林寺で扱っているという不思議な関係。
畑沿いの道もついに県道に合流してしまい、ラストの2kmちょっとは観念して交通量の多い車道の脇を歩く。無になりながら歩くこと30分、やっと道の駅の看板が見えてきた。その支柱の足元には、明日行く予定の別格3番霊場・慈眼寺の看板がひっそりと掲げられている。おお、珍しく別格の案内がある、と思って近寄ってみると、お遍路さんの絵がやたらリアルだった。「km」が印字で距離の数字が手書きなのが面白いが、どうしてこうなったのだろう。
案内看板から10分ほどで、ようやく道の駅「ひなの里かつうら」に到着した。16:35、真念道を出てからジャスト1時間。まずは自販機に駆け寄って水分補給だ。午後ティーを一気飲み、糖分が干からびた体に沁みわたる。お宿に到着の旨を連絡をすると、お迎えはもうひとりのお遍路さんと合同でだいたい17時頃になるとのこと。お迎えを待つ間に道の駅を探索して、明日の分のお茶とおやつも確保した。
勝浦町は地域をあげての活動が盛んで、この道の駅でも地元食材を使ったマルシェなどのほか、年間を通して様々なイベントが開催されている。なかでもメインのイベントは、高さ8mのひな壇を抱える「元祖ビッグひな祭り(&桜まつり)」と、夏休みに行われる「阿波かつうら恐竜フェスティバル」だ。
このあたりには恐竜の骨や歯の化石を含む地層としては国内最古級(約1億3000万年前)の地層があり、四国初となる恐竜の化石は勝浦町で発見されたとのことで、恐竜クラフト作りや化石発掘体験など恐竜関連のイベントが頻繁に開催されており子どもたちに人気らしい。道の駅に着いて一番最初に目に飛び込んできたのは愛嬌のある恐竜のモニュメントだったのだが、そういうことだったのか。
17時過ぎ、お宿から送迎の車が来てくれた。同乗のお遍路さんは誰だろうと思っていたら、なんとヤマさんだった。イチゴ休憩などをしている間にもうだいぶ先に行ったのだろうと思っていたのだが、途中で少し迷ってしまったとのことだ。「真念道」、気軽に行ってみたけど長かったです…、と感想を言うと、大いに共感してもらえた。
本日のお宿に到着!
17:20、お宿に到着。「ふれあいの里さかもと」さんは、平成11年に閉校した坂本小学校をリノベーションした農村体験型宿泊施設である。もともと学校なのでホールや階段の造りはゆとりがあり、廊下の突きあたりに理科室っぽいものがあったりして間取りに懐かしさを感じる。案内してもらった部屋はもともとは職員室だったとのことだ。各部屋には地元で採れる柑橘類の名前を冠しているといい、プレートには「ゆこう」と書かれていた。
荷物を置いたら、例によってお風呂である。「学校を改装した施設だし、まあ申し訳程度のものだろう」という思い込み(失礼)のもと扉を開けてみてビックリ。箱庭のある浴場は想像の5倍は広々しており、お湯にはブクブクとジェットバスの泡が出ていて温泉気分満点だった。実は日帰り入浴もしているそうで、納得の設備である。もう一人の女性の宿泊客(お遍路さんではなさそうだった)は少し到着が遅れているようで、またもや貸し切り状態で温冷浴に勤しむ。なんだかんだでこの日の歩き距離(26.4km)は四国巡礼中で1、2を争う長さだったのだ。がんばった…。
18:30、食堂にて夕ごはん。食事も給食室っぽいところから配膳台で運ばれてきて、ちょっとテンションがあがった。お遍路さんは自分を含めて6人で、知っている顔は3人だった。ヤマさん、Sさん、そしてクリストフは「すだち庵」で一緒だったサンタさんのようなカリフォルニアマンだ。例によってお遍路話に花が咲く。みな明日は焼山寺に次ぐ「阿波へんろ転がし」、すなわち20番鶴林寺、21番太龍寺に登る予定とのことで武者震いしている。私はこのお宿に連泊し、明日は別格3番霊場・慈眼寺にお参りするため、みんなからは一日遅れとなる。
そろそろ明日に備えようということで、20時前にはそれぞれの部屋に戻る運びになった(みんな同じ並びだが)。ふとスマホを見ると、トナリさんから写真が届いていた。29番国分寺の満開の牡丹に、32番禅師峰寺からの絶景だ。ちょうど牡丹の見頃の季節で、地元のテレビ局が取材に来ていたという。私が竜馬像に対面できるのは2週間後くらいだろうか。さすがに散ってしまっているだろうなあ。
お風呂が22時まで使えるので、もう一回入りに行くことにした。脚がとにかくだるいので、できるだけほぐしておきたい。お風呂から戻る時少し寒かったので、廊下に置かれていた半纏を一枚借りた。これを着込んで、明日の準備だ。連泊の場合は荷物を置いておけるので、明日はザックではなく、街歩き用に持ってきていたリュックサックを使うことにする。スペインの時と違ってなかなか出番がなかったリュックをザックの奥底から引っ張り出して、水や食糧、雨具など必要最低限のものを詰めて荷造りをした。今日は日付けが変わる前に寝られそうだ。
電気を消す前に、山谷袋の底にお鈴があるのをしっかり手で触って確認する。夕食のとき、Sさんにあのあと起こった事件についても話した。私があんまりにもしょげていたものだから、お鈴の玉が落ちてしまうのはよくあることで、50円玉や5円玉で代用している人も多いですよとSさんは慰めてくれた。お遍路が終わるまではそのようにしてみるか、本体まで失うのは恐ろしすぎるのでカバンの中にしまったままでいくか…、とりあえず明日は厳重に山谷袋の底に入れていくことにした。
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