【歩き遍路14日目】尾崎〜24番最御崎寺、20.6km

「海と陸の出会う場所」、辺地へちをゆく

灌頂ヶ浜(室戸岬)
灌頂ヶ浜(室戸岬)

嵐の一夜が明けた。散々暴れた雨雲は猛烈な湿気を残していき、汗だくになりながら室戸岬への最終日を歩く。4日かけて歩いてきたほつさきへのラストスパートとなるが、1日分の距離としてはそこまで長くはないので、敢えて遊歩道を通ってみたりと寄り道は多めだ。青年空海が修行をし、悟りを開いたといわれる「」もはずせない。その地理的特性から度重なる地震と台風の襲来を避けて通ることができない室戸岬。浜辺には海から上がってきたばかりの岩がごろごろと転がり、そこに荒波が押し寄せては砕けていく。その厳しくもなぜか心を惹きつけられる光景に、「陸のフチ(海岸線)」を練り歩く「修行」が起源だったといわれる「四国遍路」の原点を見た気がした。締めに灯台に寄っていくつもりが立地を勘違いして全然違う方へ行ってしまい、これは諦めることになった。

日付2025.04.23(水)
天候曇りのち晴れ(18℃〜23℃)
行程尾崎〜24番 最御崎寺(34,781歩/20.6km/↑403m ↓400m/8h55m) 
難易度★★☆☆☆[最御崎寺への最後の登りだけがんばればよい]
06:30 朝食
07:45「ロッジおざき」出発
10:20 室戸世界ジオパークセンター(休憩55分)
12:50 御蔵洞(御厨人窟&神明窟)
14:00-15:00 24番最御崎寺(滞在60分)
16:40「うまめの木」チェックイン
19:00 夕食
お宿うまめの木【 個室2食付き ¥8,800 / 3室 / 15:30〜 】
(4/18 20:14 tel予約)  
費用納経料 ¥ 500
食 費 ¥ 310(自販機飲料)
洗濯代 ¥ –
宿泊費 ¥8,800
合 計 ¥9,610

【引き続き、食料難民注意報】
・室戸岬には2025年になってカフェが2軒できたが、営業時間等が限られているので、あてにしていると腹ペコになる恐れがある。火曜日はどちらもやっていないので注意。
①coco室戸岬の先端です…ランチプレートがあるが、土日しか営業していない。
②ジオカフェ…アイスクリームやドリンクがメイン。ミニバーガーがある?火曜定休。
・周辺で食事ができるところは岬の4km手前にある「サンフィッシュまんぼう」(月曜定休)、それより先は25番津照寺近く(まんぼうから約11km先)の商店まで食料調達できそうなところはない。
・自販機及びトイレはジオパークセンターを始めちょいちょい設置されており、前日ほど必死にならなくても大丈夫。ジオパークセンターの自販機にはカロリーメイトやSOYJOYがある。

【道情報】
・岬に近づくにつれ、海岸沿いに設置された乱礁遊歩道への案内が出てくる。御厨人窟や最御崎寺登山口など主要なスポット前に出入り口があり遍路道に戻れなくなることはないので、時間に余裕があればそちらを通ってみても面白い。
・最御崎寺の山門前から海側に向かって室戸岬灯台への道があるので、山を下りてしまう前に灯台も見ていこう!(私は「灯台ならば岬の一番端っこにあるだろう」と思い込んでさっさと下りてしまい、見られずに終わった。泣)

 

 

荒波の音を聞きながら、いざ室戸岬へ

5:00起床。徳島最後の札所・23番薬王寺から4日目の朝だ。札所間距離75.4km、今日ついに高知最初の札所・最御崎寺を打つ。窓から外を覗ってみると、海はまだ荒れているものの、雨そのものは上がってくれたようだった。昨晩は結局起きられず連休作戦が途中で終わってしまったので、朝ごはんの時間までその続きに勤しむ。

躓いたのは5/4の宿泊先だ。その日は岩本寺(37番札所)の宿坊に泊まってみたいと思って1週間ほど前から予約ページで空き具合をチェックしており、「システム的に満室ならそもそも部屋の選択肢が出てこないので、表示されているうちは大丈夫だろう」と思っていたのだが、昨日改めて見てみたら個室が表示されつつも末尾にひっそりと「×(締切)」印がついていたのだ。己の確認不足にショックを受けつつ、対策をどうするかぐるぐる悩んでいるうちに眠気に負けた。寝たら頭もスッキリしたのでまずは代替案をまとめ、昼になったらダメ元で一回電話して空きがないか聞いてみることにした。

まだまだ波が高い
嵐の余韻
玄関から見える海の様子
朝食の頃にはだいぶ晴れてきた

6:30、朝ごはん。まんまるプレートに色とりどりのおかずがかわいい。トーストはおやつにするのもいいですよ、とのことだったので、ラップをもらって包んでいくことにした。昨日は所用があったため席を外しておられた女将さんも、今朝は台所から顔を出して「道情報」を教えてくれる。食事ができるところは、民宿もやっている「サンフィッシュまんぼう」。それより先は、25番津照寺の前にある商店まで店はないとのことだった。室戸岬は観光地の割に何もなく、小さなカフェだけだという。岬まで行けば何らかの食べ物にありつけるだろうと突き進んで、そのカフェが営業時間外だったら万事休すだ。室戸、どこまでも難易度が高い。

ごはんのあと、昨日衝撃を受けた旧版の「黄色い地図」をもう一度見たくなって手に取って眺めていると、鳥取のおじさまが「その本持ってますか?」とひとこと。最初は質問の意図を読めずにいたのだが、よくよく聞いてみると、なんとおじさまは紙の地図を持たずにGoogleマップで遍路道を歩いているのだった!衝撃、再び。一応「へんろのあかり」というアプリは入れているそうだが、あまり使っていないらしい。
Googleマップに次の札所への行き方を聞いたら、100%国道を案内してくるだろう。現地でへんろ札を見て従うこともあるだろうが、素敵な旧道を見逃してしまう可能性は高い。もったいない!!今日行く札所の最御崎寺に「黄色い地図」を置いていそうなことを伝え、「Henro Helper」もお勧めしてインストールしてもらった。結願が愛媛とのことなので残す道のりはそう多くないが、どうかよい旅を!

