お鶴と龍、そして無念の舎心ヶ嶽

「ふれあいの里さかもと」さんから鶴林寺登り口まで送迎していただき、焼山寺に続くへんろ転がし「お鶴と龍」を登る。鶴林寺まであと20分ほど、というポイントで、今登っているこの山を向こう側の麓まで降りて川を渡り、対岸に見える山を再び登った頂上に太龍寺があるという絶望を目の当たりにできる(↑)。
太龍寺までの道は、最後に怒涛の登り階段。個人的には焼山寺よりこっちのほうがきつかった…。口呼吸しすぎて喉をやられ、この後10日ほど咳が出て苦しんだ。太龍寺から平等寺に向かう「いわや道」を急ぐあまり、せっかく舎心ヶ嶽を通ったのに「修行大師像」がある岩山に気づかず素通りしてしまったのが心残り。
| 日付 | 2025.04.18(金) |
| 天候 | 曇りのち晴れ(14℃〜22℃) |
| 20番鶴林寺〜21番太龍寺(37,946歩/21.1km/↑1441m ↓1458m/9h15m) | |
| 行程 | 06:30 朝食 07:15 「ふれあいの里さかもと」出発(鶴林寺登り口まで車送迎) 07:30 鶴林寺登り口発 → 20番まで3.1km 08:50-09:30 20番鶴林寺(滞在40分)→ 21番まで 6.7km 12:25-13:40 21番太龍寺(滞在75分)→ 22番まで 10.9km 13:55 舎心ヶ嶽 14:00 いわや道〜14:30 平等寺道〜15:15 阿瀬比集落〜15:35 大根峠入口 16:40 22番平等寺(お参りは明日) 16:45「山茶花」チェックイン 18:00 夕食 |
| お宿 | 山茶花【 個室2食付き ¥8,000/8室/15:00〜 】 (4/13 20:15 tel予約) |
| 費用 | 食 費 ¥510(おにぎり¥200、ジュース¥310) 納経料 ¥500✕2寺 洗濯代 ¥ – 宿泊費 ¥8,000 合 計 ¥9,510 |
【阿波へんろ転がし「お鶴と龍」について】
・標高ランキング:20番鶴林寺7位(500m)、21番太龍寺6位(520m)
・鶴林寺への登り口を入ったら、約21km先の22番平等寺に着くまでほぼ山道、お宿も売店もないので注意!
(太龍寺の境内、阿瀬比の集落に辛うじて自販機あり。食糧を調達できるところはない)
・鶴林寺、太龍寺への遍路道は「階段」の印象が強い。個人的にはそれが焼山寺より(精神的に)きつかったが、ほとんどの人は山門に着いた時「おお、焼山寺よりはマシだったな」という感想を持つと思われる。
・太龍寺に着いて終わった気になるが、実はそこから平等寺までのほうが距離が長いという罠がある。
【この区間の罠ポイント】
・鶴林寺も太龍寺も山寺のうえ完全に一方通行(山門に戻ってこない)なので、特に山門から境内までの写真は気の済むまで撮っておきましょう。
・太龍寺の境内が超広大。山門から本堂まで10分はみておいたほうがよい(もちろん階段あり)。
・太龍寺から平等寺に向かう「いわや道」の入口には「14:00までに入ること」という警告がある。太龍寺を13:30には出られるスケジュールを組むこと(舎心ヶ嶽の岩山にも登るつもりなら13:00)。
・「いわや道」の入口に「阿瀬比集落まで5km」と書いてあり、一瞬「もうすぐじゃん!」と思うが、これは中間地点であり、平等寺までは全部で約10km(約3時間)ある。余裕をかましていると日が暮れてくるので注意。
【舎心ヶ嶽(太龍寺)】
・太龍寺ロープウェイ駅の脇からミニ四国八十八箇所の坂道を登って、左側に弘法大師が山々を見下ろして座す岩がある。鎖場か回り道で岩の上まで行き、大師の隣で一緒に景色を見ることができる。せっかく近くまで来れていたのに、右(山側)ばっかり探していて気づけなかった…無念。
【第20番札所・鶴林寺(かくりんじ)】本尊:地蔵菩薩
5:30、起床。今日は「へんろ転がし」の日だ。「一に焼山、二にお鶴、三に太龍」と言われる阿波三大へんろ転がし。12番焼山寺に次ぐ歩き遍路の難所「お鶴と龍」、すなわち20番鶴林寺と21番太龍寺は、それぞれ標高が500mと520m。山が違うので、二回山登りをしなければならない。また周辺に宿も商店もないという事情から、へんろ転がされた後に22番平等寺までの約11kmを歩ききらねばならないという、持久戦の要素も兼ね備えている。
山登りに備えて入念にマメ対策をした。今回の歩き旅では足のマメ防止に「Protect J1(プロテクト ジェイワン)」という皮膚保護クリームを導入してみたのだが、これがヒットだった。スペインの時はマメができやすいポイントに毎日予防の絆創膏を貼っていて、スーパーで買い足すものといえば絆創膏だったのだが、今回はこれのおかげで絆創膏をほとんど使わずに済んだ。朝起きたら靴下を履く前にまずこのクリームを足の指から踵まで塗り込んで、乾かしながら着替えや歯磨きをするのが「朝のルーティン」になっていた。(※乾かして保護膜を作る仕組みなので、雨の日はふにゃふにゃになって意味がなくなるのが弱点。)
6:30、朝食。ひとりだと「今日のへんろ転がし、どんな感じなんでしょうね」みたいな会話をしながら不安を共有する相手がおらず心寂しい。部屋に置いてあった旅のノートにお礼を書いて、7:00に退室した。ふた晩お世話になった「ゆこうの間」はもはや自室のようで名残惜しい。
7:15に「ふれあいの里さかもと」さんを出発した。昨日4人を乗せて走ったバンは、今日は貸し切りである。7:30に鶴林寺の登り口に到着、約3km先の「お鶴」に向けていざ出発である。お宿のお兄さんは、カーブを曲がって姿が見えなくなるまで手を降って見送ってくれた。よし、今日もがんばろう。
「鶴林寺まで3.1km」と書かれた登り口からしばらくは、川沿いの住宅地を山に向けて歩いていく。前方に見える、あれが鶴林寺のあるお山(鷲が尾)かな。だんだんと民家がまばらになり、両脇に果樹畑が広がるようになってきた。一部にまだ実が残っていて、これがミカンだと分かる(温州ミカンではなく、もっと大きいやつ)。勝浦町はミカンの一大産地でもある。
