峠、峠 そして浜辺… 予想外のアドベンチャーへんろ道

第23番札所・薬王寺で阿波の「発心の道場」が終わり、遍路道は土佐の「修行の道場」へと移る。薬王寺から室戸岬にある第24番札所・最御崎寺までの距離は75.4km、これまでの札所間最長記録を大幅に更新し、初めて「お参りをしない日」が出てくる区間となる。高知の道はほとんどが海岸沿いの国道を歩くことになり、「景色が単調、アスファルトで足がやられる、札所もなく気持ちを保つのが大変」などの前情報に怯えていたが、今日歩いた区間ではちょこちょこと峠道もあり、浜辺の遍路道などもあって、予想外に楽しく歩くことができた。
| 日付 | 2025.04.20(日) |
| 天候 | くもり(17℃〜23℃) |
| 行程 | 日和佐〜大砂:別格4番 八坂寺(鯖大師)(42,904歩/24.3km/↑595m ↓596m/9h30m) |
| 07:30「壱 The Hostel」出発 10:30〜 寒葉峠 13:25〜 大坂峠(八坂八浜へんろ道↓) 14:20〜 内妻浜 14:30〜 松坂峠 14:50〜 古江浜 15:25〜 福良峠 15:35-16:40 別格4番 八坂寺[鯖大師](滞在65分) 17:00「大砂荘 CAMP and LODGE」チェックイン | |
| お宿 | 大砂荘 CAMP and LODGE【個室食事なし ¥5,250/3部屋/15:00〜 】 (4/17 5:43 booking予約) |
| 費用 | 食 費 ¥2,363(朝食 ¥646、昼食 ¥285、夕食 ¥643、おやつ&飲み物 ¥789) 納経料 ¥300 念珠玉 ¥400 洗濯代 ¥200(洗濯 ¥200、乾燥 ¥ー) 宿泊費 ¥5,250 合 計 ¥8,513 |
22番薬王寺から23番最御崎寺まではほとんど国道55号線を歩くことになるが、日和佐〜鯖大師までの区間では楽しい旧遍路道があった。景色もよいので、時間に余裕があるなら是非歩いてみてほしい。
【寒葉峠へんろ道】
・2022年(令和4年)に整備された「新しい旧道」。この道と里道を歩くことにより、国道55号線の「寒葉坂」と呼ばれる部分約2.5kmを回避することができる。終盤で道路工事に削られている部分もあるが、起伏もほとんどなく、のどかな道。
【八坂八浜旧へんろ道】
・「八坂八浜」とは牟岐町牟岐浦〜海陽町浅川までの約12kmの海岸のことで、8つの岬と入り江が次々と連なり、起伏と景色の変化に富む。明治期に国道の前身ができるまでは、土佐街道随一の難所だった。
・牟岐町のローソン(牟岐中村店)のあたりから、分かりやすい矢印看板が誘導してくれる。たまに傾斜がきついところもあるが、どの峠もそこまで距離は長くない。古江浜は砂浜を歩くので、ちょっとした冒険気分を味わえる。
(「八坂八浜」について)
・徳島県の東端から室戸岬までの約200kmに及ぶ広大な国定公園、「室戸阿南海岸国定公園」のちょうど真ん中あたりに位置する。諸説あるそうだが、「八坂」とは大坂・松坂・福良坂・鯖瀬坂・萩坂・鍛冶屋坂・粟浦坂・借戸坂を、「八浜」とは内妻浜・古江浜・福良浜・鯖瀬浜・大綱浜・鍛冶屋浜・栗ノ浜・三浦浜を指す。
国道沿いの道(国道55号線)
5:30、起床。天気を確認ついでにバルコニーに出てみると、薬王寺の瑜祇塔がライトアップされているのが見えた。今日は、曇りだ。薬王寺へ朝の参拝をしようと身支度をしていると、6時の鐘を撞く音が聞こえてきた。
昨日と同じように女厄坂・男厄坂を登っていくと、本堂では朝のお勤め中とみられ、シンバルのようなものを鳴らす音が響いてくる。これは「妙鉢」といい、真言宗の法要では不可欠の法具だそうで、平等寺の焼八千枚供でも使われていた。続いてリズミカルな太鼓の音が聞こえてくる。読経の流れるなか清涼な空気と鳥のさえずりに包まれる境内、やっぱりお寺は朝に来るのが一番だ。本堂まで来てみるとすでに戸は開かれており、こんな早朝から参拝している二人組のお遍路さんがいた。帰りに山門のところでまた会ったので声をかけてみると、今日は長く歩くので早めに出発するのだという。
6:40、お参りから戻ってきた。キッチンで「ご自由にどうぞ」コーナーから頂いたコーヒーを淹れて朝ごはんにする。戸棚にはカップラーメンなどが販売されており、もし食料を調達できずにお宿に来たとしても何かは食べられそうだ。コンロには昨晩男子たちが煮込んでいた伊勢海老の寸胴鍋が鎮座しており、いい匂いをさせていた。後片付けをしていたら彼らも起きてきて、「ちょうど空きましたよ〜」とテーブルを譲って部屋に戻る(陰キャ発動)。歯磨きや最後の荷詰めをして、7:30にお宿を出発した。
四たび薬王寺への参道を歩き、今度は山門の前を左に折れて先へ進んでいく。ここから「修行の道場」土佐の最初の札所である24番最御崎寺までの距離は、驚きの75.4km。これまでで札所の間の距離が一番長かったのは昨日歩いた21km(22番平等寺〜23番薬王寺)だったのだが、いきなりそれを大幅に上回ってくる。そして、四国遍路で初めて「お参りをしない日」が出てくる区間でもある。ただこれは八十八箇所霊場に限った場合の話で、別格霊場がひとつ、それに札所ではない寺院も勿論ある。今日は薬王寺から20kmほど先にある別格4番・八坂寺(鯖大師)にお参りするつもりだ。実際に徳島県から高知県に入るのは明日になる。
最御崎寺への遍路道は、基本的には国道55号線を歩く。昨日お風呂の帰りに食料を調達に行ったファミマを通過。その時もびっくりしたのだが、この店の前には等身大の虎がいる。コンビニにこんなのあるの珍しくない?前身が個人の商店で、その時のご主人の趣味とかだろうか。それを壊さずに改装したのだとしたら粋である。ファミマの向かいには「道の駅 日和佐」があるが、この時間にはまだ開いていない。つまり、昨日も今日もご縁がなかったのだが、東屋やベンチもたくさんあり、営業時間中にここを通れたら絶好の休憩ポイントになりそうだ。
道の駅の先には、昨日美容液を買ったドラッグストアがある。今回の歩きでは荷物をなるべく軽くするため小さいボトルのものを携行して、なくなったらドラッグストアで買い足すことにしていた。これは勝手の分かっている日本だからできることで、こういったものがどこで買えるのか、そして成分が合うのか分からないスペインでは普段使いの保湿液・日焼け止めとシャンプーを2ヶ月分携えており、これが一番重かった。なくなったら困るけど、早く減ってほしいというジレンマ…。(ちなみに四国遍路で一番重かったのは、二冊の納経書。そして、これは減っていってくれないという試練。)
昨日は、保湿力が高い美容液を探していた。もともとそんなに化粧をしないので歩く時も保湿と日焼け止めしか塗っていないのだが、ズボラも手伝ってほとんど日焼け止めの塗り直しをしないでいたら、軽いやけどのようになってしまい顔がヒリヒリしていたのだ。そこで「安いし小さいし高保湿、これにしよう」と思って手に取った「ちふれ」の美容液が大当たりだった。テスターを塗ってみただけでその晩のうちに肌の炎症がひいたのである。素晴らしすぎる。帰ってからもこれ使う!
