「修行の道場」土佐、ついに本領発揮

東洋町野根から室戸岬までは、ちょうど30kmほど。23番薬王寺から24番最御崎寺までの約75kmの道のりのうち、ここまでは大小の町を通り抜けながら、浜辺に峠にとそれなりに地形の起伏や景色の変化があった。しかし、ここから先は石ころの転がる海岸沿いにただ国道が走るのみの、まさしく「修行の道」に入る。野根の集落を出てほどなく現れるのは、「この先10km自販機なし」という立て札のある自動販売機だ。右に山、左に海、空は曇天。歩いても歩いても近づかない室戸岬…。考え事の海に沈みそうになったが、途中で久しぶりにお遍路さんに出会い、お宿までおしゃべりしながら歩くことができて救われた。お宿は海のすぐ目の前。予報通り夜は激しい雨になり、海鳴りと雨風の音が唸るように押し寄せるのを聞きながら、屋根の下で安全に眠れることのありがたさを噛み締めた。
| 日付 | 2025.04.22(火) |
| 天候 | 曇りのち雨(15℃〜20℃) |
| 行程 | 東洋町野根〜室戸市尾崎(30,339歩/18.1km/↑262m ↓267m/6h40m) |
| 06:00 朝食 07:20「まるたや」出発 09:35-09:55 法海上人堂(滞在20分) 11:10-11:20 仏海庵(滞在10分) 14:00「ロッジおざき」チェックイン 17:20 夕食 | |
| お宿 | ロッジおざき【 個室2食付き ¥7,800 / 6室 /15:00 】 (4/17 17:00 tel予約) |
| 費用 | 食 費 ¥ 300(自販機飲料) 洗濯代 ¥ 200(洗濯¥100、乾燥¥100) 宿泊費 ¥7,800 合 計 ¥8,300 |
★行き倒れ注意★
野根〜室戸岬(24番最御崎寺)〜室津(25番津照寺)の間は商店などがほとんどなく、物資の補給が困難。飲み物食べ物の準備は計画的に!「室戸岬まで行ったら観光地だから何かあるだろう」という期待は裏切られる。小さなカフェと観光案内所しかない。
・野根〜入木までの約10kmは民家もない「絶海の孤島」区間、夏場や悪天候時は特に注意。
①連続雨量250mmを越えるとゲートが閉鎖されて通行止めになる。
②民家どころか自販機もない(野根港近くの自販機にその旨の注意書きあり)。
③法海上人堂と仏海庵に水場とトイレあり。オアシス。
・入木より先は佐喜浜の町や民宿の前などに自販機がある。
・食べ物が入手できそうな商店があるのは佐喜浜のみ。ちなみに、いわゆる「コンビニ」は「道の駅宍喰温泉」の手前の「セブンイレブン海陽町宍喰店」から、室戸岬を越えて「ローソン室戸市役所前店」までの約48kmの間存在しないので、物資の調達は計画的に。
室戸への道、ついに「修行区間」へ
5:00にアラームが鳴った。今日は歩く距離が短いのでそこまで急いで準備をする必要はないのだが、すっかり5時起きが定着している。明るくなるまで、布団の中で写真の整理をしながら過ごした(これもルーティンになりつつある)。30分ほどして部屋のカーテンを開けてみると、野根の古い町並みが見えた。町を包むように囲んで連なる山々は深い緑を湛えている。そして、それほど高い山ではないのにも関わらず、そのてっぺんには灰色の雲がのしかかっていた。今日の天気予報は、18時頃から強い雨。すでに雲が厚かった。
6:00、朝ごはん。食堂に下りていくと、ユキちゃんが鯵の干物と格闘していた。私の姿を見て驚いている。昨日LINEで「私の部屋もめっちゃ広いよ!偉い人になったみたい」と送ったのだが、どうやら同じ日に泊まっているのだということが伝わっていなかったようだ。昨日はとても早く14時ごろにお宿に着いて、同じくマッサージで寝落ちしたとのこと。今日は室戸にしかお宿が取れなかったので、35km歩く予定だそうだ。代わりに明日は10kmだけ。私も鯵をほぐしつつ、昨日よりおとといの道の方が辛かった…と言うと、超同意してくれた。いい加減アスファルトを歩いてからの峠道だったので、余計足にきたのだろうという結論になった。
しばらく行程やらお宿情報の話をしたあと、さりげなく(?)なぜ四国に歩きに来たのかを聞いてみた。四国遍路でもサンティアゴ巡礼でも、「なぜ歩きに来たのか?」をお互いに問うことはしないというのが暗黙の了解だ。とても重い理由を背負っている場合があるからだ。ただ、自分が3回歩いてみた感触でいうと、今どきはみんな結構普通に聞いてくる。私の場合は単純に「珍しいから」というのもあるだろう。スペインでは東洋人は目立ちまくっていたし、四国においてもこの年代、しかも女性が通しで歩いていることは少ない(そして「仕事を辞めまして…」と説明を始めると、もれなく大絶賛してもらえる。労働に対する感情は世界共通のようだ)。ただし、必ず前置きがある。If you don’t mind, 差し支えなければ…。