途中で飲み物の展示があった。ミカンにカボス、ぶどう、もも。郵便局で販売中と書いてくれてあるが、最寄りの郵便局はどこなのだろう。道の駅「ひなの里かつうら」を後にすると、郵便局どころかコンビニもないエリアが何十kmも続くのである。(このあとの道のりでメンタルを削られまくって疲れ果て、このジュースのことはすっかり忘れていたのだが、約2ヶ月後に金比羅山の郵便局でお接待していただき思い出すことになる。)
10分もいかないうちに、いい感じの分岐が現れた。歩き専用道のようになってきたが、軽自動車ならがんばれば…という幅で、しばらくは舗装がされている。鶴林寺道は基本コンクリート舗装なのかな?土の道の方が足には負担がないのだけれど。道の脇には今日泊まる予定の民宿「山茶花」さんの看板が。遍路道には時々お宿のPRが掲げられている。チキンの私にはできないが、こういうのを見て飛び込みで今晩の宿を決める人もいるのだろうか。
鶴林寺への遍路道は案内がもりもりあった。おなじみのへんろ札、「四国のみち」の矢印、ロータリークラブの看板、そして木の板に手書きで書かれた味のある道案内など。分岐を間違えた場合、「ここは遍路道ではありません」とお知らせまでしてくれる。「過疎高齢化によりゴミ拾いをする者もいないので、お持ち帰りください」といった切実なものもあった。歩き遍路のために道を維持してくれることがどんなに大変なことか。「鶴林寺道」は、地元の方の長年の保全活動が評価され、遍路道で初めて国の史跡に指定された道なのである(2010/平成22年指定)。
ちなみに朝イチから今日の大ヒットとなった看板は↓。状況はイメージできる気はするが、「車が落ちてきます」ってなんだろう?笑
引き続きコンクリート舗装路を上っていくと、仁王門っぽい形をした休憩所とトイレ(工事現場にある感じのもの)があった。まだ歩き出して20分も経っていなかったので、休憩は取らずそのまま進むことにする。ここで迷う人が多いらしく、奥の壁には大きく道順が刻まれていた(車道に出たあと、ちょっとジグザグする)。この休憩所はかつては立派な茅葺き屋根だったらしいが、残念ながら撤去されてしまったのか、ツルンとした簡素な屋根になっていた。
車道から脇道に上ったあとは、しばらくミカン畑に挟まれた小道をいく。しかし、最初に通ってきたあたりとは違って畑は荒れ放題だった。1,2軒ほど廃屋が残されてるのみで民家もなく、道が舗装されている分かえって侘しさが際立つ。昔はミカンを満載した軽トラックがここを行き来していたのかな、などと想像しながら歩いていく。
今日から山谷袋の掛け方を改良してみたのだが、安定して歩けていい感じだ。本来はザックの肩紐のツメ(留め具)に山谷袋の紐を引っ掛けるらしいのだが、自分のザックはその部分の出っ張りがあまりなくて歩いているうちに滑り落ちてきてしまう。思い切ってもっと引き上げて、肩紐が付いているてっぺんの骨組みに引っ掛けてみると、山谷袋本体がだいぶ身体に密着する形にはなるが、ある意味前後からサポートされて歩きやすい。小銭入れもお賽銭を出しやすいところに移動。だんだん快適さを求めてポジションが固まってくる。
登り口から30分、完全に車の通れない幅の歩き道に入った。ここから竹林になり、古道の雰囲気満点だ。最初の100mほどの登り道は、コンクリートで舗装された急坂の脇に階段も付けてくれているバリアフリー登山道(?)になっている。初めて見る形式だ(この後もあんまり見なかった気がする)。どっちが楽か試してみたが、登りなら階段のほうがマシかな…?
ここには「水呑大師」の祠がある。弘法大師が杖を突くと水が湧き出し、渇水の時にも枯れたことがないという水脈で(弘法大師あるある)、階段を登りだしてすぐに柄杓が置かれた水飲み場があった。補給ポイントのない今日のルートでは貴重な水源である。祠は水飲み場からさらに少し登ったところにあり、その前は小さな休憩スペースになっていて、「阿波遍路道」の説明板が設置されていた。前述の国の史跡「鶴林寺道」はこの「水呑大師」から鶴林寺の境内までの約1.3kmを差すようだ。
ちなみに、今日歩くルート「鶴林寺道・太龍寺道・いわや道・平等寺道」はどれもその一部が国指定史跡となっている。特に「鶴林寺道」には、鶴林寺の境内を起点に南北朝時代(北朝)の年号が刻まれた11基の丁石が残されており、確認できる年号としては四国遍路で最も古いとされている。石も現在は採れない六甲山系の花崗岩(御影石)でできているそうだ。鶴林寺と太龍寺の境内も四国遍路の札所寺院として始めての指定(2017/平成29)を受けており、歴史の重みを感じられる道なのである。
さてそんな「鶴林寺道」であるが、「水呑大師」と説明板の間から伸びる石の階段に不穏なものを感じる。忘れかけていたが、そう、今日は「へんろ転がし」だった。
きたか?きたのか?
きたああぁぁ
ここから鶴林寺までの約50分は、ほぼ階段のひたすら登りだった。終わらない。終わりが見えない…!
ただ道の雰囲気はさすがに指定第1号なだけあって、幽玄静謐を感じる素敵な古道だった。そして、ビックリするくらい誰にも会わない。そういう意味でも雰囲気満点だった。
鶴林寺道は南北朝時代の道しるべが有名だが、それらは小さな石柱に「◯丁」とだけ刻まれた無骨で実用的なものだ。それに反して、江戸期以降に建てられたと思われる道しるべはどれもいちいちいかつくてかっこいい。大きめの黒っぽい石に凝った字体で案内が彫り込まれており、由来や施主について朗々と長文が刻まれているものもあって粋を感じる。
水呑大師からひたすら登ること約20分、車道と交差した。不思議なことに、脇のベンチにザックだけがどーんと置いてある。今日始めての他のお遍路さんの気配だ。近くに誰かテントでも張っているのかと思ったが、そうでもなさそうだった。なんだろう?