朝ごはん
朝ごはん。盛り付けがかわいい
出発前に部屋の様子をパチリ
準備完了!って、菅笠忘れとるがな

7:45、水を汲ませてもらってからお宿を出発。早朝よりも気温が上がってきたからなのか、海面から山手に向かってうっすらと靄が流れてきて幻想的だ。そして…、湿度が高い!!お宿の玄関を出た途端にむわっとした湿気がまとわりついてきた。4月半ばにお遍路を開始してちょうど2週間、日差しの強さを感じることはあったものの、湿度を感じたのは初めてかもしれない。うわあ、もう夏の気配なの?と思いながら歩き始めると、あちこちから蛙の鳴く声が聞こえてきた。あたりに水田はないので不思議だが、道端の深い茂みの中からケロケロ、コロコロコロと声がする。久しぶりのまとまった雨に歓声をあげているのだろうか。

歩き出してものの数分でさっそく汗が吹き出してきて辟易とするが、もし当初の予報のままだったら雨の中室戸岬への最終日を歩かなければならなかったことを考えると、むしろ運がよかった。雨量も相当なものだったが何より風が強かったので、ちょっと危なかったかもしれない。狙い済ましたようにピークの時間が早まってくれたのだ。しかも降り始めはお宿に着いたあとだったので、結局1ミリも濡れていないのである。お大師さまの采配に感謝である。

嵐の余波でまだまだ波は高いのだが、それこそが望むところといった様子で海岸には既に多くのサーファーが集まってきていた。内陸民で海は眺める専門の身からすると、白波の立つ海に敢えて入っていくなんてようやる…、という気持ちである。明日はいい波が来そうだ、となったらすぐ出陣できるようにいつも準備を整えているのだろうか。

海面にかかる靄
海面にかかる靄が幻想的。しかし湿度がすごい
早朝からサーファーが集まっていた
「尾崎ビーチ」。さっそくサーフィンが始まっていた

岩に砕ける波をなんとかして「東映」映画の始まり風に撮れないか、とかアホなことをやりながら歩いているうちに、昨日一緒に歩いた広島のおじちゃんのお宿「徳増」さんを通り過ぎる。続いて現れるのは、昔懐かしいスタイルの食堂「ドライブイン夫婦めおと岩」だ。まだオープン時間ではなかったが、がんばって今も営業されている様子にエールを送る。そしてその名が示す通り、ドライブインから既に見えているくらいの距離に「鹿岡かぶかはなの夫婦岩」がある。昨日おじちゃんとの別れ際にちらっと見えていたやつだ。

夫婦岩は「夫婦」と言いながらギザギザが4つあるのだが、元からあったのは一番外側のふたつで、手前のふたつは道路開削の時にできたものだそうだ。落石が酷いらしく、観光スポット的な案内看板と車が2〜3台停められそうなスペースはあるものの、その先はガードレールでガッチリと封鎖されていて近くまで行くことはできなくなっていた。しかも手前の岩が絶妙に視界を遮ってくる。バリケードに斜めに張りついて、注連縄で繋がれたふたつの巨石をなんとか見ることができた。

夫婦岩 遠景
夫婦岩
夫婦岩 近景
鉄壁のガード

海に対して凸(鼻)になっている夫婦岩のところから後ろを振り返ってみると、ほんの30分の間に靄はすっかり晴れており、さっき歩いてきた道がくっきりとよく見えた。昨日、おとといに辿っていただろうあたりはさすがに霞んでいて、もうはっきりとは見えない。遥か向こうまで続くゴロゴロの海岸と山裾、そこをひとり歩いていた小さな自分の姿を思い浮かべて、ちょっと感傷に浸ってみる。

歩き巡礼をする時、過去と訣別すべく前だけを見て進む人の方が多いのだろうか、それとも折に触れ振り返ってしまう人が多いだろうか?私は圧倒的後者である。単純に綺麗な景色が見られることもあるし、ああ、がんばって歩いてきたんだよなあ、と自分を褒めてやりたい気持ちもある。そして鳥の目のように俯瞰してその道の上に「あの時の自分」を置いてみると、時間が巻き戻ったような混在したような、不思議な感覚に襲われるのだ。

道を教えてくれたおじさんに手を振って別れたあのとき、行き合った巡礼者と言葉を交わした瞬間、そして自分の足音だけを聞きながら森の中を歩いていた永遠にも思える道のり、あの確かにあった時間は、どこに行ったのだろう?事象としては一瞬のこととして消え去ってしまって、もうどこにもない。では完全に無になってしまったのかというと、そうでもない。少なくとも自分が忘れない限りはそこに存り続けるし、何より「土地」がそれを覚えている気がしないだろうか。歩き巡礼の悲喜交々、それは大地に溶け込んで記憶の蓄積となり、巡礼路をとり巻く渦となって、この道の上をずっと巡っているのではないだろうか。

夫婦岩から振り返って
歩いてきたみち
外国お遍路さんとすれ違う
今日初めて会うお遍路さん

巡礼路とトレッキングルートの違いはそこにあるのだろうと思う。四国遍路しかり、サンティアゴ巡礼路しかり、その祈りの道を歩こうとするからには何かしら今より良く変えたい、と願うものを抱えていてこそだろう。巡礼の道は自己との対話の道でもある。仕事や人間関係、健康、故人の供養などその内容は様々だが、膨大な距離と時間を散々ぐだぐだ考えながら歩き、過去と折り合いをつけ、未来を思う。そして最後にちょっとした希望を得て、「なんか、歩いてよかったかも」という気持ちを残して巡礼を終えていく。千年の昔から足跡とともに刻まれてきた何万人ものその「ものがたり」が、次にここを歩く巡礼者に思いがけない幸運や出会い、いわゆる「巡礼路マジック」をもたらしてくれているような気がする。

そんなことを考えながら歩いていると、向かいからひとりのお遍路さんがやってきた。外国お遍路さんのようだ。かなり遠目からでも高確率でそれが分かる特徴がひとつある。短パンに生足かどうかだ。健脚の彼はみるみるうちに近づいてきて、爽やかに挨拶をしてこれまたみるみるうちに豆粒のように小さくなっていった。 
 

「海と陸が出会う場所」、室戸ジオパーク

8:50、お宿を出てから1時間ほどで今日初めての分岐があり、海際からひと筋入って椎名の集落内を進む。石を積み上げた塀が延々と連なる様子は相変わらず芸術的だ。室戸岬は足摺岬の断崖絶壁と違って家と浜辺の高さがほぼ一緒なので、海が荒れた時は本当に大変なんだろうなあ。道端の広報スペースみたいなところにはイベントのポスターが4、5枚貼られており、おお、地域が元気なのは嬉しいな!と覗いてみたら、全部期日が過ぎていた。笑…