昨日は暗かったので気づかなかったが、ドラッグストアの前には「室戸 81km」と書かれた道路標識があった。よしよし、近づいてるぞ、と思ってしまうあたり、距離感がもはやバグってきている。96kmから比べたら減ってるよね!
薬王寺から先の国道にはへんろシールがなく(少なくともパッと見で分かるところにはなかった)、「Henro Helper」とにらめっこしながら進む。一瞬まっすぐ行きかけたが側道へ下りるポイントがあり、引き返して下へ。その先にもマークはなかったのでアプリを追いながら線路を渡り、住宅地を抜け、国道に戻った。これ、アプリ持っていない人は気づかないんじゃないかなあ。どっちみち国道に合流するのであのまま直進していても結果としては同じなのだが、誰にも気づかれずに忘れられていく遍路道はちょっと悲しい。
地図のうえではそのまま国道を渡り、奥潟川の堤防を歩ける感じになっていたので側道から堤防に登ってみたのだが、進むにつれて草が生い繁ってきて道は藪に消えた。さっきは車も通るアスファルト道だったから忘れられても道としては機能していたけれど、この道はもう息絶えるしかないようだ。2、3枚誘導の矢印があれば遍路たちが嬉々として歩いて保たれただろうになあ。幸いすぐ横に車道が見えているので、土手を飛び降りて国道に戻った(こういう年齢不相応な動作をする時はザック分の重さもあるので膝と足首をやらないよう猛烈注意である)。
ちなみに、四国を歩いて感覚として身につけたことのひとつに「川べり、ため池、ダム周り…水辺の旧遍路道は要注意」というのがある。遍路道がそのルート一択でほとんどのお遍路さんが歩くという場合なら心配はないが、オルタナティブ(他にも選択肢がある)の場合、「崩落・消滅・工事中通行止め・永遠に通行止め」の可能性はかなり高い。あんまりメインルートから離れていたり、夕方ギリギリだったりする時にそちらを選んで詰むと、「誰もいないよー!どこまで戻るんだよー!暗くなってきたよう…!!」と泣きをみるハメになるので、マイナールート選びは慎重に。
国道に戻ってしばらくすると民家も途絶え、整地されてまだ土だけの畑地にアスファルトが延々と続く色のない景色である。無になって歩いていると、行く先にトンネルが見えてきた。本日最初のトンネルは、遠目からでも向こうの出口が見えるほどのミニミニトンネル、「奥潟トンネル(全長100m)」だ。簡単に迂回できそうだったので、旧道と思われる左の脇道へ逸れた。数件の民家が建ち並ぶ前を通り抜けていくと、トンネルの出口に繋がる手前の岩の窪みに小さな石の祠が建っていた。年代も分からないほど古いが、ちゃんと手が入っているように見える。村の人が昔から大事にしてきた祠なのだろう。
トンネルの少し先に地元の事業所や工場が建ち並ぶ一角があり、そのちょっとした隙間にスリムな休憩所があった。有志で休憩所とトイレを提供してくれているようだ。時刻は8:25(お宿を出発してから約1時間)、まだ休むほどではないかなあと思いながら横にあった自販機をふと見ると、全てのラインナップがやたらとお手頃価格である。お気に入りのカフェオレをその中に見つけ、ブレイクタイムにすることにした。ベンチに腰掛けると屋根の庇のところにメッセージが掲げられている。「巡礼のご安泰を願いお接待申し上げます 休憩・御手洗を御自由にお使いください」。…四国の道を沿道から守ってきてくれた人たちの温かさがしみじみと沁みた。
休憩所の先から、へんろシールがちらほらと戻ってきた。おお、君たち今までどうしていたのだ。国道は畑地から山間に入り、曇天とアスファルトに挟まれた視界はグレーが8割。気を紛らわせるものといえばコンクリートの隙間から花を咲かせている逞しい植物くらいで、もはや道路標識ですら「おっ、なんかある」と思ってしまうほどである。その中にちょっと面白いものを見つけた。登坂車線の少し手前に出てきた看板なのだが、そこにでかでかと書かれた標語は「おそい車は左へ寄ってくれるけ」。スピード違反を諌める標識は多いが、「遅い方がジャマ」という書き方はあまりないような気がする。交通安全協会が出してるのがまた面白い。
8:50、「日和佐トンネル(全長690m)」に到着した。地図によればこのトンネルを迂回する「よここ峠道」というものがあるらしいのだが、それっぽい側道は明らかに整備工事中であり、入口には「関係者以外立入禁止」の看板が下がっている。こういうところでもお遍路さんは通ってよい、という場合もあるのだが、峠を示すような案内はざっと周囲を見渡した限りでは見つけられなかった。作業道が造成されて、もう入れなくなったのかもしれない。本当に不法侵入だったら迷惑すぎる…。突き進む勇気はなく、トンネルを行くことにした。
歩道のある方に渡り直すと、反射板グッズを持っていってね、という案内看板があった。しかしそれらしきものは見当たらず、BOXが剥がされた跡がうっすらと残っている。在庫がなくなって撤去されたようだ。日和佐トンネルはしっかりしたガードレールがあり不安なく歩くことができた。車がいなくなったら、金剛杖をシャンシャンと鳴らして反響を楽しむ。しかし、長い!新童学寺トンネルが641mだったので、それを抜いて最長記録である。700m近いということは歩いて通ると10分近くトンネル内にいるわけで、最後のほうは「長いよ〜お…」と思わず声が漏れた。
(後から調べてみたところ、やはりあのバリケードを越えてしばらく行けば「よここ峠道」の案内が現れるようだ。以前はトンネル脇にへんろ札もあったが、度重なる造成に伴いどこかへいってしまった模様。)