昨日の慈眼寺でもそうだったが、歩き遍路道は「山道を登ってきたら最終的には車道に合流してそのまま境内」、というパターンがけっこう多い。しかし「へんろ転がし」の鶴林寺道ではそうはいかない。車道と歩き遍路道は「串刺し」状態になっており、「車道見えた!…まだ山道登るんかーい」というのを最後まで繰り返すことになった。
登っても登っても終わりの見えない階段をヒーハー言いながら辿っていると、ふいに木立が途切れて景色が見渡せるようになっていた。ベンチもある。わー川が見える、と思って近づいてみると手前に何やら看板が。その宣うことには、”ここから太龍寺までのへんろ道を紹介するよ!下に川が見えるよね。そこの橋を渡った向こうの山の、一番てっぺんが太龍寺です♪ふぁいとー”
なんと、やっとここまで登ってきたのに、このあとこれを全部降りると。そして対岸のあの山をまた登ると。おおおおぉ…
展望スポットによくあるような「ここから◯◯山や△△湾が見えます」みたいな看板かと思っていたら、いや、確かにそれには違いないのだが、なかなかに絶望的なものを見てしまった。山ふたつというのは分かっていたし、焼山寺でも登って下っては2回繰り返したが、まさか稼いだ標高がいったんゼロになるとは思っていなかったのだ。「お鶴と龍」は階段登りもさることながら、精神力を試される「へんろ転がし」だったのだ。
打ち拉がれながらしばらく階段を登った先、六丁石を過ぎたあたりから石畳が始まった。ここから境内までは見事な石畳・石階段が続き、南北朝から660年の年月の積み重ねを感じる。すばらしい景観だ、と思うと同時に、意外に足場が悪くて足首を捻るのではないかと慎重になる(あと、雨が降っていたらかなり滑りそう)。
再び車道を串刺しにして、まだまだ階段を登る。五丁石のあたりにはかつては通夜堂や井戸があったそうだ。境内へ向けてラストスパートとなるこの区間は、これまでのくねくね道が嘘のようにまっすぐ伸びる石畳が敷かれていた。整然、という言葉が脳裏に浮かぶ。境内から神仏の霊気が流れてくるような、まさしく「参道」である。
石畳を進んでいると、とても軽装のお遍路さんが上から下りてきた。もしやと思って尋ねると、やはりあのザックの主だった。置いていったら軽くて楽だよ!と言ってくれたが、あそこまで荷物を取りに戻ったら、そのあとどうやって太龍寺に行くのだろう?
8:50、鶴林寺の山門に到着した。「絶望の看板」からちょうど20分、登り口からは1時間20分だった。鶴林寺の山門は両脇の仁王像にそれぞれ相対する形で2羽の「阿吽の鶴」がいる、独特な形の仁王門だ。その先は苔むした太い杉の並木が続いており、少し焼山寺を思わせる雰囲気だった。鐘撞堂は山門から右手に登った方にあるようだったが、閉まっていて「撞けないタイプ」らしいのでスルーした。
山門から堂宇までは少し距離があり、しばらく歩くと正面に「四国のみち」の看板と、茂兵衛さんの巨大な石柱が見えてくる。手水舎は簡素な作りで、「やましたさん」の柄杓は見当たらなかった。何となく予想した通り本堂に向けては長い階段が伸びていて、最後のひとふんばりと100段くらいありそうなそれを登る。
鶴林寺は、名前の通り鶴に由来がある。空海がこの山で修行をしていた時、雌雄2羽の白鶴が杉の梢に舞い降りて小さな黄金のお地蔵さまを守っていた。これを見た空海は近くにあった霊木で地蔵菩薩像を彫り、胎内にその黄金のお地蔵さまを納めて本尊とし、寺名を鶴林寺にしたといわれる。険しい山の上にあるので例の「天平の兵火」も免れ、深山幽玄の雰囲気を残す古刹である。
仁王門と同様、本堂にも阿吽の鶴が配されていた。香炉のお線香は3人分。参拝者は少なく、静謐な山寺の空気が境内に満ちていた。本堂の脇にはこれまで見たこともないキラキラお目々の小僧さん。トレードマーク(?)の虚ろな瞳に誰かが命を吹き込んだようだが、ちょっと瞳孔が開きすぎてやいないだろうか。
本堂から一段高くなったところに木造の三重塔があった。数段の階段を登るのをためらって遠くから伺うだけで済ませてしまったのだが、江戸時代後期のもので、県の重要文化財に指定されている貴重なものだったらしい。当時の落慶式に使われた儀式用具や設計図面も現存しているそうだ。あとでネットで検索してみたが、物語調の彫刻がぐるりと施されていて楽しそうだった。
本堂でのお参りを終えたら、登ってきた長ーい階段を下りて大師堂へ。大師堂は、知らずに来たらこっちが本堂かと勘違いしてしまいそうなくらい大きくて立派だった。独り占め状態だったので、ゆっくりお経を唱えてこの時間を味わう。読経もだいぶ板についてきて、ちょっと気持ちも込められるようになってきた。なにより、これを読んでいる間は堂内の最前列でご本尊やお大師さまのお顔を見ていられる超特等席にいることができるのだ(もちろん他の人がいたら脇に避ける)。参拝者を観察していると、一般の観光で来られた人は階段の下でお賽銭をして手を合わせたらすぐお堂を離れていく。おへんろなら、納め札入れが堂内にあるからという名目(?)でずずいと中に入り、一連の作法を行うのに最低5分はお堂に居座ることができてしまう。(誰でもいつまでもいていいとは思うが、何もすることがないと手持ち無沙汰でソワソワしてしまうの分かる笑)
納経所の方によると、昨日はそれなりに参拝があったようなのだが、今日はかなり少ないようだった。後ろに鎮座しているザックを見て、次のお山越えがんばってね、と言ってくれる。まだおにぎりを食べるには早いので、慈眼寺の「め」印飴で軽く糖分を補給して、太龍寺へと出発することにした。
【第21番札所・太龍寺(たいりゅうじ)】本尊:虚空蔵菩薩
さて、鶴林寺でのお参りが終わったら、朝から積み上げてきた位置エネルギーをゼロに戻すイベントの開始である。物理法則なら貯めたエネルギーを失うだけだが、人間の場合は下るにも追加でそれを消費しなければならないのがつらい。
9:30、21番太龍寺に向けて出発した。太龍寺への歩き遍路道は、鶴林寺の本堂へ登る長ーい階段の向かい側から伸びている。案内に従ってその先の道を伺うと、いきなり急降下の階段が始まっていた。崖かな(笑)
そこからはジェットコースターみたいな急傾斜の下り階段が30分ほど続いた。膝膝膝!