さっき「東映風」動画を撮りすぎたせいでスマホの容量がまたまた悲鳴を上げており、データをクラウドに上げて完了したら削除する、の自転車創業を密かに遂行しながら歩く。普段はギガ節約のためお宿でWi-Fiに繋いでからやる作業だが、スマホちゃんに「お腹いっぱいでお仕事できません」と言われたらたちまち何もできなくなってしまうヘタレ遍路なので仕方がない。森の中で五感を総動員して野生の勘を呼び起こし、時には地元の方に道を訪ねたりの交流もしながら歩くのが本来のお遍路の姿だろうから、「電子機器は持たず歩いてます!」ってやってみたいけど、チキンの私にはハードルが高すぎる話だ。

椎名の集落への分岐
椎名の集落への分岐(↗︎)
椎名漁港
椎名漁港

道は「B」みたいな形になっていて( I が国道で ∃ が遍路道)、15分ほど歩くといったん海に近づき、椎名の漁港が見えてくる。この時間は既にひと仕事終えて片付け作業中なのだろうか、漁師さんたちが威勢よく声を掛け合いながら船に網を積み込んでいた。「B」の上半分に差し掛かったところで、でっかい岩の御神体が目を引く神社を発見!「厳島神社」というらしくものすごく気になったのだが、そこへ行くには手前の分岐まで戻らなくてはならないので遥拝するに留める。ここまでくる途中にも、家の屋根を越すような巨大な岩がデンと鎮座しているのを時々見かけた。荒波が打ち砕ける海岸に巨石、日常風景がワイルドすぎる。

厳島神社
厳嶋神社
大岩に寄り添うように建つ民家
もしやこの下に秘密の洞穴が…!?

しばらくすると、「むろと廃校水族館」の案内が出てきた。かつてここにあった椎名小学校(2006年(平成18年)3月末廃校)の校舎跡を利用した水族館だ。屋外プールを改装した大水槽のほか校舎内にも水槽があり、ウミガメやサメ、エイなど50種類・千匹以上の魚が飼育されている。どの魚も買ってきたものではなく、定置網にかかったのを漁師さんが提供してくれたり、弱って流れ着いたものを保護したりと地元の魚しかいないことがむしろウリなのだという。工夫された展示にイベント、ユーモアのあるSNS発信などが好評でリピーターも多く、年間10万人を越える来場者がある密かな人気スポットだそうだ。

時刻は9:15、9時から営業開始なので中を見学することもできたのだが、絶対フィーバーしてしまうのが目に見えていたので、外の展示(捕鯨船のディスプレイ)だけを見て先に進むことにした。

水族館の案内
水族館の案内が見えてきた
国道にあった看板
国道沿いにも看板を発見。注釈がユーモラス
むろと廃校水族館
むろと廃校水族館(旧椎名小学校)
捕鯨船の遺構
捕鯨船の遺構(ノルウェー式捕鯨砲)

廃校水族館のすぐ先、国道との合流地点に「捕鯨山見跡」の登り口と案内板があった。焚き火跡や風囲いが遺っているそうで、昔はここから沖を見張り、鯨を発見したら狼煙で報せていたという。室戸の捕鯨は江戸時代初期、1624年(寛永元年)に津呂の大庄屋・多田五郎右衛門が鯨組を組織したことに始まると言われており、この「椎名山見」はその時から明治末期頃までの300年近くにわたってその役目を果たしてきた。鯨は「一頭獲れれば七浦が潤う」と言われこの地に大きな富をもたらしたといい、最初に発見した者には褒美として獲れた鯨の希少部位の肉が分け与えられたそうだ。

土佐の古式捕鯨は銛を用いた突き取り式から始まり、より捕獲率の高い網取り式(網でぐるぐるに巻いて動きを封じてから捕獲する)へと変遷していったが、1907年(明治40年)から捕鯨砲と動力付の捕鯨船を使用するノルウェー式捕鯨が始まったことで終焉を迎える。漁場が遠く北洋や南氷洋に移り、室戸沖で鯨を獲ることはなくなったのだ。更に1982年(昭和57年)に国際捕鯨委員会で商業捕鯨の一時停止が採択されたことを受けて遠洋捕鯨も終了となり、室戸から捕鯨船の姿は消えたのだという。今は鯨といえばホエールウォッチング。マッコウクジラやハナゴンドウクジラ、時にはイルカなんかも見られるそうである。

捕鯨山見跡
捕鯨山見跡
鯨印のキロポスト
キロポストもホエールちゃん(どこからの距離なのかは不明…。県境?)

再び海岸沿いの国道を歩いていると、「室戸ジオパーク/日沖ー丸山海岸サイト」と書かれた道路標識が出てきた。ジオパークとは「ジオ(大地)」と「パーク(公園)」を組み合わせた言葉で、「地質学的重要性を有するサイトや景観が、保護・教育・持続可能な開発が一体となった概念によって管理された、単一の、統合された地理的領域」と定義されているらしい。それだけではなんのこっちゃ、という感じだが、保護に重点が置かれる「世界遺産」に対し、そのエリアの地質学的価値について十分な調査研究を行い教育や防災などに役立てること、地形を産業やツーリズムに活かし、地域経済がその土地とともに発展存続していくことがジオパークの重要な視点なのだそうだ。

標識から少し先には「日沖」というバス停があり、その周辺だけ護岸がなされている。下に車を停めて突堤の先まで歩いていけそうな雰囲気を醸していたが、しばらく眺めていると折からの荒波がざっぱーんと砕けて堤防を洗っていった。普通に流れさそうなんだが…。最初はジオパークを紹介する遊歩道的なものかしら、と思っていたのだが、どうやらここは日沖漁港という漁港らしい。前後2kmは民家どころか倉庫的な建物も見当たらなかったのだが、今もこの港を使っている漁師さんはいるのだろうか?係留される船もなくただ波の打ち付ける音だけが響く様子は、さっきの椎名漁港とは対照的だ。