ユキちゃんは「歩くのが好きだから」と言っていた。だが台湾ではオートバイと車が道路に溢れていて危ないし、長距離を歩けるようなトレイルルートもない。スペインの道を歩くことも考えたが飛行機代がかなりの痛手だ。その点日本なら3時間で来れるし、何かトラブルがあったりやめたいと思ったりしてもすぐに帰れるのでこちらにしたとのこと。私がスペインを歩いたことがあると言うと、とても興味を示していた。もしスペイン巡礼に行くことになったら、なんでも聞いてねと伝える。四国を歩き終わったあとも、ユキちゃんとは繋がれそうだ。
朝ごはんを終えたら、出発の準備である。ユキちゃんはたくさん歩くので、トイレを済ませたらすぐ出発するとのことだった。こちらは今日は16km程度と急がないので、少しゆっくりめ。写真のアップロードをギリギリまでやってから行こう。お宿の方が「お接待」でおにぎりを持たせてくださった。その意味するところは、「今日歩く区間には補給ポイントがほとんどない」ということだ。自販機も少ないようなので、手持ちのペットボトル2本も水で満タンにしていく。
7:20、お宿を出発した。オーナーさんご夫婦は、私が角を曲がって姿が見えなくなるまで手を振って見送りをしてくれた。野根の古い町並みはしっとりとして趣深く、曇天なのがもったいない。昨日は空が綺麗だったからもう少し町を見ておけばよかったかな、とも思ったが、そういえばお宿に着いたのが17時を過ぎていた。住職さんの顔を思い出してちょっと笑ってしまう。
ほどなく「港久保橋」という石の橋が現れて、川を渡るのかと思ったら広大な田んぼの上を通る橋だった。ちょうど植え付けが終わったところと思われる水田は、「野根米」の田んぼかな。向こう側から散歩のおじちゃんが歩いてきて、食べ物飲み物持ってるか、ここから先は何もないからなあ、と声をかけてくれた。四国の人は、歩き遍路を見かけるとたいていこれからの道順や状況を教えてくれる。土地勘のない者がこのあと大変な目に遭わないようにとの心配りなのだ。
続いて、今度こそ「野根川」を越える橋を渡る。蔦に絡まれた石の灯篭が趣深い古い橋は、その名もずばり「野根川橋」。脇に「4t 」の重量規制看板があって、「えっ、これ車通れるの??」と驚いたが、いわゆる旧道のようで、さらに海側に国道が移って「野根大橋」ができて以降は二輪以下のみになっているようだ。それまではこのほっそりした橋で車両が行き来していたというのにもびっくりだが。
橋を渡った先には小さな地蔵堂があった。中を覗いてみると、中央に石造りのお地蔵さま、左は弘法大師、右は…お猿さん、庚申堂かな?このお地蔵さまは「仏海」という僧が彫った地蔵道標(遍路石仏)なのだそうだ。赤い前掛けに隠れて見えないが、舟形の光背には「左へんろみち、さきのはまへ四り」と彫られているらしい。
仏海さんは真念さんより80年くらい後の人で、江戸時代中期の1710年、伊予国猿川村(愛媛県北条市)の生まれ。わずか13歳で家を出て仏道修行に励み、若いうちから五穀や塩を絶つ「木食」を実践していたため「木食仏海」と呼ばれていたそうだ。高野山や富士山を始め、東北から九州まで日本中を修行して廻り、39歳の時に全国廻国修行を成就。その間に三千体もの地蔵尊像を彫像したという。その後四国遍路も20回以上巡拝する中で、室戸と足摺を中心に遍路が難渋する場所に地蔵道標を設置した。このお地蔵さまはそのうちの一つなのだ。
橋の向こうは「集落の果て」になるのか、道沿いの民家は軒並み空き家でちょっと切ない。ここからまた国道に合流し、今日もひたすら55号線を歩いていく一日だ。昨日までと違うのは、「ほぼ無人地帯」であること。地図を眺めているだけでも一目瞭然、野根までは大小あるとはいえ集落が次々と現れ、道の駅や海水浴場などレジャースポットもあって人の暮らしが見えたものが、ここから先は海岸線に沿ってただ国道が走るのみ。小さなお堂はあるものの、納経をするような寺院もひとつもない。今日は別格霊場や番外を含め、正真正銘「お参りをしない初めての日」になる。
「修行の道場」土佐の道しるべは寡黙だ。徳島では歩きはじめのヒヨコ遍路たちが迷わないよう細やかにへんろ札が設置されていたのが、国道への合流地点にも特になにもマークはなかった。ただ、室戸へ向かえ。赤地に白で「八十八」とだけ書かれた札が静かに道行きを示していた。
国道に出てから10分ほど歩くと、お馴染みの赤い自販機が出てきた。しかし、その手前に立てられていた手書きの看板はなかなか見ることのないものだ。「最終自販機。この先10km、仏海庵前の国道まで給水ポイントなし!!」…この区間は、本当に「道路」しかないのだ。ちなみにこの自販機の手前で左は野根港経由、右には旧道経由の分岐があるのだが、国道を避けようとするあまりそちらにいってしまうとこの自販機には出会えないので要注意だ。
水はペットボトル2本分持っていたので糖分補給をしておこうということで、これまたお馴染みのQooで一服、しようとしたら柴三郎の千円札が弾かれた。すかさず温存していた旧札を取り出し、無事飲み物をゲット。英世先生に感謝だ。自販機の写真を撮って、初めてYAMAPにコメント投稿をした。「この先10km自販機なし。2025年4月現在、新札は使えません」。