鶴林寺山の遍路道を一言で説明すると、これだ。「ギャっと上がって、ガっと下る(関西人)」
鶴林寺から太龍寺、そして「いわや道」にかけては、古い道しるべに時々詳しい説明版が添えられていて興味深かった。普段は「面白そうな道しるべ!」と思っても書いてあることがほとんど読めなくて不完全燃焼になりがちなのだが、これなら分かりやすい。例えば↓の道しるべなら、彫り込まれている文字以外に願主がどういう人であったのかも書いてあって、なんとなくその人柄も偲ばれるものになっている。
30分ほどで車道へと下りてきた。階段のふもとにはこれから登る人のためにと杖がたくさん用意されていたが、果てしない階段が顕わに見えている分、こっちから登る方が気持ち的に嫌だなあ。逆打ちのお遍路さんは大変だ。やれやれ、ここからはしばらく道路かなっと思って振り返るとすぐ先に歩き道に誘導する案内があって、がくり…。下りる方も串刺しか。
この分岐には「←太龍寺 5.3km/↑太龍寺ロープウェイ山麓駅 7.9km」とでかでかと書かれた石柱が建っていた。アスファルト道を直進すれば、魅惑のロープウェイが待っている…。いやいや、もちろん歩き道を行きますとも。と左手に進路をとった途端、谷底かという急勾配で下り続けている階段が見えて腰を抜かした。そうだった、まだ川を渡るところまで来ていなかった。「ガっと下る」は、まだ続いていたのだ。
気を抜いたら一番下まで転がり落ちそうな階段を下ってしばらくは、とても立派な石垣が連なる一角があった。4段、5段と目で見える限りのずっと上のほうまで続いていて壮観だ。平らな部分が多く作ってあるので、みかん畑というよりは田んぼだったのかな?いつ頃放棄されたのだろう、もうすっかり杉林になってしまっている。二度目の急階段を前に少し休んでいたら、カナダから来たというおじちゃんが颯爽と追い抜いていった。
ロープウェイとの分岐から30分ほど下ると神社や休憩所が出てきて、人里の気配がする。ここは大井の集落というそうで休憩所とトイレ(旧大井小学校の施設を解放してくれているもの)があるが、自販機などのエネルギー補給ポイントはないので、本当に中継地点という感じ。
遍路道あるある、民家の軒先をかすめて車道に下りた。久しぶりの広めの道路は県道19号線だ。立派な休憩所(大井休憩所)があり、カナダおじちゃんがパンを食べながら休んでいた。手前の広場には謎のオブジェがあり、虚無なパンダママの表情に思わず引き込まれる。休憩所の横に太龍寺への遍路道マップがあり、それによるとここから太龍寺へは3通りの行き方があるようだ。いわゆる「へんろ転がし」を行く「太龍寺道」(4.2km)、1365年の丁石があり「最古の遍路道」とよばれる「かも道」(8.6km)、そして県道を進みロープウェイを利用する道(7km+ロープウェイ)。
先ほどのロープウェイ山麓駅への分岐も結局この県道に繋がっていたらしく、ロープウェイの案内も書かれていた。全てのお遍路さんへ、ここから太龍寺までは約3km90分、ロープウェイの最終出発時刻は17時です、荒天時には運休の可能性あり、と英語で。うん、外国のお遍路さんが増えているのは知ってるけど、ぜひ日本語でも書いておいてほしいな…。あと、17時のロープウェイに間に合っても納経できないし、もっと言うと帰れないけどな。うん。
10:45、大井休憩所を少し過ぎた先の「水井橋」を渡った。「鶴林寺道」の絶望展望スポットから見た、あの橋だ。鶴林寺からの所要時間は1時間15分だった。龍のように曲がりくねったこの川は那賀川といい、全長125km、徳島県では吉野川と並ぶ大河だという。水質も随一とのことで、曇りがちにも関わらず水がエメラルドに透き通って見えた。そのあまりの美しさに立ち止まって橋の下を覗き込んでいると、横を4tくらいのトラックが走り抜けていった。揺れる揺れる、怖!!そして一方通行でないのも怖!!
この橋は1965年(昭和40年)に架けられたもので、「太龍寺道」を行く遍路たちはそれまでは渡し船でここを渡っていたそうだ。流れが急でしばしば運休するため、ここから少し下流にあり、流れが緩やかで渡りやすかった地点からの道もあった。それが先ほど出てきた「かも道」だ。水井橋ができてから「かも道」は一時荒廃していたが、地元の方の尽力により2013年(平成25年)頃に復活し、往時の様子を色濃く残す道としてこちらも国の史跡に認定されている。
水井橋を渡ってほどなくして、太龍寺への登り口に着いた。「太龍寺道」は鶴林寺の境内を下りるところ(「崖」笑)から始まるが、ここからが登りパートの開始である。説明板のところに「あなん遍路史跡めぐり」というパンフレットがあり、荷物になるので紙のものはあまりもらわないようにしているのだが、写真入りの詳しい説明があり面白そうだったので、あとでゆっくり読もうと一部もらってみた。
山の方に進んでいくと、いきなり不穏な警告看板が。車両通行止め、人間は行っていいのよね?どきどき…
しばらくはコンクリート舗装の緩やかな上り坂が続く。若杉谷川という川に沿っているようで、ずっと水の音がしていて爽やかだ。途中に滝もいくつかあり、その水のきれいさにいちいち歓声を上げながら歩を進める。
11:15(登り口から25分)、清流の脇に休憩所が見えた。わー素敵!とテンションがあがり、ここでお昼休憩にしよう、といそいそと荷物を下ろす。ピクニック気分でおにぎりをひとつパクリ。まだ時間が早いから、もうひとつは太龍寺で食べようかな(※結論から言うとそんな余裕はなかった)。おやつのさつま芋を食べていると、カナダおじちゃんが手を振りながら通り過ぎていった。こちらも手を振って見送る。
食後に周辺を少し散策してみると、「若杉山 辰砂採掘遺跡」と書かれた説明板があった。このあたりでは弥生時代後期〜古墳時代にかけて「辰砂」の鉱石が採掘されており、発掘調査により石臼や杵といった採掘道具や生活用品が大量に出土したのだそうだ。辰砂は赤色の顔料のもとになり、装飾用の銅鐸や土器、埋葬用の石室や棺を彩ったという。や、やよい…そんな昔から、ここに人の営みが。いや、むしろその頃の方がこの一帯は賑わっていたまである。今や酔狂な歩き遍路がたまに通るだけになったこの土地を、その当時からある岩たちはどのように見つめているのだろう。
付近には「四国のみち」の地図つき案内板もあった。遍路道と「四国のみち」は重複している部分も多いのでこのシリーズの地図はよく見かけるのだが、そのたびに思う。かわいい絵柄に「みかん畑のみち」とか「竹林とすだち香るみち」とかポップなタイトルがついており、おでかけウォーキングコースみたいな感じで軽く案内してくれるけど、距離だけで標高を書いていないのは罠だろう…。たまには週末に運動でもするかー、みたいな人が前情報なしにこの看板だけ見て歩いたらだいぶ危険な気がするのだが。
11:35、休憩所を出発した。しばらくは清流に沿って木漏れ日の中を歩く快適な道が続く。太古の昔から(おそらく昭和初期くらいまでは)集落があったからなのか、そういうつもりで見るとこの一帯は他のところよりも平らに開けていて石垣もたくさん残されていた。いかにも家が建っていたと思われる更地もある。川幅が広くて流れも緩やかなので住みやすかったんだろうな。…今は鳥の声しかしない。
道は川から次第に離れていき、11:45、階段ゾーンが始まった。「へんろ転がし・太龍寺ver.」の開始である。そして、これが想像以上にきつかった。ここから約40分間、山門に着くまでひたすら階段。あまりにも景色が変わらなさ過ぎて、写真もほとんど撮っていないくらい、階段。鶴林寺道には所々緩やかな部分もあったのに対し、こちらは見上げるような角度の階段が延々と続いた。金剛杖を頼りに、ただただ、ただ一段一段を刻んでいく…。これが、修行か…。
段の幅や高さは足の長さに微妙に合わず、地味に登りにくい。膝が重くなり、歩みは遅くなり、呼吸が荒くなる。
踊り場を曲がるたびに「いらっしゃいませ」とばかりに元気に伸び上がる階段たちに、ついに声が漏れた。
「も、もう勘弁してくだされ…。」
焼山寺のまとめにも書いたことだが、岩場にガレ場、渓流につづら折りと変化に富み、登ったり下ったり、そして意外にも平らな部分もある焼山寺道より、枯れ葉に埋もれた階段を延々と登り続ける太龍寺への道の方が精神的にだいぶつらかった。
辛うじて気分を変えてくれるのは、たくさんの舟形丁石たち。どれも表情が違い、味がある。崩れたり割れたりしてしまっているものもあり、奉納した人、彫った人、そしてお地蔵さま達それぞれに越えてきた年月があるのだろうな、と思いを馳せる。ただし、数字は増えていくタイプなので山登りの参考にはならない(何丁で終わりなのか知らないので)。
階段パートの開始から40分、やっと山門が見えてきた。それすらも階段に埋もれている。
12:25、鶴林寺を出てから3時間。第21番札所・太龍寺の山門に着いた。
着いたー!!