日沖のバス停
もはや風格すら感じる日沖のバス停
日沖漁港
波に洗われる日沖漁港

バス停のところから海岸を見下ろすと、ぽつんと石の碑が建てられているのが見える。「滋賀丸遭難者慰霊碑」だ。昭和19年5月30日、乗員・乗客約190名を乗せて高知から大阪へと航行していた貨客船滋賀丸は、この沖合1500m付近でアメリカ潜水艦の魚雷攻撃を受け沈没した。軍用船と誤認されたのだという。助かったのはわずか40名ほどという惨事だったが当時は報道を禁止され、詳細不明のまま年月が経過。地元有志が調査を進め、39名の身元が辛うじて判明し、30年後の昭和49年5月30日にこの慰霊碑が建てられたとのことだった。疎開の途中だったのだろうか。本土への脅威というと沖縄などの南の海を連想しがちだが、こんなに近くまでアメリカ軍が来ていたのか…。

少し沈んだ気持ちで波の音を聞きながら歩いていると、久しぶりに出てきた建物の脇に「室戸ジオパーク」の説明看板が設置されていた。室戸市は全域が「ユネスコ世界ジオパーク」に認定されているそうで、このあとも随所に地質の説明板が出てくるのだが、これが分かりやすくて面白い。歩き進むごとに説明板が連作シリーズみたいにそのポイントの解説をしてくれており、「あー、確かにそうなってるわ!」と感心&納得することしきりなのである。これがジオパークの定義のひとつである「教育」、「調査の成果を分かりやすく伝えている」ということか。ちなみに2026年現在日本にある「ユネスコ世界ジオパーク」は11箇所で、室戸は5番目に認定されたのだそうだ。

連作1枚目(多分)のこの説明板によると、日沖海岸から丸山海岸にかけてみられる黒い岩(玄武岩)は、海底で噴出したマグマが海水で急激に冷やされてできた「枕状溶岩」というものだそう。海底にあったそれが海洋プレートの沈み込み運動によりこそぎ取られて陸側にくっつき(付加作用)、さらにそれが地震で隆起してこうして海面に出てきたとのことだ。そう言われて海岸を改めて見てみると、波に転がされて「ゴロゴロ〜」と鳴りそうな小さな石ころはいつの間にか姿を消していて、ごつごつとした大きな岩が連なるようになっていた。

岩ごろごろの海岸
いつの間にか海岸の様子が変わってきていた
ジオパーク説明板
ジオパーク説明板

10:20、日沖のバス停から30分ほど歩いたところで「室戸世界ジオパークセンター」に着いた。室戸東中学校(2011年(平成23年)3月、室戸中学校に統合)の跡地を活用したものだそうで、駐車場がめっちゃ広い、というか建物が遠い(笑)。手前に立派な休憩小屋(へんろ小屋56号「室戸」)を発見したので、ここで一度荷物を下ろして大休憩をとることにした。駐車場の脇には各社ずらっと並んだ選びたい放題の自販機コーナーに、広々としたトイレもある。ごはんにありつけなくて行き倒れかけた歩き遍路への配慮か、ここの自販機にはカロリーメイトやSOYJOYなどの食べ物(といっていいか分からないが)も販売されていた。

飲み物を買って、さて休憩しようかねとへんろ小屋に近づいてみたら、1階部分は階段の上り口になっていて、必ず2階まで上がらないといけない造りになっていた。眺望をよくするためと思われるが、一段でも登る段差を減らしたい歩き遍路にとってはちょっとした罠だ。ぬおお、と螺旋状の階段を上りきる。うおーやっと座れる、とザックを下ろすと、毎度のことながら体が嘘みたいに軽く感じて羽が生えたみたい。座ってちょうど目線の高さに愛媛の善根宿のステッカーが貼られていたので、場所をチェックした。まだ700km以上先になるのだが、いつかここに着けるはずという心のよすがにしよう。

ジオパークセンターとへんろ小屋「室戸」
室戸世界ジオパークセンター&へんろ小屋56号「室戸」
善根宿の案内ステッカー
2階からの眺め。手すりに善根宿の案内が

だんだん明るくなってきた海を眺めながら水分を補給して、人心地ついたところでお宿の予約に入る。いつもながら緊張感の高まる電話タイムの始まりだ。あー、満室だったらどうしよう。やだなあ、電話したくないなあ。でもしなかったら泊まるとこないしなあ。えーい、発信!の繰り返しである。まずは5/3の土佐久礼、予約OK(福屋旅館)。そしていよいよ懸案の岩本寺宿坊だ。手汗でスマホが滑る。どきどきする心臓を物理的に押さえながら日付を告げると、優しそうなお姉さんが「あっ、いけますよ。4日ですね」と返事をくれた!!!

 

うおー!?いけた!

なんでか知らんけどいけた!

やっほーい!

 

日付を念押ししてから通話を切り、ベンチの上にへなへなと脱力する。ああ、この1分でだいぶ消耗した…。ほっとしたら急激におなかが空いてきたので、お宿で持たせてもらったトーストの包みを開いて齧りついた。蜂蜜バターの優しい甘さに癒されながら、結局なんだったんだろう、と放熱中の回らない頭で考える。2週間前なのでだいぶ早い気もするがネット予約は締め切りになっていて、空き自体はあったということか。それがあの「部屋の表示はあるが×がついている」という状態だったのだろう。

朝からずっとモヤモヤ考えながら歩いてきたことが解消されて、やっと周りを見渡してみる余裕ができた。駐車場には、この3日間で何回も見た水色のバスが停まっている。先ほどやってきたところなのだが、降りる人もいなければ乗る人もいないという悲しみ…。いや、夏休みなどはきっともっと人がいるのだろう。駐車場もいっぱいになるに違いない!

へんろ小屋からジオパークセンターを見下ろす
へんろ小屋からジオパークセンターを見下ろす
へんろ石
久しぶりに見た距離表示つき石柱。「ありがとう、さようなら」…?