日和佐トンネルを抜けて歩くことしばし、道路脇に徳島名産「阿波尾鶏」を使ったレストランの看板が立っていた。でも、四国に限らずこういう国道沿いのお店って、だいたい閉業してるんだよなあ…ここは大丈夫かなあ…とまず思ってしまう。その看板の真正面、道路を渡った反対側には休憩所の屋根がちらりと見えていた(へんろ小屋 No.40「日和佐」)。二階建てで八角形?をした立派な休憩所だが、道路から下りていかないといけないので、雨だとか、よっぽど疲れて座りたい時でないと歩きの途中で立ち寄る気にはあまりなれない。ただ周囲を森に包まれてお籠り感があるので、野宿をするにはいいのかも(※ここで宿泊をしてよいかどうかは、中まで見に行っていないので分からない)。
しばらく歩いていくと先ほどのレストランが見えてきたが、残念ながらと言うべきか、案の定と言うべきか、建物の中に人気はなく、駐車場の入口にはロープが渡されていた。Googleのコメントを見る限りではちょうど1年くらい前までは営業していたようだ。貴重な遍路道沿いのランチポイントだったのになあ。
レストランのすぐ先に「山河内トンネル(全長124m)」がある。これも簡単に迂回できそうだったので「←山河内駅」(読み方違うんかい)と書かれた看板に従って側道へ入ると、右手に「打越寺」という真言宗のお寺があった。徳島藩主・蜂須賀公がお遍路や旅人のために設置した8つの「駅路寺」のひとつで(一番有名なのは6番安楽寺)、ご本尊は弘法大師である。
このお寺について調べてみたら面白い伝統行事があった。「投げ銭供養」という室町時代から始まった行事で、先祖や戦没者の供養のため、大量の1円玉を威勢よく賽銭箱に投げ入れていくというものである。賽銭箱の前には僧侶が読経する高座があり、その台座に賽銭を投げつけて高らかに音が鳴るほど供養になるのだという。美波町の11の真言宗寺院が毎年持ち回りで行っているそうで、打越寺もその役に入っているようだった。バケツいっぱいの1円玉を鷲掴みにして投げていく様子はなかなかのもので、毎年2トン(200万枚!)を越える1円玉が用意されるという。
打越寺を過ぎてしばらく行くと、トンネル入口の案内にあったとおり、JR牟岐線の「山河内駅」が見えてきた。駅の前には「四国のみち」の案内看板があり、それによるとここから海沿いへ南下して牟岐駅へ至るコースがあるようだ。江戸初期に澄禅という人が遍路道として歩いた道だそうだが、「黄色い地図」では省略されている。真念さんの『四國邊路道指南』(1687年)はお遍路ガイドブックとして最古のものだが、澄禅さんの記した『四国遍路日記』(1653年)は現存確実な四国遍路の記録として一番古いものと考えられているそうだ。
9:25、トンネルの先で三たび国道に合流。たこ焼き屋さんの前に自販機とベンチがありエネルギー補給できそうなポイントになっていたが、お店は閉まっていた。さっきのレストランの看板じゃないけど、こういう道路沿いのたこ焼き屋さんって、開いてないイメージ(笑)。そのあとはまたまたひたすら車道沿いを行く、無の区間だ。花だー、線路が見えるー、わあ水車だー、などとなるべく周りに意識を散らして気を紛らわせながら歩いた。
しばらく行くと今度は「ゆずりゾーン」なるものが出てきた。ものは言いよう?ここにも「おそい車は進路をゆずれ」との看板が立てられていて、このあたりの人はどんだけ急いでるんだ、と思いつつ歩いていると、そのすぐ先から急に歩道が狭くなった。幅が50cmくらいしかない。平均台を渡るようにそこを辿っていたが、そのうち段差もなくなり白線の外側を小さくなって歩く形になる。歩き遍路の安全対策のため「グリーンライン」が設けられており、車にも、そして歩く側にもそれを呼びかける看板があった。しかしこのグリーン、だいぶハゲてきている。がんばれ!
このあたりは歩道の確保に難儀しているのか、グリーンラインの他にも「もうすぐこちら側の歩道がなくなるので向こうへ」などの呼びかけ看板が何回か出てきて、その都度右へ、左へと渡りながら歩いた。
寒葉峠へんろ道〜小松大師〜牟岐浦
無になってグリーンラインを辿っていると、「新しい遍路道のお知らせ」の看板に行き当たった。そのまま進めば国道沿いから入っていけそうな雰囲気である。しばらく行くと、美波町(日和佐)から牟岐町への町境を越えたすぐ先に案内が出てきた。説明板の前には、今朝薬王寺で見送った二人組。油を売りながら歩くことに定評(?)のある私が1時間差を詰められるとは、かなりゆっくりペースのようだ。室戸まで2日で行くと言っていたが大丈夫だろうか(余計なお世話)。国道とどっちを行くか相談している雰囲気だったが、やがて峠道の方へと進んでいった。
10:10、寒葉峠遍路道の入口に到着。目印は廃墟となったレストランで、かつてその駐車場だったと思われる広場の奥から峠道に入れるようだ。説明板によるとこの道はかつて徳島藩が整備した土佐街道の一部だったが、線路や林道開発によって峠の先が塞がれてしまっていた。公認先達の三村さんという方がそれを残念に思い、できる限り修復したいと独自に取り組んでくださっていたのだが、道半ばで急逝。ボランティア有志がその遺志を引き継いで残りの道を完成させ、2022年に「新しい旧遍路道」として通れるようになった。こういった地元の方の尽力のおかげで、危険で退屈な国道を避けて自然のなかを歩くことができているのだ。
お宿を出発して2時間半が経過していたので、峠に入る前にいったん荷物を下ろして休憩を取ることにした。説明板の前にあった切り株の椅子に腰掛け、昨日「豊田屋」さんでゲットしたお饅頭(千羽嶽)を食べていると、道路の向こう側の森がにわかに騒がしくなる。野生動物の気配に反射的に背筋が伸び、普段は失われている本能が警戒心を呼び起こす。茂みを凝視していると、猿の大家族が道路脇の擁壁の上を移動していった。さるー!!