…着いたのだが、山門をくぐっても一向にお堂らしきものが見えてこない、むしろ山道がまだまだ続いている感じである。途中に鮮やかに咲くシャクナゲなどで気を紛らわしながら5分ほど歩くと、やっとお堂が見えてきた。きた本堂!と思いきや、「護摩堂」と書かれている。その隣の建物は持仏堂。「龍天井」と案内の矢印があったが、ちょうど法要中のようで覗くのを憚られた。納経所が隣にあるので、ここまでは戻って来るはず。あとでもう一度覗いてみよう。それにしても本堂はどこだ。
境内にはまだ桜が咲き残っており、納経所の前には藤棚やベンチなどのんびりできそうな休憩スペースがあって、そこにカナダおじちゃんの姿を見つけた。ロープウェイ効果だろうか、鶴林寺に比べてここはお遍路さんの姿も多いし、何より観光客がいる(今日に限って言えば、鶴林寺にはお遍路さんしかいなかった)。そして、圧倒的に外国の人が多い。不思議だ、どこから来ているのだろう。誰かがSNSで紹介しているのだろうか?
階段の上に屋根が見えたので、「ついに本堂か!」と思いきや、今度は鐘楼門だった。しかしこれがまた趣のある建物で、シャクナゲ、椿、八重桜と色とりどりの花々に囲まれて佇むその姿にため息が出た。ひとしきり鐘楼門フィーバー(写真撮影)をしたあと、階段を上って鐘を撞く。比較的小さめの鐘だったのだが、意外に重い音がした。その先にもまだ階段が続き、休憩所にザックを置かずにそのまま背負ってきてしまったのを少し後悔。ただ、一昨日の方がふくらはぎがキンキンに張って痛かった気がする。昨日の慈眼寺参拝(距離短め)を挟んだことで、ほどよいクールダウンになっているようだ。
「西の高野」と称される大伽藍をもつ太龍寺は古くから皇室や武家からの信仰が篤かったが、「天平の兵火」を逃れられなかった(同じくらいの標高の鶴林寺はセーフだったのに、元親さん何故…)。その後も復興と荒廃を繰り返し、江戸期にようやく藩主の蜂須賀家の保護によって再建された。そのような経緯から、現在残る堂宇の多くは比較的新しく江戸後期から明治のものが多いようだ。1992年(平成4年)にロープウェイができるまでは参拝者も少なく困窮していたというが、今やそれが嘘みたいな賑わいだ。
12:50、本堂に着いた。広大で起伏に富む境内の最奥にあり、山門から脇目もふらず歩いても10分はかかりそうだ(私は脇目をふりすぎて25分かかった。笑)。灯籠が灯された重厚な本堂に見とれながら近いていくと、先ほどまでその気配もなかったのに、ぱらぱらと雨が降ってきた。これは…歓迎だ!きっとどこかから見てくれている、嬉しいな。お遍路さんは鶴林寺よりもたくさんいたが、お参りする時は図ったかのようにひとりずつになるのが不思議。ご本尊の虚空蔵菩薩にひとり向かい合い、お参りをした。
虚空蔵菩薩とは、智慧や知識、記憶を司る仏さまだ。虚空蔵菩薩の真言を百万遍(1日一万回✕百日間)唱えるという「虚空蔵求聞持法」の修行を修めると無限の記憶力を手に入れられるとされ、空海は19歳の時、この山の舎心ヶ嶽の岩上でこの修行を行ったとされている。このことは空海が24歳の時に著した「三教指帰」に記されており、伝説的なものも多い空海のエピソードの中で数少ない資料に基づいたものとされている(しかも本人申告)。「太龍寺」という寺名は、修行中の空海を守護した龍神に由来するそうだ。空海19歳といえば昨日の穴禅定を発見したのもその歳とされているので、空海はその頃このあたりの山々を巡って修行していたのだろう。
ちなみに「しゃしんがたけ」と呼ばれる行場は73番出釈迦寺にもあるのだが、こちらは「捨身ヶ嶽」。弱冠7歳の真魚(空海の幼名)が、仏の教えを広めて多くの人を救いたいという願いが叶わないなら命を投げ捨てる、といって断崖絶壁から身を投じたというエピソードによるものである(怖い子供だ…)。太龍寺のほうは「舎心ヶ嶽」と書き、「心がとどまる」という意味だそうだ。空海にとって、この山で修行したことは生涯心に残る出来事だったのだろうか。
お参りを終えてふと振り返ると、本堂の真ん前からはこれまた急な階段が下りていて、これはロープウェイ山頂駅に繋がっているようだ。ロープウェイに乗って太龍寺に来ると、降りたら目の前が本堂(に続く108段の階段)ということになる。それはそれで驚くだろう。そして納経するためにはどっちみち鐘楼門の長い階段は降りていかなければならない。歩き遍路道とは逆を辿る形になるが、へんろ転がしの山はどのみち修行を課してくる。このルートだと山門を見に行く気にはなれないだろう。
続いて大師堂へ向かう。本堂が敷地の一番奥にあるので、少し引き返す形だ。途中に多宝塔などもあり、これまた少し距離がある。本当に広いなあ。大師堂は石造りの橋を渡った先にあった。雨に濡れて光る屋根が、鮮やかな緑と赤のモミジが彩る参道の先に覗くさまは、和の芸術。大師堂の裏には御廟があるので、そちらにも回ってお参りをした。この「御廟の橋・拝殿・御廟」が並ぶ配列は高野山奥の院と同じになっていて、これが太龍寺が「西の高野」とも言われる所以なのだそうだ。
本堂も大師堂も素敵すぎて、気がついたら30分が過ぎていた。鐘楼門に戻ると雨はすっかり上がり、空を仰ぐとその屋根の向こうから差す光が眩しかった。ああ、心が安らぐ。太龍寺、いいなあ。四国霊場はそれぞれに個性がありどれが一番良かったなどはなかなか決め難いのだが、太龍寺は間違いなく「好きな札所」に挙げたくなるお寺だ。時間があれば半日ここで過ごしたいくらいだった。
納経のあと、「龍天井」を覗きに行った。法要のあと持仏堂にはまだお坊さんたちが何人かおられたが、「どうぞ見てください」と気さくに案内してくれる。外廊下の天井を見上げてみると、こちらをぎろりと見つめてくる龍の姿があった。明治期の高知の画家・竹村松嶺が描いたもので、どの方向から見ても目が合う不思議な瞳をしているという。