11:15、ジオパークセンターを出発。Google先生によると岬まではあと2時間ほどとのことで、道行きもまあまあ順調だ。さすがにセンターを見学する余裕はなかったので、廃校水族館と併せて次回の室戸観光のメニューとしよう。集落を歩いていると、お散歩中のおばあちゃんとすれ違った。挨拶をすると、「ありがたやありがたや…」と手を合わせて拝んでくださる。恐縮してしまうが、四国の人にとってお遍路は「八十八箇所を巡りに行けない自分の代わりにお参りをしてくれる存在だから、お接待など親切を施して功徳を分けてもらう」というものでもあるのだそうだ。暑いけぇ気をつけてね、の言葉を背に再び歩き出す。

ここは三津地区というようだが、道沿いに姿を見せる保育所や小学校はみんな閉まっていてちょっとしんみりした気持ちになる。そんななか、女将さんが教えてくれた「サンフィッシュまんぼう」は元気に営業中。少し気分を持ち直す。さっきトーストを食べたばかりなので立ち寄りはしなかったが、室戸岬で唯一ちゃんとした食事が食べられる、救世主のような存在である。宿泊するとトレーラーハウスにあたることもあるらしい。面白そう。

室戸の貴重な食事処、サンフィッシュまんぼう。右奥がトレーラーハウス
海洋深層水の工場と製塩場
海洋深層水の工場と製塩場

ジオパークセンターから岬にかけては、海洋深層水の工場がたくさん建っていた。中にはトイレを提供してくれているところもあってありがたい。海洋深層水の活用も室戸岬の特徴的な地形から可能になったもののひとつだそうだ。東側の海岸は大陸棚がほとんどなく、沖へ少し出ると崖のように急激に深海へ落ち込んでいく。通常なら1000mもの深みを流れている深層水がその斜面に当たって上昇してくるので、水深300mくらいのところで比較的容易に取水することができるのだ。陸上型取水施設自体は海外にも先例があったが、海洋深層水を利用したミネラルウォーターなどの商品が販売されたのは室戸が世界初なのだそう。ジオパークの3つめの柱、「持続可能な開発」ってやつなのかな。そういえば一時期「MIU」をよく飲んでいたなあ。

大型バスはジオパークセンターまでのようで、その先は小型バスが往復していくのに2回ほど出会う。1〜2時間に1本とはいえ、こちらが8時間も9時間も歩いているものだから結構何度もすれ違うのだ。そしてふと、「これ、高知に入ってからの3日間でどれだけ進んだか運転手さんに見られていたのでは…?」と思い当たる。路線担当みたいな感じで同じ運転手さんが毎日何往復かしているとしたら、「おお、今日も元気に歩いてるな」「朝見た時よりだいぶ進んだな。よしよし、順調。でもちょっと歩くの遅いな」みたいな。笑
 

空海悟りの地、「御厨人窟(みくろど)」

12:35、ジオパークセンターから1時間半、5kmほど歩いたところで、右手に大きな白い大師像が見えてきた。この「青年大師像」は、1984年(昭和59年)の弘法大師入定1150年の御遠忌(50年ごとの法要)の際に寄進により建立されたものだそうだ。台座を含めた高さは21mもあり、遠くからでもよく見える。真っ白なのでびっくりするのだが、台風に耐えられるように鉄骨で造り、塩害に強いニューセラミックで仕上げをしたとのことだ。

この像のあるお寺は「明星来影寺みょうじょうらいえいじ」という。空海が24歳の時に著したとされる『三教さんごう指帰しいき』の序文の一節、

阿国大瀧岳ニのぼヂ、土州室戸ノ崎ニ勤念ごんねんス。
谷響キヲ惜シマズ、明星来影ス。

に由来するものだろう。

青年大師像とホテル明星
白い大師像と、ホテル明星(あけのほし。お遍路さん御用達だったが、残念ながら閉業してしまった)
乱礁遊歩道の入口
乱礁遊歩道の入口

叔父の後ろ盾のもと奈良の大学に通っていた空海だが、それはエリート官僚になるための勉強であり、これで人を救えるのだろうか、と気持ちは仏教に傾倒していったのだという。そんな時無限の記憶力を得られるという「空蔵くうぞうもんほう」の存在を知り、サクっと大学を中退、さっそくそれを実践すべく修行の旅に出た。なぜそんなに記憶力が欲しかったのかというと、ずばり「お経を覚えるため」。当時から木版印刷の技術はあったものの、希少な経典や中国から渡ってきたばかりの新しい経典は所蔵するお寺にしかなく、そこへ出向いて覚えて帰るしかなかった。この法を修めれば八万四千あると言われる経典を全て記憶でき、内容も理解できるようになるとされており、当時多くの僧がこの難行に取り組んだそうだ。

若い頃の空海の足跡には不明な点が多いが、明確にどこそこで修行をした、と書かれている数少ない場所が舎心ヶ嶽(太龍寺)と室戸岬だ。明星(金星)は”智恵と福徳の菩薩”虚空蔵菩薩の化身だとされており、その真言を一日一万遍、百日間で百万遍唱えるというこの修行は毎朝明けの明星に礼拝をしてから始めるため、東側が開けている場所で行うことが重要なのだという。19歳の時この少し先にある「御厨人窟みくろど」という洞窟でこの修行をしていた空海は、ある日明星が口の中に飛び込んでくるという神秘体験をして悟りを開いたと言われている。「明星来影す」、だ。絵面を想像するとシュールだが、仏さまと完全に合一した体感を得たということなのだろう。

(※「三教さんごう」とは儒教・道教・仏教のことで、『三教指帰』は人々を救うには仏教が一番優れていると説く内容。厳密に言うと24歳の時に書いたものは『ろう指帰(啓蒙書、的なニュアンス?)』というタイトルで、 40歳を過ぎてから一部改訂してタイトルも改めたらしい。遣唐使などを経て知見を深めたことにより内容が整理されて分かりやすくなると共に、若さと熱意のためちょっとトガッた表現になっていたのもマイルドになっているそうな。お大師さまにもそんな頃があったのね、と親近感。笑)

波打ち際へ下りていく遊歩道
遊歩道へ入ってみた
海のギリギリ横を通る
波飛沫がかかるくらい海が近い!

この白い大師像の前あたりから、海岸沿いの乱礁遊歩道への案内が出てくるようになった。いよいよ「名勝・室戸岬」エリアに入ってきた雰囲気だ。道路を挟んで遊歩道は海側、御厨人窟は山側にあるのだが、遊歩道の出入り口は何ヶ所かあり、ここでいったん国道を離れても御厨人窟の手前で戻ってこれそうだったので、行ってみることにした。

入口を入ると歩道はどんどん波打ち際まで下っていき、うまく海から距離をとってあるものの、なかなかのアドベンチャーというか自己責任感がある。まず見えてくる大きな岩「ビシャゴ岩」はマグマが地下でゆっくり冷え固まってできた「はんれいがん」で、約1400万年前に海の底でできたものが室戸岬の隆起に伴って現在の高さまで持ち上がってきたとのことだ。とても固い岩石なので、周囲の地層が波に削られてもこのように残っているのだという。