車がひっきりなしに通っていく国道、群れの多くはその向こう側にいるとしても(ヤンチャなやつはこっちにも渡ってきていた)、「もし襲われたら確実にやられる」という恐怖心は拭えない。生身の人間は自然の中で弱すぎる。子猿もたくさんおり、お腹に子どもをぶら下げたお母さんもいて、かわいいのだが、子育て中とあれば余計神経質になっているかもしれない。目を合わせないように、でも目を離さないように(こっちに来たらダッシュで逃げるため)…と、心拍数が増すのを感じながらも努めて平然を装ってお饅頭タイムを終えた。
10:30、旧土佐街道・寒葉峠道に入る。「峠」と名が付くものの目立った傾斜はほとんどなく、手入れが行き届いていてとても歩きやすい。針葉樹の落ち葉が深く積もった道はふかふかで、アスファルトに疲れた足に束の間の休息を与えてくれた。このあたりは絶滅危惧種の「ツチトリモチ」の自生地でもあるようで、自然の豊かさが伺える。
のどかな遍路道を楽しみつつ歩いていたが、ここ二日ほど写真のデータ整理をさぼってしまっていたので、このあたりからスマホの容量が厳しくなってきた。ギガを食ってしまうが、歩きながら動画をクラウドに上げ、完了したら本体から削除するという自転車操業状態が続く。電波のあるところでよかった。車も電車も使わずアナログで歩いているように見せかけて、ルート検索に調べ物、写真を撮るのもお宿の予約も全てがスマホ頼り、現代の歩き遍路は実はデジタルまみれなのである。
15分ほどで工事現場の横に出た。遍路道をギリギリかすめて開削されているのだが、山道なのに横に木がないと、なんだかスカスカして心許ない気持ちになる。土佐街道の時代にはここから向こう岸へと渡っていたのか、道の脇には橋台の跡が残されていた(もしかしたら林道整備で崩されてしまったのかもしれない)。今は整備したてなのでサッパリしてしまっており、これを「風情がない」と思う人もいるかもしれないが、数年もたてばこの法面の両岸も植物に侵食されて森に戻っていくのだろう。最後にはやたらと広く整地された場所に出てどこを歩いたらいいのか逆に不安になったが、端っこのほうの草地に何となく踏み跡が残っていたのでそこを辿る。
峠の入口から20分ほどでふかふかゾーンは終わり、舗装路に出た。丁寧な案内看板にしたがって、のどかな農村地帯の里道を進む。このあたりは田植えがまだなのか、それとも畑作地なのか、整然と耕された農地が特に何か植えられているでもなく土のまま広がっていて不思議な感じだった。電柱の上ではトンビの番が鳴き交わしていて、それをしばらく下から見ていたら、興が削がれたのか二羽とも山の方へと飛んでいってしまった。邪魔しちゃったかな。11:15(峠に入ってから45分)、四たび国道への合流が見えてきた。その手前で先に峠に入っていったあの二人組が小休憩をしており、挨拶をして先に行く。
国道を100mもいくと、すぐに「小松大師」に向かう脇道に降りることになった。「寒葉峠遍路道」のおかげで相当距離の国道区間を回避できた感じだ。並行してJR牟岐線の線路が通っており、ちょうど後ろからエンジンの音が響いてきて、一両編成のかわいいディーゼル車が走っていった。そう、ややこしいので初日から電車電車といってきたが、正確にいうと徳島には「電車」は走っていない。「汽車」なのだ。なので、ガタンゴトンという音とともに、ディーゼルエンジン特有のがんばっている重低音が鳴り響いていて、近づいてくるのが分かりやすい。
立派な石垣の家が並ぶ趣のある集落を抜け、11:25に小松大師に到着。右から大師堂、地蔵堂、庚申堂と並んでいたのだが、新調されたっぽい大師堂の鈴の緒の結びが緩かったのか、ほどけて下に落ちてしまっていた。触るのも気が引けたので、それを踏んでしまわないように避けながらお参りをする。
大師堂の弘法大師像は石の坐像だ。その昔、大阪難波の石工がある武士の依頼により彫像したのだが、約束の日になってもその武士が受け取りに来ない。訝しんでいると、ある夜弘法大師が夢に出てきて「その像を阿波小松の地へ送ってほしい」とのお告げがあり、本当に小松という場所があるのが分かったので、当時難波と牟岐浦を結んでいた商船に託して送ったとのことだ。
小松大師を出てほどなくして、またまた国道55号線に戻ってきた(五度目?もうよく分からん)。道路沿いに商店があり、それを挟んで左手に自販機3台、右手に休憩所がある。休憩所の奥にはトイレもあるようだ(行ってないけど笑)。ちょうど昼前だったので、ここでお昼休憩にすることにした。荷物を置いて自販機へ。DAIDOの自販機を見かけたら探すようにしているお気に入りのジュースがある。さらしぼ、さらしぼ…「さらっとしぼったオレンジ」、あった!近畿では売らなくなってしまったのだが、四国にはあった!だいぶ値上がりしているようにも感じたが、迷わず購入する。近畿でも再販してくれないかなあ。
この「岡崎商店」は看板も新しい感じだったので単に定休日なのかと思っていたら、ものすごく最近に閉業してしまったようだった。ここは薬王寺から12kmほど、ちょうどよい距離にあり、商店が営業していた時はお弁当なども買えて絶好の休憩ポイントだっただろう。ひとつだけ残念だったのは、休憩所の隅にあった灰皿からかなりきついタバコの匂いがしていたことだ。一番離れたベンチに座ってご飯を食べた。ファミマおにぎりに続き、デザートに豊田屋さんのお饅頭(亀のたまご)を食べていたら、さっき追い抜いた二人組が道路の向こう側を通り過ぎていった。
12:00ちょうどに岡崎商店を出発、15分ほどで「牟岐橋」を渡った。ここからしばらくは、牟岐川をずっと左に見ながら牟岐町の中心地に向かって南下していく。「真っすぐ行くしかないんだから、分かるでしょ?」と言わんばかりに、へんろシールは鳴りを潜めた。川沿いの歩道は踏むたびに側溝の石の蓋がペコペコと動いて、疲れてほとんど上がっていないつま先が何度もそれに絡め取られ、酔っていないのに千鳥足みたいになる。少し歩道が広くなったところに小さなベンチが置かれていて、例の二人組がそこでお昼を食べていた。挨拶をしてその前を通り、その後二人と出会うことはなかった。