実はこの時百円玉も持っていたのだが、自販機で敢えて千円札を使おうとするのには理由がある。「両替」のためだ。四国遍路ではまだまだ現金が必要なシーンが多いのだが、なかでも細かいものを持っていない時に「しまった」と思う場面は、洗濯機・乾燥機を使おうとして百円玉がないとき、そしてお賽銭をしようとしてお札しかない時だ。現金は現金で温存したいのでクレジットカードが使えるお宿ではカード決済を優先するのだが、そんな宿が連続してホイホイとカードで払っていたら「小銭がない!!」となったこともある。どうしても硬貨がない時は旅館や納経所でももちろん対応はしてくれるだろうが、百円や五百円のために一万円札を出すのはなかなかに決まりが悪い。
そんなわけで、徳島を歩いている10日間で「お宿で一万円札で支払う→お釣で千円札をゲット→納経所で千円札で支払う→五百円玉をゲット→自販機で千円札か五百円玉を使う→百円玉と十円玉をゲット」というセルフ両替システムが確立していった。この中で最も大事に確保しておくべきものは「旧千円札」だ。自販機はもちろん、運が悪いと電車の切符売り場でも新札を受け付けてくれないケースがある。自販機は新札不可のほかに「新五百円玉不可」もあるので、五百円玉は納経所で使うことも多かった。対人の場合は新旧関係なく受け取ってくれるもんね。
自販機の少し先に「伏越の鼻」のバス停があった。思いっきり錆びついてホラー感のある本体の上にラミネートされた時刻表が貼られている。念のためバスの頻度をチェック、室戸行きの本数はだいたい1時間半〜3時間に1本くらいのようだ。
バス停の横にあった説明板によると、ここから先「入木(ゆるぎ/いりき)」の集落までの約9kmは「事前通行規制区間」となっており、連続雨量250mmを越えると通行止めになるようだった。そう言われると、さっきゲートっぽいものがあった気がする。歩いている間の天気のことしか考えていなかったが、前日までの天候によってはここから進めない可能性もあったのか…。(ところでこの看板、ゲートの先にあったのだけど、実際の通行止めの時に読むことできなくないか??)
室戸岬へ至る道路が開発されたのは明治後期〜大正初め頃のことで、それまでは岬を回らずに山越えで奈半利へ抜ける「野根山街道」が土佐東部の主要道路だったそうだ(室戸岬→▽だとすると、上の辺)。遍路たちが岬の端っこにある最御崎寺にまっすぐ向かおうとすると、やっと「八坂八浜」が終わったと思ったのも束の間、今度は「飛び石・跳ね石・ごろごろ石」と呼ばれた石ころだらけの道なき海岸を30kmも辿らねばならず、四国遍路屈指の難所だったとされている。高知が「修行の道場」と言われる所以である。国道ができた現代ですら通れないことがあるというのだから、波打ち際の真横を草履で歩いていた頃いかに危険な道であったかというものである。
バス停からしばらく歩くと眺望が開け、海岸沿いに出た。ちょうど目線の先に岬が折り重なって見える。あの一番向こうに霞んで見えるのが、目指す室戸岬だろうか? Googleマップを進行方向に向けてGPSと見比べてみるが、イマイチ確信が持てない。そして、ここから実際に室戸岬に辿り着くまでの二日間は基本的にこの景色が続いた。右手に山、左手に海。そして室戸岬(かも)。せめて晴れていれば輝く海に気持ちも上がったのかもしれないが、今日は生憎の曇天だ。空も海も、ついでに道も灰色である。道路の下には、遍路たちを泣かせてきたのであろう石ころの浜が見えた。かつて身体の限界を試された室戸への遍路道は、現在は「精神修行の道」なのである。
灰色の空と海を見ながら黙々と歩いていると雑念が次から次へと湧き上がってくる。そして、気を紛らせてくれるものがないからか、体のあちこちの不具合も急に気になってきた。まずは、さらに状態が悪くなった喉の痛み。風邪ではなかったはずが、炎症がひどくなって首から上全体が熱っぽく感じられる。それに誘発されているのか奥歯も痛みだし、時々電流が走るような激痛が襲ってきた。出発前に気になって歯医者に行き、虫歯にはなっていないとのことだったが、どうもよくない感じがする。なんだか踵も痛い気がしてきた。痛み止めを飲んで、全部大丈夫だったことにしてやり過ごす。
何か目新しいものはないかと沖の方を見ると、雲の切れ間から落ちた太陽の光がうっすらと海の上を照らしていた。その陽だまりを見て、補陀落渡海の風習を思う。「補陀落」とはサンスクリット語の「ポータラカ」の音訳で、インドの南の海上にあるとされた観音菩薩の浄土のことだ。南の海の果てに補陀落浄土があると信じ、そこへ船で渡ろうとする渡海行為は、日本でも平安時代の昔から行われていた。記録のうち半分は熊野で、那智勝浦にはその名も「補陀洛山寺」というお寺があるくらいだが、同じく南に開けている土佐でも室戸岬や足摺岬から船出をした記録が残っているという。小さな木造の船とわずかな食糧、信仰のうえとはいえその先に待っている結末が想像できなかった訳はないと思うが、それを押してもなおあの光のもと、浄土へ行きたいと思わせる何かが、確かにここにはある気がする。