その向かいにあるのは「行水池」。空海が修行中にここで行水したと言われているもので、海水に洗われながらも真水を湛えている不思議な池なのだそうだ。周囲の岩には波打ち際に巣を作る「ヤッコカンザシ」というゴカイの仲間の巣の化石が付着していて、その位置(高さ)の変遷を追うことで「◯年前はこのあたりが海面だった」「△年ごろ陸地が一気に何m隆起した(大きな地震があった)」といった、この土地が形成されてきた歴史をそのまま見ることができる。ここで更に海際を伝っていくか国道へ戻るかの分かれ道があり、一度戻って御厨人窟へ向かった。

ビシャゴ岩
悲しい伝説のある「ビシャゴ岩」
行水池
行水池

12:50、御厨人窟に到着。なんとなく断崖絶壁みたいなのを想像していたが、意外にも平坦な広場のような感じだった。手前は駐車場になっていて、その奥にふたつの洞窟が口を開けている。向かって右が空海が「虚空蔵求聞持法」の修行をしたという「神明窟しんめいくつ」で、左が修行の間に寝泊まりをしたという「御厨人窟みくろど」だ。落石避けの覆い屋根がちょっと無粋な気もするが、これも危険防止のため。風化による崩落がありどちらも5年ほど立入禁止になっていたのだが、なんとか中を見学できるようにしてほしいという要望が多く、防護措置をして2019年(平成31年)4月末から入洞が再開された経緯がある。駐車場の脇には納経所があったが閉まっていた。御厨人窟の御朱印がいただけるらしいのだが、開いているのは土日祝のみとのことだ。

まずは右側、修行場であったという「神明窟」へ。中に入ってみると、天井から岩が重々しくのしかかってくるような感じではあるものの、開口部が広けていて奥行きもそこまで深くないので、意外にからりとしている印象だ。奥の壁が一部だけ深く抉れていて、そこに安置された神明宮という石の祠には大日孁貴おおひるめのむち(天照大神)が祀られている。ちょうど人ひとり籠もれそうなスペースに見えるので、空海は当時ここに座って真言を唱えていたのだろう。うむ、お大師さまに無事室戸に着けたことのお礼をして、お参りだ。

御厨人窟 遠景
「御厨人窟」
神明窟入口
「神明窟」入口
神明宮
神明宮

続いてお隣の「御厨人窟」へ。こちらは修行中に寝泊まりした洞窟だというが、入口の鳥居をくぐる前から既に雰囲気が違った。天井からはとめどなく水が滴り落ちており、洞内にひたり、ひたりとその音が響いているのが聞こえてくる。そして、奥を窺っても暗くてよく見えないのだ。御厨人窟は神明窟とは逆で、入口が狭く奥行きがあって、奥に行くほど天井が高くなっているのだった。鳥居の先は空気がスッと冷たくなり、知らずと背筋が伸びる。薄暗い洞窟の奥には大国主命をご祭神とする五所神社が厳かに鎮座しており、横壁の洞からはお地蔵さまがこちらを見つめていた。修行場よりこっちのほうがよっぽどゾクゾクするんですけど…。ここで、寝る…だと…?

どきどきしながらお参りを済ませて入口の方を振り返ると、中が暗い分外界の明るさが目に沁みる。この「御厨人窟」から外を見たとき、ただ、真っ青な空と海だけが見えた。それが「佐伯さえきの真魚まお」が法名を「空海」とした由来だという。当時(1200年前)は今よりも5〜6mほど陸地が低かったそうで、もっと海面が近く、本当に視界が空と海でいっぱいになったのだろう。いま同じ場所から外を見ると陸地が半分くらいを占めているし、落石避けの屋根もあるし、何より今日は曇天で灰色しか見えない。案内板の写真から「空と海」のさまを想像してみる。

室戸岬の地殻変動について「千年で平均2mという驚異的な速さで隆起し続けている」という説明がどこかにあって、その時は「1年で2mmってことやんな?ちょっと大袈裟なのでは?」と思ったのだが、何万年スパンでもおかしくない大地の活動のなかで、千年前の人と見ている景色が既に違うというのは確かに相当な速さだと実感した。ちなみに約2800年前はここは波打ち際にあり、現在駐車場になっているところが浜辺だったのだそうだ。満潮だと入れない感じ…?

御厨人窟の内部
御厨人窟(動画の切り抜きなので画像が荒いです…)
御厨人窟の中から見た景色
空海が見た「空と海」(現地の看板より)

御厨人窟を13:05に出発し、いよいよ最御崎寺を目指す。歩き道は最後に階段地獄があると聞いているのだが、その登り口までは再び乱礁遊歩道を歩いていくことにした。

御厨人窟の前から下りてすぐに見えてくるのは「エボシ岩」だ。こちらも「ビシャゴ岩」と同じ時期にできた斑糲岩。エボシの先が風化してきているそうで、いつかは「三角岩」になっちゃうのかも。さっき歩いたあたりはほぼ岩場だったのだが、こちらは木々が生い茂って緑のトンネルのようになっているところもあり、木道や人ひとり分の狭いコンクリートの道をのぼったり下ったり、トベラが咲き乱れ、ウバメガシが屋根を作る亜熱帯性植物の森を歩いているとちょっとした探検気分になれる。

エボシ岩
エボシ岩
トベラの木
トベラの木
遊歩道に猫がいた
お先達

ジオシリーズ(勝手に命名)の説明板を追いながら歩いていくと、米俵くらいの岩がゴロゴロ落ちている開けた浜辺に出た。まだ木は育っておらず、潮に強そうな短い草だけが生えている。道沿いには「最も新しい大地」というタイトルが付された説明板が立っていた。100年〜200年間隔で何度も大きな地震に見舞われてきた室戸半島では、そのたびに海底が盛りあがり、大地が作られてきたのだという。直近は1946年の昭和南海地震、80年前だ。この周辺の浜は ”生まれたての大地”。『海と陸が出会い、新しい大地が誕生する最前線』、それが室戸ジオパークを貫く全体テーマなのである。

 