ベンチのすぐ先で、道路の向こう側に何やら立派な碑が立っている。表題に山頭火、と見えたのでそちらへ渡ってみた。石碑の後方にある古民家はかつて俳人の種田山頭火が宿泊した旅館「長尾屋」の跡だそうだ。出家得度して行乞しながら旅をしていた山頭火は、昭和14年11月、58歳の時に牟岐の地を訪れ、この宿の夫婦に温かいもてなしを受けた喜びを日記に綴った。着の身着のままでやっと辿り着いた宿、三日ぶりの風呂、おいしい食事に整えられた寝具。そんな極限の状況なのに、しっかり酒は買いに行ったらしい。山頭火は飲兵衛で有名だ。正真正銘の千鳥足でこの川沿いを歩いたことだろう。
長尾屋の例に漏れず、沿道に並ぶ民家のうち、古風ないい感じの木造住宅はだいたい空き家になってしまっている。地方はどこに行ってもそういうものなのかもしれないが、このあたりの古民家は立派なものが多く、荒れているのがなおさら残念に思えた。
12:45、牟岐駅を通過。牟岐町を出ると海岸沿いのドライブウェイに入ってしまい、もう食料を調達できるところがない。今日のお宿は素泊まりのため、ごはんを食べていくか、コンビニで調達していくか考えておかないといけないが、さすがに食事を取るのは早すぎる(さっきお昼を食べたばかりだし)。お宿までで最後のコンビニ(ローソン)がちょうど遍路道上にあったので、そこをチェックしておいた。
そろそろ道が込み入ってきたのでへんろシールさんに戻ってきてもらいたいところだのだが、牟岐駅を過ぎてもこれといった案内はない状況が続いた。またまたアプリを追いつつ、国道から分岐して住宅地へ。ローソンへと曲がる角で突然クッキリ新しい右折の矢印が貼ってあって逆に驚いた(2025年2月に撮影されたGoogleストリートビューにはこのシールがないように思われ、誰かが新しいシールを貼っていってくれている感じがする)。
八坂八浜旧へんろ道(大坂峠→内妻浜→松坂峠→古江浜→福良峠)
13:00、牟岐のローソンで食料を調達。ついでに豊田屋さんのお饅頭、「亀のたまご」の最後の1個を食べた。ローソンの横の道路脇には「八坂八浜旧へんろ道→」と書かれた看板が立っている。太平洋側に出てきたと言いつつも日和佐から牟岐までの道は山間部を通っていたのだが、ここから本格的に海沿いに出る。徳島県の橘湾から室戸岬まで約200kmに亘る広大な「室戸阿南海岸国定公園」のエリア内でもあり、リアス式海岸や砂浜、貴重な植物などの植生が見られる景勝地が続く絶景ロードだ。ただし、平等寺でのお宿「山茶花」さんで自転車男子が言っていたとおり、歩いていると3日間景色が変わらないので「そういう意味で修行」とも言われている。
「八坂八浜」とはそのエリアのうち牟岐町から海陽町にかけての12kmほどの海岸のことで、「八坂」とは大坂・松坂・福良坂・鯖瀬坂・萩坂・鍛冶屋坂・粟浦坂・借戸坂を、「八浜」とは内妻浜・古江浜・福良浜・鯖瀬浜・大綱浜・鍛冶屋浜・栗ノ浜・三浦浜を指すそうだ(諸説あり)。明治期に今の国道の前身となる道ができるまでは、急坂と浜づたいを行くこの道は土佐街道でも随一の難所だったという。
道しるべに従って進んでいくと遍路道は次第に国道から離れていき、ひっそりとした山の中の道に入っていった。左手に斜面に飲み込まれるように建てられた民家(廃屋)があり、「こんなところに…どんな人がどんないきさつで建てたんだろう。苦労しただろうに、もう住むこともなくなってしまっただなんて」などと思いながらその前を通過する。
さらに進んでその先に「生きた民家(=人が住んでいる)」が見えた時、「なんか違うかも」と思ってアプリを見たら、案の定峠の登り口を通り過ぎていた(この謎の感覚はサンティアゴ巡礼の2回目、ひとりで「北の道」を歩いた時に不思議と身についた)。先ほどの廃屋の向かいに峠の入口があったのだが、建物のほうに気を取られていて気づかずに行き過ぎてしまったのだった。
「大坂峠」は、「八坂八浜」の最初の「坂」だ。峠の入口には牟岐町観光ボランティアガイドの会による説明書きが掲げられており、それによると「八坂八浜」は駄馬も通れぬ「親知らず子知らず」と言われ、波の荒い時は道が洗われ通行できないこともあったという。新潟の糸魚川にある「親不知・子不知海岸」は有名だが、どの地においても断崖絶壁を縫う浜辺を行き交うのは命懸けだったようだ。
13:25、大坂峠に入る。いきなり予想外の急傾斜、そしてマムシ注意の看板。ひえっ。薬王寺から室戸岬への道は「札所もないうえ延々と海沿いの国道で景色の変化がなく、気持ちを保つのが大変という意味で修行」というのが前評判で、きついアップダウンがあることをあまり考えていなかったので「思ってたんと違う」と思いつつ登り切る。
「これがずっと続いたらまずいのでは…?」と一瞬冷や汗をかいたが、最初だけ登ってしまうとあとは平らな歩きやすい道が続いた。落ち葉も適度にふかふかで足にもやさしい。5分もしないうちに展望ポイントへの案内が出てきて、「海が見えるよ!」とのことだったので、上ってみる。階段の先は小さな広場になっており、真ん中にビールケースが逆さにして置いてあった。それを踏み台にして木立の向こうを見晴るかすと、ちらりと海が見えた。今日最初に見る海だ。
大坂峠の道しるべは「寒葉峠」のものと同じで、同じ人が保全活動をしてくれたんだろうか、と思う。矢印看板は木の板におおらかな墨書き、へんろ札は二人連れのシルエットだ。犬を連れたかわいいのや、歌が記された札もある。
「大坂や さばせ、さば中、さば一つ 大師にくれで馬の腹やむ」
これから向かう別格4番・八坂寺は「鯖大師」という別名の方が有名で、「さば」に関してはそのことを詠んでいるのだろうと分かるが、突然の馬はなんだ?と思う。実はこれも鯖大師にちなむエピソードのひとつで、空海が山中で出会った馬子に荷の塩鯖をひとつ譲ってくれないかと頼んだが、馬子は口汚く罵ってそれを断わった。そのまま峠を越えていこうとすると、荷を積んでいた馬がお腹の調子を崩して動けなくなってしまう。そこで馬子は、やや、これは巷で有名な弘法大師だったのか…と悔い改めて鯖をひとつ譲り、空海が加持した水をもらって与えると馬のお腹が治ったという。馬、とばっちり。