8:20、お宿を出発してからちょうど1時間で「ゴロゴロ休憩所」に到着(距離は2.5km。超ゆっくり)。海岸沿いの国道は当然日陰もないので、四阿の屋根の下で座って休めるのはありがたい。トイレはなかったが、最近ではあまり見かけなくなった公衆電話のボックスが隣に立っていた。岬の端へと向かっていく道だ、緊急の時に限って電波が通じなくて公衆電話が命綱となることもあるだろう。スマホを見てみると、電話回線にしているドコモのほうはアンテナが4本立っていたが、データ通信に使っているau(povo)の電波は1本だった。峠道ではこの逆のパターンだったこともある。こういうこともあろうかと四国遍路に出る前にDUAL SIMを導入しておいたのだが、正解だった。
休憩所の背後の擁壁には「ゴロゴロ」の地名の説明書きがあった。このあたりの岩はピンポン玉〜漬物石くらいの大きさの丸い石がゴロゴロしている所、というところからこう呼ばれるようになり、黒潮が岸辺まで迫っているので、波の荒い時は今でもゴロゴロー、ゴロゴローと石の転がる音が浜から聞こえてくるそうだ。昨日泊まった「まるたや」さんのタオルに書かれていた住所が「野根ゴロゴロ」となっていて面白いなと思っていたのだが、「ゴロゴロ」は字の名前にもなっているようだ。
休憩所を出発する前に、1件予約の電話をかけた。チェックアウトの波が終わった頃合いだろうか、と一応時間帯に気を使っているのだが、本当に相手方にとって都合がいいのかは分からない。幸いすぐに繋がって、予約を取ることができた(4/30、「高知屋」)。ところがその次に目処をつけていたお宿「温古社」の空き状況を確認すると(予約システムで見れた)、連休前後は軒並み「0」になっている。家族経営のお宿のため里帰りなどの時は休業されることもあるらしく、5/1はそもそもやっていない雰囲気だった。「お宿イレブン」オーナーさんのお勧めのひとつで、札所からも近く距離もよかったのだが…その日どこまで歩くかを考え直さないといけない。
海岸沿いを再び歩き出す。日が出てきたので帽子を被り、道端に落ちていたペットボトルをひとつ拾って、黙々と歩く。ほかのお遍路さんの姿もなく、たまに車がビュンと通りすぐていくのみで、聞こえるのは波と風の音だけだ。浜辺に降りていく階段は手すりが錆まみれで封鎖されており、電柱についていた電極盤?も台風にやられたのか箱ごともげてしまっていて、このあたりの自然の厳しさが伺えた。道に迫る擁壁を見上げると、そのもうひとつ上に古い石積みがある。なんと、ここにも昔は人が住んでいたのか⁉︎と驚いたが、石垣は国道に沿うように細く長く続いている。どうやら旧道の跡のようだった。
国道沿いになってからは、基本的に道路の右側(山側)に歩道というか水路の蓋のようなものがあって、そちらの方がスペースが広い。そのためほとんどは山側を歩き、浜に降りていく階段があったりしてたまに海側のスペースが広くなっている場所があったとき、車が来ないのを見計らってそっちに渡っては海を眺めるという感じだった。そして、そうしてみたところで見えるものはだいたい同じである。白い波が打ち寄せる石ころだらけの浜と、さっきよりちょっとだけ近づいたかもしれない室戸岬(推定)だ。変わらない景色をぼーっと眺めながら無になって歩いていると、ざーん、ざざーという寄せては返す波の音の合間にカラコロと硬い音が混ざっているのに気がついた。
これは、もしかして「ゴロゴロ」…?
さっそく海ぎわのほうにスペースを探して道路を渡り、海岸を覗き込んでみた。眼下に広がるのは比較的小さな石ころたちで敷き詰められている浜だ。波が打ち寄せる浜辺を見ながら耳を澄ませてみると、確かに海岸がゴロゴロと鳴っているのが聞こえた。実際に耳で聞くと、ゴロゴロというより、ポコポコポコ…みたいな感じに聞こえる。波が引いていくとき沖に攫われていく石ころたちがぶつかり合って音が鳴るようだ。動画に撮ってみたのだが、聞こえるだろうか?
それにしても、改めて「ごろごろ」の浜を見てみると、歩きにくそうなことこのうえない。東洋大師(明徳寺)で波待ちをすることを「野根の昼寝」と呼んだと昨日の記事で書いたが、海が荒れている時は下手をしたら波に攫われそうだし、そうでなくても草履でこんなところを歩いているうちに足を挫いて動けなくなったりもしたことだろう。「道しかなくて景色が単調だ」などと言っている場合ではなかった。ここに道路を通してくれた100年前の人たちに感謝である。
今日は色々ぐだぐだと考えるための道なのだ、と捉え直して、また歩き始める。とはいえ景色に変化がないのもまた事実、たまに道端に何かの花が咲いていたりトカゲが逃げていったりするのに気を紛らわしながら、さらにもう1本ペットボトルを拾って、ひたすら歩く。小さな橋の横に、蔦に飲み込まれて朽ちゆくままにされた旧道の橋桁が見えた。これまで結構な山奥でもかつて人が住んでいた痕跡などが見られてその度に往時の暮らしに思いを馳せたものだったが、このあたりに人が定住していたことはさすがになさそうな雰囲気だった。
法海上人堂
ゴロゴロ休憩所から1時間と少し歩いたところで、道路脇のブロックの上に小さなオブジェが飾られているのを発見した。久しぶりに視界に灰色以外のものが出てきて、それだけで気持ちがなんとなく上向きになる。誰がいつ、この子たちをここに置いたのだろう?