   海と陸の境目。

それはまさに「辺地へち」ではないだろうか。

日本では仏教伝来以前から山伏や行者が海岸沿いや僻地を巡り歩く「辺地修行」が行われていたそうで、四国遍路の起源も「四国辺地」にあるのだろうとされている。「辺地(へち)」とは陸の「縁(ふち)」、すなわち海岸線を意味した言葉だそうだが、単にそういった場所のことを表していた「辺地(へち)」が、次第にそれらを繋ぐルートができて「辺路(へち/へじ)」となり、そこを歩く人々を「遍路」と呼ぶようになったというのだ。最初は修行僧だけが歩けるような険しい行場の連続だったが、時代が下って庶民も四国巡りをするようになり、より安全な内陸寄りの道になっていったのだろうという。「海と陸が出会う場所」室戸は、四国遍路が本来海と陸の境目である「辺地」をゆく厳しい修行の道であったことを今なお感じさせる場所なのだ。

海ぎわの道
「辺地」のみち
波の砕ける岩浜辺
海と陸が、出会う場所

余談だがこの説を知って、ひとつ疑問が解けた。熊野古道の三大ルート「おお辺路へちなか辺路へち辺路へち」は何でこんな読み方をするのだろうと昔から思っていたが、これも起源は同じ、元々は山伏や聖たちが駆け巡る修験の道だったからなのだ。スッキリ。
 

【第24番札所・最御崎寺(ほつみさきじ)】本尊:虚空蔵菩薩

13:30、遊歩道から三たび国道に戻った。乱礁遊歩道はこのまま岬の先端まで歩いていけるようになっているが、そこまで行ったら最御崎寺への登り口を通り過ぎてしまう。国道に上がると目の前に公衆トイレのある駐車場があり、そのすぐ先にお久しぶりのへんろ札が現れた。さあ、ラストスパートだ!

国道への出口
国道に戻る。トイレ(↑屋根が見えている)のある駐車場が遍路道への目印
最御崎寺への登り口
最御崎寺への登り口(↗︎)

分岐を入って少し登ると、一帯が芝生に覆われた広場に出る。一瞬どん詰まりに見えるが、遍路道は右手にある忠霊塔の奥からちゃんと続いている。その反対側、広場の左手にも何か祀られているような洞窟があったので寄ってみると、「一夜建立いちやこんりゅうの岩屋」と題された説明書きがあった。如意輪観音を祀るこの岩屋は空海が一夜にして掘り建てたと伝えられており、現在は最御崎寺の奥の院となっている。奥の院のほうが行きやすいという珍しいパターンだが、最御崎寺が女人禁制とされていた明治の初年まではここに女性用の納経所があり、女性が本堂に行くことはなかったのだそうだ。

岩屋へと一歩踏み込むと急に薄暗くなり、空気もひんやりとしたような気がして、先ほどの御厨人窟に少し似た雰囲気を感じる。鬱蒼とした木立の下ずらりと観音さまが並んでいる様子は壮観だ。以前はこの最奥に空海が唐から持ち帰ったとされる大理石の如意輪観音半跏像が安置されていたそうだが、現在そちらは最御崎寺の宝物館に保管されており、年一回のご開帳でしか見ることができないとのことだ。検索してみると、精悍な顔立ちにちょっと憂いを浮かべた表情の優美な仏さまだった。藤原時代の作とされており、石像としては高知県で唯一の重要文化財となっているそうだ。大理石の仏さまって、確かにすごく珍しいような気がする。

最御崎寺奥の院、「一夜建立の岩屋」
最御崎寺奥の院、「一夜建立の岩屋」
観音さまの回廊
観音さまの回廊
岩屋から海の方を望む
ここにも「空と海」が

岩屋を出て、忠霊塔の奥から遍路道に入る。入口が分かりにくくてちょっとウロウロしてしまったが、コンクリートの塀と木立に囲まれた薄暗がりがそれだった。脇にはビロウっぽい木が生えており、足元はクワズイモの群生で、そこはかとなく南国っぽい雰囲気がする森だ。奥へと進んでいくとほどなく塀は途切れ、濡れた落ち葉に覆われて、既視感を感じる先の見えない階段が現れた。

遍路道の入口
忠霊塔の左奥に遍路道が続いている。なんか暗い…
奥まで続く階段
無限階段きた!

 

っしゃあー!!峠道きたアァーーーー!!

 

ついにアスファルトから解放され、緑に包まれた階段を嬉々として登る。23番薬王寺から24番最御崎寺までの約75kmはほぼ舗装路、特に古目峠を越えて高知に入ってからの40kmは延々と平坦な国道沿いだったので、さすがに飽きがきていた。最御崎寺の標高は165m、いい加減脚がなまったところで最後に一気に登らせるという鬼畜設計だが、やっぱり自然に囲まれた山道は楽しさが段違いだ。もちろん汗だくで息も上がるが、全く苦には感じない。途中まではコンクリートの階段だったがそれもいつしか石段へと変わり、古道の雰囲気に気分も高まる。

途中に「捻岩ねじりいわ」という大きな岩があった。修行中の空海を心配して母親の玉依たまより御前が訪ねてきたのだが、先述のとおり最御崎寺は女人禁制の寺。男装も神仏には通じず、山に入った途端に暴風雨が巻き起こる。そこで空海は大きな岩を捻って母をその下に避難させ、更に念仏を唱えて異変を鎮めたという。18番の恩山寺の時も似たようなエピソードがあったが、お母ちゃん、女人禁制のお寺に息子を訪ねて来がち。そして息子、母ちゃんのためなら禁を曲げがち(笑)。

中腹に出てきた休憩所は椅子なし&眺望なしで、チラ見だけしてスルー。山の上の展望所あるあるで、おそらく造られた当初は海が見下ろせたと思われるが、木が育ちすぎてしまったのだろう。 

空海の捻岩
空海の捻岩
途中にあった展望所
展望のない展望所

14:00、最御崎寺の山門に到着。30分にも満たない峠道だったが、久しぶりだしこれくらいがいい塩梅だ。海岸段丘の頂上にあるため、境内自体は平らでそれほど段差がなさそうなのはありがたい。ちょうどツアーお遍路さんたちが着いたばかりのようで本堂がごった返していたので、納経所のベンチに腰を下ろして汗だくを収めながら人の波が引くのを待った。

遣唐使から戻った翌年の807年、空海は嵯峨天皇の勅願によりこの地に最御崎寺を開いた。このあたりでは古来から海に向かって火を焚いて神仏に捧げる風習があったそうで、「ほつみさき」は「つ岬」からきているそうだ。歴代天皇や武将の信仰篤く、往時は七堂伽藍を備える巨刹として隆盛を誇ったという。正式名は「室戸山 明星院 最御崎寺」といい、ご本尊はもちろん「虚空蔵菩薩」だ。実は虚空蔵菩薩を本尊とする札所は八十八箇所のうちたった三箇所しかない。12番焼山寺、21番太龍寺、そしてここ、24番最御崎寺だ。明けの明星の化身であるというこの菩薩さまを本尊とする札所は、やはり四国の東南に集中しているのである。