13:45、入口から20分ほどで大坂峠(標高97m)に到着した。ここにも登り口と同じタイプの説明書きがあり、かつてはここに「内妻一里松」と「草鞋地蔵尊」があったが、松は枯れてしまい、お地蔵さまも少し下に移設されたということだった。説明を読みつつ、ふと視界の端に違和感を感じてそちらに視線をやると、もうひとつ案内看板があった。「ビューポイント、50m先→」。
なぜそれに違和感を感じたかというと、その矢印の差し示す先がこれまで見たこともない傾斜の盛り上がりだったからである。通常では「登る」という発想にはならない角度の切り通しの上を差しているのである。
なぜか、ならば登ってやろう、という気になり、木の根が露わになったその斜面に取り付いた。実際に登ろうとするとその傾斜はもはや壁に近く、ザックの重みに身体が後ろへ引きずられそうになる。金剛杖と左手で地面にすがり、半ば四つん這いになってその壁を登った。
始めの急傾斜を登ってしまうと尾根筋のような平らな道が開けており、「おー行けた、さっきみたいに広場か何かがあるのかな」などと思いながらそこを歩いていく。そのうち何となく地面が開けたところに出たが、あたりは樹木が生い繁り、「展望」と言えるようなものはどこにもない。木々の梢の隙間から青いものがちらちらと見えて、海がどちらにあるかが辛うじて分かる程度だ。もう少し上まで行くのかな?と思ってさらに進むと、いくらもしないうちに踏み跡があやふやになり、どこが道なのか分からなくなった。
まずい、行き過ぎたか?いや、「展望所」的な立て札がまだないということは、もっと先に進むのだろうか。どうするか一瞬迷ったが、これ以上進んだらさっきの峠に戻る道すら分からなくなりそうな気がした。遭難、ダメ、絶対。そこまでで引き返すことにして、でもせっかくここまで登ったのに何も成果がないのも悔しいので、来る時に少ーしだけ木立が途切れていたところで思いっきり腕を伸ばして写真を撮ってみたら、なんとか海がカメラに収まった。

もと来た道を引き返し、根っこの斜面を滑り台みたいに下りて、大坂峠まで戻ってきた。結局「ビューポイント」がどこだったのかよく分からずじまいだったが、かつて斜面を切り開いて展望スポットを作ってくれたけれど、木が成長しすぎて眺望がなくなってしまったのだろう。幹が何股にも分かれ、マスクメロンみたいに根っこを張り巡らせている入口の木が何なのかを調べたかったが、花も咲いていないし葉っぱも高いところにあって画像を撮ることができず、アプリで判定することはできなかった。
峠から5分ほど下ると、今度は道の真ん中にビールケースが置いてあった。その先にはすでに海が見えている。ケースのところまで行くと視界が開け、眼下に「八坂八浜」の最初の浜、「内妻海岸(内妻浜)」を見下ろすことができた。ちょうど咲き出した赤いツツジがエメラルドグリーンの海の色に映えて、素敵なコントラストを生んでいる。桜からツツジへ、季節が進んでいることを実感しつつ、海を見ながら水分補給をした。ていうか、特に壁を登ったりしなくても道すがらに見れるし、「ビューポイント」よりこっちの方がイージーにきれいやん、とひとりツッコミ。
そこから抉れたような急坂と急階段を下りて、車道へ。道路を渡ってさらにその先へと進む遍路道の脇に「草鞋供養」の祠があった。大坂峠から移されたという草鞋地蔵尊だろうか。かつて人々は履き古した草鞋の供養のため、そして「八坂八浜」を無事に越えられるようにとの安全祈願のため、ここに草鞋を奉納したという。お地蔵さまの前を通ってさらに山道を下り、民家の間の小道を抜けていくと、海辺の堤防へと繋がった。
ちょっと南国チックな植物に囲まれた小道を下りて、浜辺に出た。さっき大坂峠の道から見た「内妻海岸」だ。その時は人が泳いでいるのに気づかなかったが、近づいてみると大勢のサーファーたちが波に向かっているのが見えた。ここは人気のサーフポイントだそうで、日曜日の昼下がりということもあり、入門教室が開かれているような雰囲気だった。サーフィンに適しつつも激しすぎない感じの波が初心者にはちょうどよさそうだ。その様子を眺めつつ堤防沿いを回り込み、最後は階段を上って国道に合流。14:25、大坂峠の入口からちょうど1時間だった。
そこからほんの250m、「内妻トンネル(全長253m)」の手前にまたもや「八坂八浜旧へんろ道」の案内があった。矢印に従って左の側道へ入ると峠の入口があり、「八坂八浜」の2番目の坂、「松坂峠」に入る。昨日も「松坂峠」が出てきたが、「大坂峠」とともに頻出の、峠あるあるの名前っぽい。松の坂、といいつつも寒葉峠や大坂峠ほど針葉樹の落ち葉は降り積もっておらず、どちらかというとダートの道だった。
14:40、峠の入口から10分ほどで松坂峠に着いた。大坂峠と同様この峠にも旅の安全を願ったお地蔵さまがあったが、大正になって国道ができると峠が荒れてしまい、国道脇へ移されたそうだ。
松坂峠を過ぎて見事な切り通しの連続を下りていくと、手書きのへんろ看板が出てきた。浜辺を歩くか国道に戻るかの経路図のようだが、なんか肝心のところがよく見えん。笑。その先に小さな矢印看板も出ていたのでそれに従って歩いていくと、特に迷うこともなく浜辺に出た。先ほどの地図に書かれていた「古江の浜」だろう。「八坂八浜」の2番目の浜だ。
さっきの「内妻浜」は浜辺といいつつも堤防の内側(コンクリート)を歩く感じだったが、ここ「古江浜」は砂浜を直接歩くようだ。そしてスペインでもそうだったのだが、こういう形式のルートの場合、海岸に下りるまでの案内はやたらと丁寧なのに、いざ浜へ出ると矢印は文字通り潮が引いたかのように消滅するのである。
ど…どっち?とりあえず海を左にして真っすぐだよね…?赤い矢印がどこかにないか、と視線を泳がせつつも進んでいくと、浜を分断する岩場が現れた。えーと、あれを越えますか?右手を探してみても陸側に戻る入口はなさそうだ。岩場に近づいていくと岩の窪みにちょこんと矢印があり、やっぱりここを行くのね…と恐る恐る岩に足をかける。身ひとつならまだしもザックを背負っているので重心が安定しないし、もういい歳なのでいかにも足首を捻りそうだ。セルフ注意報を出しながら慎重に進む。