オブジェたちをひとつひとつ見ながら歩いていくと、その先に小さな川があった。それまで高く立ちはだかっていた道路脇の擁壁がその一帯だけ途切れていて土と森に接しており、あたりの空気が一気に涼しくなってほっとする。
9:35、「法海上人堂」に到着。例の自販機から5km弱、貴重な水場のある休憩スポットだ。水が汲めるように清流の脇に柄杓が置いてあり、木陰の下には縁台も設置されていた。ザックを置いて川の水で手や顔を洗うと生き返ったような気持ちになる。手持ちの水も飲み干して清流の水を汲んでおいた。川の水なのでガッツリ飲むことは想定していないが、万が一のためだ。
法海上人は江戸中期、仏海さんより30年くらい前の人だそうで(真念さんと仏海さんの間?)、「淀ヶ磯」と呼ばれる一帯の難所改善の先駆けだったらしい。その法海上人が行脚の途上でこのあたりにあった木賃宿に泊まった時のことだ。その日はちょうど野根の祭りの日だったため、宿の人は祭りに行き、夜は法海ひとりとなった。翌朝宿の人が戻ってくると米びつの中が空っぽになっていて、当然ながら法海に盗みの疑いがかかってしまう。法海は無実を証明するためと、裏山に穴を掘って土中に籠り、そのまま即身成仏したのだという。その後彼を祀るお墓(宝篋印塔)が建てられ、それをお堂で囲ったのが「法海上人堂」なのだ。
一帯は奥に向かって斜面になっていて、中腹にトイレ、そして一番奥に法海上人のお堂(六角堂)があった。お堂までは割と傾斜があったのだが、なんとか登りきる。外観は幕も風雨に晒されて古びた感じがしたが、中を覗くと宝塔を中心に鮮やかな五色の幕と赤やピンクの華やかな造花で飾り付けられていて、意外にも廃れた感じはしない。そして、このカラフルな意匠には見覚えがあった。そう、この法海上人堂は明徳寺さんが管理しているのだ。あのコワモテの住職さんが祭壇をお花で飾っているところを想像すると、なんだかとっても微笑ましい気持ちになる。
法海上人は豊漁の神様とされていたり、ここにお参りして病気や脚の不具合が治ったという逸話があったりで人々からの信仰が厚く、お堂も寄進により何回か建て直されているそうだ。現在のお堂は平成11年(1999年)12月に建てられた、比較的新しいもの。前年の豪雨で倒れた大木が直撃して全壊してしまったそうで、あるお遍路さんがそれに気づいて地元に呼びかけ、自らも泊まり込みで再建に尽力されたとのことだ。
仏海庵
9:55、法海上人堂を出発した。再び「灰色の空と海とアスファルト」を見ながら黙々と歩く。ところどころ擁壁の切れ目から山(というか崖)に向かって「管理用通路」なるものが伸びていて、「もし今地震がきたらここを駆け上がるか」と思案しながら歩いていると、室戸方面から来たバスがビューンと通り過ぎていった。爽やかな水色をしたバスだ。お客さんはひとり、しかし貴重な公共交通機関である。
30分ほど歩いた先で、2〜3枚ほど耕作地が切り開かれているところがあった。基本的に山側はずっと擁壁が施されていたので、本当に「ここだけ」急に農地なのである。田んぼだろうか?草はきれいに刈られていたが、今も作付けをしているのかどうかは分からない。それに沿って歩いていくと、敷地が途切れたところに「水尻」というバス停があった。見渡す限り民家も何もないのだが、いったい誰が利用するのを想定しているのだろう。昔はこの上の方に民家があって、バスを利用する住民がいたのだろうか。それとも、今も農作業だけはしに来られているのだろうか。行き倒れかけた歩き遍路には救世主のような存在かもしれないが…。さっき走っていった水色のバスの姿が脳裏に蘇る。
「水尻」のバス停のすぐ先で、東洋町から室戸市に入った。市境を示す看板にはさっそく鯨が踊っている。キロポストのアイコンも「ポンカン&サーフィン」から「鯨」に変わった。そのすぐ先には「淀ヶ磯休憩所」。法海さんが難所改善に尽力したとされる「淀ヶ磯」だ。ここもゴロゴロ休憩所と同様、四阿と公衆電話がぽつねんと佇むのみだった。水もないしトイレもない。だが、ひと気のない道をひとりで歩いている時、こういった人工物が見られるだけで心のどこかでほっとしている自分がいる。都会は疲れる、田舎のほうが落ち着くとか普段言っておきながら現金なものだが、人の手が入っているエリアであるという安心感はやはり大きい。
11:00、「豪雨時通行止め区間」の終点のゲートをくぐった先に「仏海庵」への分岐があり、へんろ札に従って入木の集落に入った。入口のおにぎりみたいなオブジェがかわいい。歌碑か何かかと思って近づいてみると、「交通安全 右へんろ道、24番最御崎寺まで24.5km」と書かれていた。こんな凝った作りのへんろ石は初めて見た。入木の集落は入口こそ少し寂しかったものの、中に入っていくと田んぼが広がっていて、奥の山ぎわに民家がぎゅっと固まっているのが見えた。ここからだと、買い物遠いだろうな…とかそんなことを考えてしまう。