カナダおじちゃんは手を振って先に出発していった。道のりとしてはまだ半分、自分も出発する前になにかエネルギー補給をしなければとは思うのだが、最後の怒涛の登り階段で若干グロッキーになっていたことと、フィーバーしすぎて結構時間が押していることから、ひとつ残しておいたおにぎりを食べる気になれず。ルートを地図で予習しつつ、自販機の紅茶花伝でどらやきを流し込んで済ませた(そういえば鶴林寺には自販機がなかった気がするが、太龍寺にはあった)。
13:40、太龍寺を出発した。鐘楼門の階段を上らず左に坂を下っていくと、先ほど本堂の下に見えていたロープウェイ山頂駅に繋がる。魅惑のロープウェイ、再び(笑)。山麓駅の方向が宿(平等寺)と真逆なので今乗ってしまうと逆に話がややこしくなるが、絶対景色はいいので(トナリさんの写真で実証済)いつかは乗ってみたい。山麓駅の近くの宿を取り、下山はロープウェイを使うという作戦を取る歩きお遍路さんもいる。
本堂に登る百八階段を横目に見つつ、舎心ヶ嶽680m、と示された方へと進む。ミニ四国八十八箇所にもなっている坂道を上ること約10分、13:55に「舎心ヶ嶽」と書かれた大きな説明板がある広場に到着した。しかし、ここにはいろんなお堂や祠が立ち並び、「岩の上の修行大師像」がどこにあるのか分からない。ネットで事前に調べてみても、どの記事にも「急坂を登ってお大師さまのいる舎心ヶ嶽に着きました!」としか書かれておらず、登りきったあと具体的にどこを見たらよいのかがついぞ分からなかったのだ。
ひとしきり場をうろついたあと、「多分、もっと激しい山道をさらに登るんだろう。30分くらいかかるのかもしれない。そこまでしていたら時間がない」と結論を出し、先へ進むことにした。あの時の自分に教えてあげたい。登りきったら左を見ろと。黄色い看板のその先にその背中が見えたはずだ、と…。
敗因は、時間が押していて少し焦りがあったことと、巷でやれ急坂だ、激坂だ言われているミニ四国八十八箇所の坂道をそこまで大変だと思っていなかったことにある。「もっと凄い登りがある」と思っていたのだ(大師像に近づくための鎖場は確かに大変だが、それはどちらかというと高所恐怖症的な大変さ)。阿波三大へんろ転がしを経て鍛え上げられた歩き遍路マインドが変な方向に作用してしまった。ああ、無念…。
平等寺へ(いわや道→平等寺道→大根おおね峠、約10km)
さて、お大師さまとのツーショットを諦めて、平等寺方面へ向かうことにする。今日のお宿は「平等寺から8秒8歩」の「山茶花」さん。ここからまだ約10kmを歩かなくてはならない。「お鶴と龍」の難しいところは、周辺に宿がほとんどないことである。太龍寺を打ったあと、野宿でない限りはどこかで宿を求めなければならないが、ロープウェイで下りるか、車道を下るか、平等寺まで山道を突き進むかという3択を迫られる。前二者は当日の歩き距離は短くて済む反面、平等寺のある場所と若干はずれた方向に出てしまうため、翌日余分に歩かなくてはならない。この「回り道になる」動きは歩き遍路としては気持ち的に避けたい感じなのだ。
そんなわけで、「当日もう少しがんばってダイレクトに平等寺に向かう」選択をした場合に通るのが「いわや道」「平等寺道」になる。利点(?)は、舎心ヶ嶽に登った後はそのまま直進すればいいことだ(前二者は太龍寺側へ戻る)。行く先を伺うと、舎心ヶ嶽を頂点としてさっそく下っていく道が見えている。「来ましたね…」と言いたくなるそこを下っていくと注意書きの看板があった。「阿瀬比集落まで約5km、2時間の道のり。夏季4時、冬季3時以降の立入りは日没時間となるので注意」と書かれている。夏は6時には山を抜けろということか。だいぶギリギリな設定だな。あせびってどこや?と思いつつ通り過ぎる。
そこからしばらく進むと「いわや道」と「持福院道」との分岐が現れた。左の道は行く手に大きな看板が置いてあるのが見え、一瞬「通行止めか?」と思ってまっすぐ平坦な方へ進みたくなるが、「いわや道」は黄色い矢印の通り左へ下りていく。看板に近づいていくと、「阿瀬比集落まで約5km、3時間の道のりです。午後2時以降の立入はおやめください」と書かれていた。おいおい、さっき言ってたことと違くないか?しかも後から釣り上げて来ないでくれ。時間を確認すると、図ったかのように14:00ぴったりだった。
心もち急ぎ足で看板の先へ足を踏み入れる。「いわや道」は舎心ヶ嶽から「平等寺道」に交わるまでの約2.5kmの区間、たまーに岩場があるが基本的には落ち葉が降り積もった平坦な下りで、ふかふかしてとても歩きやすかった。焼山寺でも時々平らな尾根筋があって、えっちらおっちら登ってきたあとにこういう道になるとビックリするくらいスタスタと歩けて距離が稼げる気がしたものだが、こういう道を自分は「高速道路」と呼んでいた。よし、どんどん進んで時間を巻くぞ。杉林の中を飛脚のように爆速で駆け抜ける。
14:30、「平等寺道」への分岐まで来た。「いわや道」はその名の表すとおり、かつては「龍の窟」と呼ばれる霊場(空海が修行したとされる)に繋がっていたのだが、長年のうちにその窟は消失してしまい所在が分からなくなった。そのため、「平等寺道」と交わる地点から先の「いわや道」も消滅しており、立ち入り禁止となっている。かつて多くの人々がこれを見て進路をとったであろう道しるべだけがそこに残されていた。
「平等寺道、阿瀬比集落まで2.5km」の看板を横目に、再び足早に歩き始める。この「平等寺道」が大変だった。さっきまであんなに快適な「高速道路」だったのに、全体的に道が谷側に傾斜していてロープを掴んでいないと足を滑らせて谷底に落ちてしまいそうだ。木の根っこも随所に剥き出しになっている。慎重にいきたいところだが、タイムリミットも気になる。ここまで半分(2.5km)を30分で来れたのに、残り半分が2時間半ってどういうことだ?もっと凄いのが来るってこと??焦る気持ちと足元へのセルフ注意喚起がまぜこぜになって、あとから考えると「歩き遍路ハイ」とも言えるものすごい集中力でかっ飛ばしていた。