ふー岩場を越えたぜ、と思ったらその先はざくざくの砂利、一歩踏み出すたびに靴底が深く沈んでいく。うおー、これ地味に足腰にくるやつや!次第に砂利は細かくなり砂になっていったが、それはそれで蹴っても蹴っても進まなくて歩きにくい。かすかに残る先人たちの足跡を追って足元だけ見ながら必死に砂を漕いでいたら、浜辺の端っこまで行ってしまい行き止まりになった。さすがにこれは越えないだろう、と分かる岩壁だ。「Henro Helper」を確認すると、やはり行き過ぎてしまったようだった。
えー、道どこよ、と思いながら引き返すと、浜辺が少し広くなったあたりの草地の際に白いポールがぽつんと立っていた。ああ、これか…。またやってしまった、とちょっと苦い気持ちになる。スペインの「北の道」を歩いた時に散々やった見逃しだ。海育ちの人には子どもの頃から染み付いた「当たり前」なのかもしれないが、生まれてこのかた内陸で暮らしてきた自分には「陸に戻りたかったらポールを探せ」という、海で生きる術が身についていないのである。あれだけ迷い倒してまだ習得していなかったか。(ちなみに、平地暮らしなので別に山の知識があるわけでもない。軟弱。)
ポールのところで曲がるとちゃんと道があり、よく見ると入口近くの木の枝にはピンクテープも結ばれていた(角度的に順打ちで来たら見えないけど)。そのまま側道に出て、15:10、国道55号線に七たび合流。今朝歩き始めたときは「今日はずっとこんな車道沿いのアスファルトなのかなあ…違う意味の修行だな」と思っていたのだが、いやはや、なかなかのアドベンチャーだった。もちろん国道のない時代は先ほど引き返した岩壁をそのまま回り込んでいくしかなかったようで、潮汐の状況によっては命の危険を伴う道だっただろう。
そのまま10分ほど国道を歩いていくと、牟岐町から海陽町への町境にきた。あたりは広場になっていて、ドライブ中にちょっと車を停めて海を眺めたりできそうなスペースだ。ここから見えるのは「八坂八浜」の三つ目の浜、「福良浜」のようで、「福良」というバス停があった。もしかしたら急な体調不良などでお世話になることもあるかもしれないと思い、バスの頻度がどれくらいなのかを見てみる。時刻表によるとおおむね1時間半に1本くらいはバスが走っているようだった。浜を望む場所にはひっそりと俳句の碑が立っている。
「八坂八浜の難所でさへも親の後生ならいとやせぬ 雨情」
さっき見たことがあると思ったら、これは大坂峠の入口の説明書きに書かれていた句だ。「親知らず」と言われた難所を決死の思いで渡っていく姿。牟岐町のホームページによると、この歌は昭和初期に当時の牟岐町長が野口雨情に創作を依頼した「牟岐民謡」のひとつだそうだ。野口雨情は、童謡民謡詩人。「十五夜お月さん」、「七つの子」、「赤い靴」、「シャボン玉」…どれも慣れ親しんだ、懐かしくも哀愁を含んだ歌だ。
町境のすぐ先に「福良トンネル(全長265m)」が見えてきて、ここでも旧遍路道の案内がされていた。車道沿いはつまらない、と言いつつも、再三の迂回路案内に思わず「うえっ、また!?」と声が出てしまう。お宿を出て8時間、そろそろお疲れも見られるのである。だが今日目指す「鯖大師」があるのはこのトンネルを出たところ、トンネルの長さからすれば迂回したとしてもそんなに長い峠道ではないはずだ。恐らくこれが今日最後の峠道、行ってみよう!
15:25、「福良坂峠道」に入る。入口の大きな看板には「癒しのへんろみち」と書かれているが、果たして癒やされるかどうか。「まあまあの坂やがな」とツッコミながら登ること約5分、「福良坂峠」と書かれた看板が見えてきて、その脇には「難所・馬返し」の立て札があった。鯖のエピソードの峠道はこの福良坂なのか。そこからの下りが幅の狭い急な切り通しを一直線に下りていく道で、滑りそうになるのを刻んで刻んで慎重に下っていく。お腹が痛くなくても、馬には厳しそうな峠だ。両側を鬱蒼とした杉木立に包まれ、溝のようになった細道をすり足で下っていると、急に森が途切れた。「えっ?」と思って顔を上げると、多宝塔っぽいものの背中が見える。「鯖大師」に到着したようだ。
【別格4番霊場・八坂寺/鯖大師(やさかでら/さばだいし)】本尊:弘法大師
15:35、別格4番霊場・八坂寺(の裏側)に着いた。あまりに唐突に視界が開けたものだから、なんだか狐につままれたような感覚になりながら塔の方へ下りていく。芝生を手入れしているお坊さん(恐らくご住職)がいて、ご挨拶。到着の時刻記録を兼ねて二重の塔の写真を撮ると、そんな早速に写真ばっかり撮らないでよーと仰る。あっ、ごめんなさい…重度の撮影病なんです…。あと、来た方向的に多分ここには戻ってこないので、今撮るしかなかったというのもある。しかし気を悪くさせてしまったので、もう少しタイミングを考えればよかった。
八坂寺(鯖大師本坊)は先ほどのエピソードの通り塩鯖を運んでいた馬子と空海の邂逅がきっかけで開かれたお寺で、その後空海が塩鯖に加持祈祷を施して海に返してやると、鯖は生き返って海へと泳いでいった。それを見た馬子は仏心を起こして空海の弟子になり、この地に庵を建てて霊場としたのが始まりだという。三年間鯖断ちをして鯖大師にお参りすると、子宝成就、病気平癒を始め、願いごとが叶えられるそうだ。
境内にはお遍路さんが10人くらいいた。人が多かったためと、先ほどの住職さんの言葉が心に引っかかっていたこともあり、写真を撮るのはあとにしようとまずはお参りを全て済ませる。本堂の右手には護摩堂があり、参拝自由とのことだったので入ってみた。ここは本堂東側の山腹をくり抜いて作られた全長88mにも及ぶ洞窟だそうで、中はひんやりと涼しい。トンネルのような回廊の左手には四国八十八箇所霊場・別格二十霊場のお砂踏みが続き、右手には全国から奉納された夥しい数の不動明王像が北海道から順に県別に並べられていた。回廊の一番奥の大広間が護摩堂になっており、直径15mくらいの円形のお堂の祭壇正面には炎を背負った不動明王、そして周囲の壁にも小さな不動明王像がびっしりと並んでいて、仄かな灯りの中でそれらが浮かび上がるさまは壮観だった。