仏海庵には分岐から10分ほどで到着した。手水場は水道になっており、水が汲める。隣にはトイレもあり、この何もない区間でオアシスのような存在だ。それもそのはず、ここは「木食仏海」が室戸を目指す遍路たちのために建てた接待庵なのだ。仏海さんが四国巡拝の困難ポイントに地蔵道標を残してくれたことは先述したとおりだが、室戸岬への道はとりわけ越えるのが難しい場所だとして、この地に遍路たちが休める場所を作ってくれたのである(※現在は宿泊禁止)。彼は足摺岬に地蔵堂(真念庵)を建て、遍路休憩所として提供した真念さんを尊敬していたという。仏海さん自身も10年ほどここで過ごし、庵の傍らに自らの墓標として宝篋印塔を建てた。そして60歳のときその下に入り土中入定、即身成仏したのだそうだ。
入口の戸は閉まっていたが、鍵は開いていて中に入ることができた。入ってすぐは土間になっていて、横の一段高くなったところに畳の間と祭壇がある。最近修繕されたのか、壁や天井の木目は鮮やかで、ゴザも青々としていた。お勤めも毎日あるのかもしれない。賽銭箱の傍らには「メモリー」と書かれたノートが置いてあり、旅人たちのメッセージが残されていた。入口の逆側にはお堂の裏手に続く扉があり、その格子窓から仏海さんが眠る宝篋印塔が見える。先ほどの法海さんは動機が少し異なるとはいえ、立て続けに即身成仏のエピソードがあったり、補陀落渡海の記録があったり、なんだか生と死の境界線がすごく近くなっている感じがする。これが室戸の地の厳しさなのだろうか。
11:20、仏海庵を出発。お参りを終えてお堂の外に出ると、ちょうどお墓参りの人が来てバケツに水を汲んでいた。ここは今でも地元の人たちの菩提寺のような役割をしているようだ。緑に包まれた小道を歩いて再び国道沿いへと戻る途中、電柱に新しめのへんろシールを発見。その先にリサイクルごみのゴミ箱が見えてきたので、やっとペットボトルが捨てられる!と思って近づいていったら、空き缶専用だった。無念…
同行二人
入木の集落から国道に合流する手前でふと左(国道側)を見ると、建物の切れ目の向こうに赤い自販機が見えた。例の「10kmぶりの自販機」である。この「絶海の孤島」区間で歩き遍路が窮地に陥らないようにという特別の配慮なのか、実はこの自販機は「黄色い地図」にもわざわざ書いてあるほどの特別待遇なのである。
少し注意が必要なのは、遍路道が国道に合流するポイントの一筋手前にあるところだ。合流地点まで行ききってしまうと振り返ってこの自販機を見つける形になり、100mほど引き返さなければならなくなる。たまたま「あ、国道が近づいてきたな」と思ってそっちの方に目線を向けたら自販機が見えたので、ロスなく辿り着くことができた。ただ、これを見逃してもその後は佐喜浜の町や尾崎の民宿前に自販機がちょいちょい出てくるので、倒れる寸前まで干からびていなければパスしても大丈夫だ。
自販機に辿り着いて、まずはずっと持ち歩いてきたペットボトル2本を隣のゴミ箱に捨てた。本当にポイ捨てはやめてほしいものだ。自販機の向かいのガソリンスタンドはすでに営業していなかったが、その屋根の下にはベンチがひとつあった。おそらく、歩き遍路が休めるようにと置いてくれているものだ。時刻は11:30、ちょうど頃合いなのでここでお昼休憩をとることにしよう。自販機で麦茶を買い、「まるたや」さんのおにぎりを頬張った。
しばらくするとご近所の方?が軽トラックでやってきて、「これ、冷えてましたか?」と声をかけられる。ご指摘のとおりさっき買った麦茶は冷えていなかったのだが、補充したばかりなのかな?と特に気に留めずに飲み干してしまった。実は数日前から冷却がおかしかったらしい。女性は、やっぱり、と納得した様子で、自販機に書かれていた管理番号に電話をかけて故障をお知らせしていた。そしてあらかじめ家から準備してきたのだろう、「故障中。お知らせ済みです」というビニールに包んだ張り紙を貼って走り去っていく。こうやって誰かが目配りして動いてくれているおかげで、快適なサービスが受けられているのだ。感謝。
休憩がてら予約をもうひとつ進めて(5/1、「はるのゲストハウス」)、さて出発するか…と歩き始めたところで、自分の金剛杖の音に別の鈴の音が重なった。シャリン…、シャリン。一瞬お大師さまかと思ったが、ちょうどその先の合流地点に向かって歩いてきたお遍路さんだった。日焼けした健康そうな顔が印象的なおじちゃんで、広島から来ているという。そこから今日のお宿までは、そのおじちゃんと「同行二人」で一緒に歩いた。