途中で「ここより急坂区間」と書かれた看板が出てきて、これがまた長い。ロープ頼りだったのに途中からそれがいなくなり、石ころだらけの洗い越しを越えて、ふと先を見ると、お遍路さん(日本人)がひとり木の根っこに座って休憩していた。うおおおおー、人がいた!!聞けば今日のお宿も同じ「山茶花」さんだという。よかった、太龍寺ではあんなに人がいたのに山に入った途端にまったく人の気配がなくなってしまって不安だったのだ。別次元に迷い込んだわけじゃなかった(笑)どうやら外国お遍路さんは観光も兼ねてロープウェイ派が多いようだった。
「平等寺道」の起点から約40分、石垣などが出てきて道も平坦になり、里まで下りてきた気配がする。難所区間を抜けたのだろうか、とほっとして緊張の糸が緩む。そして1つ目の民家(たぶん空家)が見えてきた時、そこに立てられていた看板を見てぎょっとした。
「山道おつかれさまでした 平等寺まであと5km」
…思ったより険しかった「平等寺道」をぶっ飛ばしている間に、そもそも最初の看板に「阿瀬比集落まで5km」と書かれていたことがすっかり頭から飛んでいた。阿瀬比集落には道の駅がひとつあるものの宿泊施設はなく、歩き遍路にとっては通過するしかないポイントだ。あと5km、平地で1時間半。地図だとなんかもうひとつ峠があった気がするんだけど…。枯渇しかけた気力をもう一度奮い立たせる。なんだか罠に嵌められた感じがする。
15:15、阿瀬比の交差点に出た。太龍寺から下りてくる手段がどれであっても(ロープウェイ/県道28号線/地福院道/いわや道ー平等寺道)、最後にはここで一緒になる。そして平等寺へは車と歩き(大根峠)で進む方向が異なるので注意。遍路道あるあるだが、車両向けの大きな案内標識の矢印に吸い込まれると却って距離が長くなってしまう。「道の駅わじき 200m」の案内があったが、到底寄ってみる気力も時間もなくパス。
交差点を直進するときれいな休憩所(へんろ小屋No.3「阿瀬比」)があり、その先に燦然と輝く真っ赤な自販機があった。猛然と駆け寄り、いつもの「Qooりんご」を一気飲みする。助かった、これがなかったら水分補給も忘れたまま歩き続けて、峠で低血糖に陥ったかもしれない。ありがとう、救世主。これまでの人生でこんなにコカ・コーラ社に感謝したことはない。
しばらくは民家とミカン畑の間を縫いながら歩く平和な道だった(途中に簡易トイレも置いてくれている)が、大根峠への案内を曲がった途端に雰囲気が一変する。「あっ、あかんやつ…」修行再開だ。
15:35、大根峠の入口に立つ。序の口部分こそコンクリートの緩い坂だったが、ちょっと進むとさっそく階段が立ちはだかってきた。もう今日は階段の飽和量を越えたのだが…。ええい、太龍寺よりは短いはずと推進をかけて登りきる。「あと一息」のへんろ札に「ほんまか?」と突っ込みながら登り、10分ほどで「大根峠」に到着。
15:45、大根峠。確かに「あと一息」ではあった。というか、後から思えばほんの10分の登りだったのだが、今日ここまでの道のりが盛りだくさんすぎたことと、いったん終わったと思わされる罠に嵌ったことからやたらと長く感じる峠だった。峠を越えた先はふかふか道の下り、所々に木の根っことタケノコ爆弾があるが基本的には「高速道路」でサクサク進む。
16:10、立派なへんろ小屋(No.47「大根」)が出てきて、峠道を抜けた。体感では1時間を越えるかと感じた大根峠の実際の所要時間は35分ほどだった。里に下りると水の張られた田んぼが広がっており、早くも蛙たちが鳴き始めている。まだ肌寒く感じる時もあるが、季節は確実に初夏へと近づいていた。ゲコゲコと遠くから聞こえてくる蛙の声を聞いていると、朧げな記憶の中の祖父母の田舎が思い出される。
田んぼの間の農道をさらに進むと「お水をご自由にお飲みください」と水道とベンチが設置されていた。それを見て急激に喉の渇きを覚え、金剛杖をベンチに放り出して貪るように水を飲んだ。汗まみれになった手も、腕のところまで冷たい水で洗うと気分がスッキリする。この感覚は久しぶりだ。意外に思われるかもれないが、スペインの水道水はそのまま飲める。巡礼路の沿道や公園には水道がたくさんあって、飲むだけでなく火照った体を冷やしたりタオルを濡らしたりとお世話になった。日本の方が色々と規制の壁が難しいのか、公共の蛇口に巡りあうことが少なかった(その代わり自販機がある。顔は洗えないが)。
人の生活の気配、まだ高く暖かい陽射し、そして冷たい水で思う存分喉を潤して、やっと心を支配していた焦りがほどけていった。ここまで来られれば、もう大丈夫。道沿いにはお花がたくさん植えられていて、それらを楽しむ余裕も出てきた。峠を出てからも平等寺までの距離は意外にあり、あと1.6km、という看板がウッカリ目に入って絶望するが、遭難の危険はもう過ぎ去った。落ち着け落ち着け。
16:40、ついに平等寺が見えた!太龍寺から10.9km、2時間40分だった。お参りは朝派なので今日はこのままお宿に向かうつもりだが、その気なら参拝もギリギリできる時間に着くことができた。山道ありで時速4.1kmは歩き遍路ハイのおかげもあったとは思うが、「いわや道」の5km3時間(1.7km/h)の看板はちょっとサバを読み過ぎだろう。よく考えたら焼山寺の最後の登り(1.85km/h)よりもかかる計算だ。あの書き方では却って焦りを呼び、事故を誘発すると思う。よくない。
本日のお宿に到着!