納経のあと、人の波も引いたのでお堂の写真を撮ってまわる。本堂から大師堂の方へ来て、しまった!と後悔。お堂の扉がもう閉まっていた(駄洒落ではない)。昨日の薬王寺に続き、16時に閉廟されてしまうようだ。鯖を片手に持った大師像が祀られていたのに、格子に阻まれてよく見えない。うーん、無作法にはなってしまうけど、やっぱり記憶にも記録にも「いいところ」を残しておきたいので、今という時に行動しておくべし、だった。一期一会は一度逃したら帰ってこない。もちろん礼節を損なわないように気をつけよう。
帰り支度をしていると、車お遍路のおじちゃんが「がんばってね」と言ってお茶の缶をくれた。しばらくお話をしていると、お菓子もあるから、と車の方に戻って何種類も持ってきてくれる。かわいいジップロック入りお菓子の詰め合わせ。このミニーちゃんの袋は納め札を横に二列にして並べたサイズにジャストミートで、「まだ書き込んでいない納め札入れ」としてこの後ずっと愛用することになった。
国道へ戻る道を歩いていくと鯖大師への案内看板があったのだが(裏口進入したから事後に見ることになった)、そこには「鯖大師本坊」「鯖大師へんろ会館」と2列書きされていた。鯖大師ではかつて最大150人もが泊まることのできる宿坊を運営されていたのだが、令和4年10月31日をもって残念ながら閉業となった。薬王寺から20kmほどというとても良い距離にあるので、お世話になったお遍路さんは多かっただろう。
国道に出てくると、道の向こうに「さばせ大幅」と看板を掲げた和菓子屋さんがあった。店先を覗いてみるとひとつ80円でバラ売りも可能との張り紙があったので、ふたつ頂くことにする。通常は白餅とキビ餅らしいが、この時季限定で白餅とよもぎ餅になっていて、1種類ずつお願いしたら、よもぎの方をひとつオマケしてくださった。「福良浜」ってここからきたのかな、と思いながら、ふっくらした手触りの柔らかい大幅餅を手にお宿に向かった(※このお店がある浜は「鯖瀬浜」。空海が鯖を生き返らせたので、「鯖生」なのだそう)。
本日のお宿に到着!
鯖大師から今日のお宿までは約1km、国道を歩いて15分ほどである。国道沿いの「民宿大砂」と浜寄りの「大砂荘」で名前が似ているためか、分岐のところでお宿の説明書きがされていた。自分のお宿は「大砂荘」なので、左の側道に入り浜の方へと下りていく(これが「八坂八浜」の「萩坂」らしい?)。ここはキャンプもやっているので、近づいていくにつれて何組かの家族が車からタープを渡したりテントを張ったりして準備をしているのが見えてきた。自分はアウトドアはからっきしなのだが、見ている分にはとっても楽しそうでワクワクする。
そして、このお宿に泊まるために浜側に下りたことによって、必然的に「鯖瀬トンネル(全長98m)」と「大砂トンネル(全長198m)」を迂回することになった。昨日「木岐トンネル」のところで少し触れたことだが、今日一日だけで実に9つのトンネルで「どちらを通るか」の選択があったことになる(奥潟、日和佐、山河内、八坂、内妻、古江、福良、鯖瀬、大砂)。このうちトンネルの方を通ったのは日和佐だけ。どんだけトンネル嫌いやねん。
17:00、チェックイン。出発してから9時間半で、これまでで最も長時間歩いた日になった。案内してもらった部屋は素敵なシービューで、トイレも付いていて便利。お宿に着いたら、なにはともあれお風呂である。浴室には「給湯器の故障により湯量が確保できないため、シャワーのみでお願いします」と書かれていた。汗を流せるだけでありがたいのでまったく問題なしである。洗濯は200円、乾燥は300円で、乾燥高っ!となり、借りるのは洗濯機だけにして部屋干しすることにした(乾燥機でよくある設定は30分/100円)。
ただ、これも慣れてしまった贅沢の話で、スペインの洗濯・乾燥に比べたら涙が出るくらい安価にしてくれているのである。あちらはだいたい4€&4€の設定で、当時1€=165円くらいだったので、両方やったら1,320円もする目玉が飛び出る価格だった。なので、サンティアゴ巡礼では洗濯は基本的に「手洗い&庭干し」だ。「フランスの道」は乾燥地帯が多いので余裕で乾く。曇りがちな「北の道」では何人かで一緒に使って割り勘するなどやりくりしていた。
洗濯物を干したあと、せっかく浜辺なので散歩に出てみることにした。ついでにお宿を探検。昨日に続き素泊まり宿なので、キッチンは充実している。畳に椅子&テーブルのリビングも広々だ。フロント横には冷えたビールが販売されていた。食事は無しでよくても、皆これははずせないのだな、とちょっと面白くなる。自分はアルコールに強くないので「夜の一杯!」みたいなのはないのだが、お茶をグッとやれば満足できる。安上がり。
お宿の真ん前、部屋の窓から見えていた突堤の先まで行ってみた。刻々と「誰そ彼」となるなか、何人かが釣りをしている。ここは何が釣れるのだろう?ぬるいコンクリートにぺたりと座って、しばし波の音を聞く。あー今日も歩いた。今日は一日曇りだったのだが、ここにきて雲が切れてきて、ほのかな夕明かりを見ることができた。明日はお天気に恵まれそうだ。日が落ちるにつれだんだんと山の影が濃くなっていくのを見ながら、さばせ大福をひとつ食べた。
15分もするとすっかり日が暮れてしまったので、部屋に戻った。廊下の共用コーナーで紅茶を作って、お部屋ごはんである。歩き遍路の夜は忙しい。もぐもぐやりながら明日のルートや補給ポイントなどの調べ物に家族への連絡、そうだ、お宿の予約も忘れてはいけない。Booking.comで「はりまや橋」近くのお宿を予約した(4/28&29、Guest House BONITO)。ついに高知が射程圏内に入ってきた。今のところ太龍寺道で始まった咳と、ずっと引きずっている膝のだるさはあるものの、大きな痛みなどはなく、歩き旅をこのまま続けられそうだ。歩き始めてちょうど20日目、いったん休息日を入れつつ、せっかくなので桂浜に行ってみようということで二連泊にしてみた(桂浜は遍路道から離れているので、歩きついでには行きにくい)。
今日は歩きながら写真を消さなければならないほどスマホの容量に限界が来ていたので、クラウドに上げ終わったものを片っ端から削除していく作業に精を出していたら、寝るのが1時を回ってしまった。
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