入木の集落以降は少しずつ人の暮らしの気配が戻ってきて、道沿いにレストランなんかも現れるようになった。「RIDERS PARADISE」は一瞬廃墟に見えたが、カレーなどが食べられるカフェ。店名のとおりバイクがたくさん並べられていて、浜辺でキャンプもできるらしい。
その少し先で道が二股に分かれており、左に行けば佐喜浜港沿いの旧遍路道、直進すれば国道沿い。分岐の電柱はテーピングテープみたいなもので直進への修正がなされており、力技すぎて笑ってしまった。もしひとりで歩いていたらここで立ち止まって地図を確認し、問題なさそうだったら旧道を選んでいたと思う。でもここは、おじちゃんについて国道を直進した。(※なぜ修正されていたのか、この記事を書いていて判明。旧遍路道に架かる「佐喜浜橋」は老朽化のため歩行者・自転車のみ通行可能だったのだが、この直前についに撤去されてしまっていた。新しい橋ができるかは未定とのこと。もう少し先まで進んでからでも国道へ迂回できる。参考:へんろみち保存協力会HP)
国道沿いで、ひとつ面白いものを発見した。佐喜浜中学校を通り過ぎたあたりで、「四国霊場八十八ヶ所」という道しるべが立てられた登山口(兼 津波避難経路)があったのだ。いわゆる「写し霊場(ミニ四国)」である。お寺の敷地にある場合が多いが、こうして地域の信仰の場として残されていることもあるのだ。佐喜浜のものは江戸時代から続く霊場だそうで、一周約3時間。年に1回は草刈り清掃活動をされていて、地元ガイドさんによるツアーも定期的に開催されているらしい。楽しそう。その隣には寂れたたこ焼き屋さんの跡があり、「昔は繁盛してたのかなー」などと思いを馳せつつ歩く。
13:00、「新佐喜浜川橋」を渡って町の中心部に入った。すぐに「たこ助」というたこ焼き屋さんが出てきて、さっきのたこ焼き屋が引っ越してきたのだろうか?などと考えながらその前を通り過ぎる。佐喜浜には他にも喫茶店やスーパーが何軒かあったので、もしお宿でおにぎりを持たせてもらっていなかったら、このあたりか、さっきの「RIDERS PARADISE」で補給していく感じになっただろう。
佐喜浜は良質の漁港であるとともに土佐備長炭や木材の積出港としても賑わう交通の拠点だったそうで、現在の人口は1,300人ほどだが、最盛期にはこの10倍の13,000人が住み、映画館や芝居小屋などの盛り場があるほど賑わった町だったそうだ。上方文化の影響を色濃く受け、250年ほど前に大阪から伝わったとされる「佐喜浜俄(即興風刺劇)」は高知県の無形民俗文化財にも指定されている伝統芸能。佐喜浜八幡宮の秋の例大祭ではこの俄のほかに「狂い獅子」なども奉納され、内外から多くの見物客が訪れるという。
佐喜浜の町を出てしばらくすると、「高知100km」の道路標識があった。なんだろう、3日前に「室戸96km」を見た時に比べて不思議と絶望感が低い気がする。その室戸までは残すところ17km、歩き続ければきっと辿り着ける、と体が覚え始めたのだろうか。佐喜浜以降は道沿いに民家が並ぶところもあり、自販機もちょいちょい出てきて、行き倒れる心配はなさそうだった。今日の区間は野根から入木の10kmを凌げばなんとかなりそうだ。
歩きながら、おじちゃんと色んな話をした。これまでの旅の話、これから行ってみたいところ。仕事の関係で関西にも長くいたそうで、馴染みのあるローカルな地名が次から次へと飛び出した。修学旅行で京都や奈良の寺社仏閣に連れて行かれてもつまらないと思っていたけれど、今になるとその良さがよく分かる、薬師寺の三体仏がなんとも言えず好きなのだと仰っていた。シルバーウィークには奥様とデトロイトへの旅を計画しているそうで、お仕事を引退してからもアクティブに過ごされている様子。24日にどうしても外せない用事で一旦家に戻るため、ついでに宿が取りにくい連休をやりすごしてGW明けから続きを歩くつもりとのことだった。
佐喜浜の町を出て40分ほど、目指す室戸岬の方向になんだか特徴的なギザギザの岩が見えてきた、と思っていたら(夫婦岩)、小さな集落がふいに現れて、お宿に着いた。
おじちゃんのお宿はさらに歩いて10分ほどの「徳増」さんだとのことで、ここでお別れになる。別れ際、「ありがとう、ひとりだったら下向いて歩くような道を話をしながら歩けてよかった」と言ってくださったのがとても心に残った。まさしく自分が感じていたことだ。今日の道は、前評判通りの「精神修行の道」だった。いろいろ考えごとをしながら歩くのもお遍路の醍醐味ではあるが、ずっとひとりだったらもっとグレーの印象で終わっていたかもしれない。おじちゃんと合流してからの後半の道のりは、あっという間に感じるほどの楽しい時間だった。「同行二人」、おじちゃんはやっぱりお大師さまの化身だったのだろうか。
本日のお宿に到着!