16:45、平等寺から8秒8歩の「山茶花」さんにチェックインした。案内してもらった部屋は10畳もあり、広っ!!となる。さっそくお風呂に向かうと、これまた広っ!!今日は「お鶴と龍」を越えてからの爆速11kmと、足がもうヨレヨレのクタクタである。ジンジンする足の裏を熱いお湯でなんとか宥めつつ、例によって温冷浴に勤しんだ。一日がんばってくれた身体にお礼を言いつつ、自分も褒める。ちゃんと明るいうちに無事にお宿に着いて偉い。これでお大師さまとツーショットできていれば完璧だったのだが、また来る口実ができたと思うことにしよう。
山茶花さんは、なんと洗濯乾燥が無料(お接待)である。とても助かる。お風呂から上がって洗濯機に向かうと、ご主人が食堂兼ロビーにあるお接待コーナーにお菓子や果物をモリモリ盛ってくれていた。水のペットボトルもある。へろへろで辿り着いた遍路たちのために心尽くしの数々で、本当にありがたい。
18:00から食堂で夕食をいただいた。カウンターの向こうに見えるキッチンは業務用のそれで、尋ねてみるとやはり昔は食堂をされていたとのことだ。今日もご飯をおかわり、といいたいところだが、食べそびれていたおにぎりがあったのでそれを2杯目の代わりにする。
今日のお遍路さんは全部で5人(歩き3人・自転車2人)、私以外はみな2巡目以上だった。1番多い人で7巡目だったかな。その人はもう納経(御朱印をもらうこと)はしていないと言っていた。実は、恩山寺で会ったSさんもそう。四国を何回も巡っているうちに、この地をただ歩くことに魅了されていくのだろう。分かる気がする。ツヤツヤに日焼けした自転車お遍路の男子は、室戸岬への道を自転車で駆け抜けるのが最高なんです!1回目は歩いたけど、歩きだと景色変わんないんスよねえ〜と笑っていた。そう、明日23番薬王寺をお参りしたあとは、「修行の道場」高知県に入る。札所間距離トップ5のうち、4つは高知県なのだ(最長距離は37番岩本寺ー38番金剛福寺の80.7km)。
部屋に戻って、その室戸岬のお宿に電話をかけてみた。まだ宿坊に泊まっていないので最御崎寺の宿坊にトライしてみたが、その日は無理とのこと。キャパ100人なのに…(逆に1人だからかも。団体なら受けているというパターンもある)。次の望みの綱、「室戸荘」にトライ。なんと満室。4月23日、何があった…。室戸岬から少し歩いたところにもう1軒お宿がある。検索してもあまり情報がなかったのだが、そこに電話してみたところ空きがあるとのことだった。やったあ!これで室戸岬で寝られる(4/23 うまめの木)。
足がパンパンだったのでもう一回お風呂に入ろうとしたが、20時半というのに他の部屋(障子)の電気はすっかり消えてロビーは静まりかえっていた。寝息も聞こえてくる。そー…と引き返し、自分も照明を落として布団にくるまった。写真をクラウドにあげつつ、地図とにらめっこしながら高知市内をどうやって回るかの計画を立てる。一気に回るのは距離が長すぎるが、かといってあまり小分けにすると日数がどんどん増えてしまう。せっかくだから、このあたりで休養日も入れたいし…。なんとか素案ができ、23:30就寝。喉がイガイガして咳が出てきた。太龍寺の階段で口呼吸をしすぎたため、喉をやられたようだ。風邪薬でどうなるわけでもない気もするが、少しでもマシになれば、と持ってきた薬を飲んで寝た。
「お鶴と龍」を終えて…平等寺まで安全に歩くために
冒頭にも少し書いたことだが、鶴林寺と太龍寺の「へんろ転がし」には焼山寺とまた違った難しさがある。そして焼山寺については検索すれば歩き体験はいくらでも出てくるのだが、「お鶴と龍」に関しては「焼山寺ほどではなかった」くらいしか書かれていないことが多い。登ることに関してはその通りである。しかし、私は声を大にして言いたい。「お鶴と龍は、越えてからが修行だ」と。
太龍寺からはロープウェイや車道を使って別方面の宿に泊まる方法もあるが、ここでは「ド直球」で平等寺に向かおうとしているガチ歩き遍路が怪我をしたり日暮れに間に合わなかったりといった危険に遭わないように、いくつかポイントをまとめておきたい。1回歩いた人は様子が分かっていると思うので、特に初めて四国を回る歩きお遍路さんにとって何か参考になれば幸いである。
【理想のスケジュール】
06:40 鶴林寺登り口 → 鶴林寺まで約3km、1時間半
08:20 鶴林寺 → 9:00発、太龍寺まで6.7km、休憩入れて3時間
12:00 太龍寺 → 13:00発、13:15舎心ヶ嶽
14:00 いわや道 → 平等寺まで約10km、3時間
17:00 平等寺
【遭難しないためのポイント】
・鶴林寺の登り口(3.1km地点)は遅くとも7:00に通過する →これが遅れると全ての余裕がなくなる
・太龍寺の階段パートが始まるまでに昼食を食べておく(川沿いの若杉山遺跡おすすめ)→着いた後はグロッキーで食べられない
・「いわや道」に14:00に入れるよう、太龍寺は13:30には出発する(舎心ヶ嶽で修行大師とツーショットしたければ13:00)
・同じ日に平等寺をお参りしようとしない(この納経に間に合おうとして急ぐと碌なことがない)
上記のスケジュールはどこにも痛みがない状態なら余裕のある行程だが、マメができていたり膝や足首が痛かったり、荷物が重すぎたりすると途端に厳しくなってくると思われる。平等寺への参拝を翌日にしておけば、太龍寺のあとは少なくとも宿に辿り着けばいいだけなので精神的に楽になれる(17時を過ぎそうな場合はお宿の人が心配するので必ず連絡を)。なにより、鶴林寺も太龍寺もとても素敵なお寺なので、「来た、撮った、時間がないから御朱印ポン」ではもったいなさすぎる。せっかく苦労して登ってきたのだからゆっくりと時間を過ごしてほしい。
散々脅かしているが、変に焦りさえしなければまったく恐れることもない、雰囲気のある史跡の道である。日暮れに泣きそうにりながら駆け抜けるのではなく、楽しく歩いてほしいと思う。そして、この行程を行くと決めたならもう21km歩き通すしかないので、あとは覚悟を決めることだ。
最後に、「いわや道」の看板について…(余談)
本文中に書いたように、舎心ヶ嶽から見えるすぐの場所に置かれている看板(①)と、実際の「いわや道」の始まりに置かれている看板(②)では書いてある内容が若干異なる。そして②のほうがハードルが高い。うかうかせずに日没までに山道を通過してほしい気持ちは分かるが、5km3時間はありえない遅さだし、①からそれなりに山道に分け入ったところで後出しのように条件を狭めてきて「え、14時過ぎてるじゃん、5kmで3時間って、平等寺までいったいどんだけかかるの?日が暮れちゃうじゃん!」と無駄に焦らせるような記載になっており、適切ではないと感じる。
実際、「いわや道」で捻挫した、骨折した、滑落した、というエピソードは時々漏れ聞こえてきて、「焦らせるからだよ…」と内心思ったものである(「いわや道」はふかふか道だったので、どちらかというとこういう怪我をしそうなのは「平等寺道」の方な気はするが)。「お鶴と龍」を越えてきて、足腰も精神的にも限界いっぱいまで疲れてきているところだから尚更である。
というわけで、①からは「阿瀬比集落まで5km2時間」、②からは「14時までに入ること」を情報として受け取っておこう。あとは、阿瀬比集落に着いただけではなんの終わりでもないので、できれば「平等寺まで10km3時間」も書いておいてくれたらなあ。
おわり
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