14:00、本日のお宿「ロッジおざき」さんに到着した。本来のチェックイン時間は15時からなので寄り道しつつゆっくり行こうと思っていたのだが、おじちゃんとお話ししながら歩いていたらサクサク進めてしまったのである。ダメ元で中を覗いてみると女将さんがいて、ありがたいことに早めにチェックインさせてもらえた。
お宿の1階はロビー兼共用スペースと食堂になっていて、赤い螺旋階段が印象的。案内してもらった2階の5号室からは海が望めた。ミニ冷蔵庫とテレビもあって、座卓の前には背もたれつきの大きな座椅子が置かれている。そういえば予約の電話をかけた時に「4畳半でもよいか」と聞かれたのだが、十分すぎるくらいだった。
まだまだ明るいのだが、もうお湯は沸いているとのことだったので、さっそくお風呂に入らせてもらう。お宿は道路から一段下がった傾斜を利用して建てられており、ロビーからさらに階段を下りた地階部分にお風呂と洗濯スペースがあった。脱衣所は最近改装された様子で、壁の木目が新しくいい匂いがする。お風呂は二人分の洗い場があって、泳げるのではないかというくらい広かった。
洗濯機をセットして待つ間、周辺をお散歩してみることにした。地下スペースからそのまま道路に上がれたのでガレージ(というには傾斜がきついが)を上っていくと、ちょうど道路の向こう側をお遍路さんが歩いていくところだった。あの人も「徳増」さんに泊まるのかな。それとももっと先まで行くのだろうか。まだ雨は降り出していないが雲はいよいよ厚く、風も強くなってきていて、菅笠を深く被って歩いていくその後ろ姿は「大はしあたけの夕立」を思わせた。がんばれ、と背中からエールを送る。
一帯は石造りの塀とどっしりした瓦屋根の高知らしい町並みが続き、太平洋の波風をいかにして凌ぐかに苦心しながら暮らしてきた様子が伺えた。集落をぐるっと一周してお宿に戻ると洗濯ができあがっていたので、今度は乾燥をかけて部屋に戻る。部屋に置いていてくれたお茶とお菓子を頂きながら、地図とにらめっこ。ここ数日は連休の宿泊作戦と高知市内(休息日の桂浜)のスケジュール検討が主なミッションだ。 途中でちょっと眠たくなって仮眠したりしながら夕ごはんまでの時間を過ごす。背もたれの大きな座椅子がいい仕事をしてくれた。
17:20に夕ごはんの声がかかり、食堂へ下りていくと、お膳の準備は二人分。今日は夜に地域の行事?があるので、お弁当箱に詰めての提供でごめんね、と女将さん。鳥取から来られたというおじさまとおかずをつつきながら、お遍路談義。メインの話題はやはり「ゴールデンウィークをどう乗り切るか」だ。おじさまは、宿が取れそうにないのでいったん鳥取に帰り、戻ってきたら一気に最後まで回りきるつもりだとのことだった。瀬戸大橋のところから歩き始めたので、愛媛で結願を迎える。四国遍路は世界でも珍しい回遊型巡礼路なので、便宜上1番札所〜88番札所と番号が振られているが、どこから始めてもよいのである。
ごはんのあとで共有スペースの図書コーナーを物色していると、「黄色い地図」の旧版が置いてあった。初版ではなかった気がするが、表紙の色はすっかり褪せていて相当古いものだ。開いてみると、現在「地図」と聞いて思い浮かぶようなベースの地形図はほとんど書かれておらず、海岸線と川、そしてたまに地名が書かれているだけのほとんど白地図状態のものに赤い線で遍路道だけ引かれていて、かなり難易度高めだった。「黄色い地図」は「方角がくるくる定まらないことがネック」と賛否が分かれる地図ではあるが、すごく進化していて分かりやすくなっていたのだった。
飛び込みで二人のお遍路さんがやってきた。野宿派だろう、大きなザックを背負った母子連れだ。昨日「東洋大師」の通夜堂に泊まった親子かもしれない。飛び込みだと食事なしの素泊まりにはなってしまうが、今晩は大雨の予報なので、野宿を回避して急遽お宿を求めたのでろう。挨拶をしてみたのたが、少し事情を抱えていそうな雰囲気で、反応は薄かった。
18:00、部屋に戻る。窓から外を伺うと、予報通り雨が降り始めていた。今日は早くチェックインさせてもらえたおかげでこの時点で洗濯まで全て終わっているので、夜時間がたっぷりある。再び地図と対峙して、高知から先の行程を練った。ちょうどゴールデンウィークの間に市街地から離れて足摺岬に向かい始めるので、お宿の候補が限られてきて悩ましい。でも、流れを断ち切りたくなかったのでいったん家に帰ることは考えなかった。普段は5日先くらいを目処に予約しているが、この期間はがんばって2週間先、連休最終日まで進めよう。本日3件目の予約をHP経由で完了(5/2、「りり庵」)。
もう少し続きを考えたかったが抗いがたい眠気が何度も襲ってきて、うっかりアプリの全消しとかしてしまいそうだったので、諦めて一旦寝ることにした。トイレを済ませ、アラームを1時間後にセット。布団に入る前にもう一度窓のカーテンをめくってみると、横殴りの雨が叩きつけるように降っていた。そして、海のほうからドーン、ドーンと荒れ狂う波の音が響いてくる。そうか、海辺で大雨になると、雨の音と海の音の両方が襲ってくるのか。世界中が水に包まれたみたいだ。暗闇のなか街灯に照らされて浮かび上がる大粒の雨を見つめながら、こんな夜に屋根の下で眠れることのありがたさをただただ噛み締めた。
日々獣を追って洞窟で暮らしていた頃の祖先が願ったであろう、人間の原初の欲求、「夜に安心して寝たい」という気持ち。歩き巡礼をしていると、「満たされた」と感じるレベルが極限の根底のところまで下がる。食べて、身を清めて、雨風凌げるところで寝られたら幸せ。それだけでよかったはずなのに、普段いったいどれだけの「欲しい」にまみれているのだろう。
22:30にアラームが鳴ったが結局起きられず、さらに強まる雨の音を聞きながらそのまま寝続けた。
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