緑深い山道と石階段
後半は昔ながらの石段が続く
第24番札所・最御崎寺の山門
第24番札所・最御崎寺 山門(仁王門)

10分ほどで人がはけたので、お参りを開始。さっきの喧騒はなんだったのかというくらい一気に人がいなくなって、それはそれで読経の声が響いて変に緊張してしまった。鯖大師と東洋大師にお参りしているので空白は1日だけのはずなのに、既にちょっと下手になったような気がする。本堂を近くで見ると木造の彫刻がかなり傷んだ感じで、「台風銀座」室戸で長年風雨に耐えてきたのだろうことが偲ばれた。丘の上にあるから波にやられることはないが、潮の影響は避けられないのだろう。

本堂の周辺にはクワズイモが群生している。修行中、空腹に耐えかねた空海は川で芋を洗っていた老婆にひとつそれをもらえないかと頼んだが、老婆はこれを惜しんで「これは食えない芋だ」と嘘をついた。すると本当にその日から煮ても焼いても食べられなくなってしまったのだという。塩鯖を断ると馬がお腹を壊してしまったし、お大師さまとはいえ食べ物の恨みは深いのである(もっとずっと先の話になるが、84番屋島寺への道中で「食わずの梨」というエピソードも出てくる。全く同じパターン)。

最御崎寺境内
境内(正面が本堂)
本堂
本堂。柱も彫刻も年季が入っている

納経を終えて境内を散策していると、大師堂のそばに一畑いちばた薬師のお堂を見つけた。一畑薬師は島根県出雲市にあり、「目のお薬師さま」として有名だ。10年くらい前にお参りしてお守りをいただいたことがあり、大きく「め」と書かれた丸い絵馬がずらっとかかっていたのが印象的だったのですぐ思い出した。さっき奥の院(一夜建立の岩屋)にも一畑薬師が刻まれた石板があったのだが、何か強い繋がりがあるのだろうか。

最御崎寺には「空海の七不思議」と呼ばれる伝説があり、「クワズイモ、鐘石、一夜建立の岩屋、捻岩、明星岩、行水池、目洗いの池」がそれにあたるそうだ。境内で見られる七不思議としてはクワズイモのほかに「鐘石かねいし」があり、この岩を小石で叩くとキーンと金属のような音が鳴り響き、冥土にいる家族や知人に届くと言われている。山門から手水舎に行くまでの結構分かりやすい場所にあったようなのだが、華麗に見逃してしまった。山門到着とともにその奥にある納経所のベンチが先に目に入り、荷物を早く下ろしたい一心で岩の前を通り過ぎてしまったのだ。水琴窟みたいな澄んだ音が聞けたらしいのだが…残念。

多宝塔と虚空蔵菩薩像
多宝塔と虚空蔵菩薩像
境内の一畑薬師
境内の一畑薬師
「一夜建立の岩屋」の一畑薬師
「一夜建立の岩屋」の一畑薬師

納経所の横に自販機があったので、出発する前にカフェオレ休憩をとった。例によって境内の様子をぼーっと眺めながらベンチに座っていると、若いお坊さんとカメラマンがやってきて、なにやら本格的な機材を使っての撮影が始まる。田舎者でロケシーンなどめったに出会わないため、しばらく釘付けになって見てしまった。

先ほど納経所の方に「こんにちは、薬師寺です」とご挨拶されていたので「薬師寺かあ、昨日のおじちゃんがちょうどお話してたなあ。これもご縁なのかしら」と思っていたのだが、あとで「薬師寺 youtube」で検索してみると「歌う僧侶・薬師寺 寛邦」さんがヒットした。苗字だったのか。今治市にある臨済宗海禅寺の副住職さんで、「般若心経MUSIC」をはじめとする仏教×音楽の映像作品を制作・発信、なんと海外ツアーもされているそうだ。平等寺の時にも思ったが、お坊さんってやっぱり時代の先端いってるよね。

鐘撞堂の左を抜けて、次の札所へ
鐘撞堂の左を抜けて、次の札所へ
一言お願い地蔵
かわいいお地蔵さまがいた

15:00、最御崎寺を出発した。ここから今日のお宿までは2kmほど、時間に余裕があるのでついでに灯台を見ていこう。室戸岬灯台は日本で5基しかない第1等灯台(レンズ直径2.6m)、1899年(明治32年)に初点灯された美しい白亜の灯台で、その歴史的価値からAランクの保存灯台にも指定されているそうだ。実効光度160万カンデラ・光達距離26.5海里(約49km)は日本一。日本で最も明るい灯台である。カンデラってなんぞや?だが、蝋燭1本分の明るさを1カンデラ(1キャンドル)と思えばいいらしい。蝋燭160万本分。凄すぎて、やっぱり分からん。

灯台なら一番海に近いところ、岬の突端にあるだろう、ということで、いざ岬へ。鐘撞堂の脇を抜け、泊まれなかった宿坊の前を通り、駐車場への階段を下りていく。その先には晴れてきて青みを増した海が見えていた。わー、絶景だ!

駐車場の先に海が見えてきた
海が見える予感
一気に眺望が開ける
一気に景色が開ける

海岸段丘のてっぺんにある最御崎寺から海沿いの国道55号線まで一気に下りていくこの道は、室戸スカイライン。行きの深い森に包まれた石階段の道とは180度真逆、思いっきり目の前に開けた海を見ながら下っていく絶景ロードだ。明確な歩道と言うべきものがないので、同じく絶景を見ながら気持ちよく飛ばしているドライバーさんはびっくりだろうが、お遍路はみんなここを下りていくのだ笑。

晴れていたらもっと爽快だっただろうが、それでもぬるい海風に吹かれつつ、空と海の境に地球の丸さを感じながら、わーい、とウキウキで下りた。空と海が出会い、海と陸が出会う。室戸はどこまでも壮大だ。右手には室戸市の中心部、室津の町並みが見渡せた。明日はあそこを次の札所へ向かって歩いているはずだ。スカイラインはヘアピンカーブを繰り返し、徐々に高度を下げていく。

室戸スカイラインからの眺望
まさに、「空海」
25番・津照寺方面を見下ろす
25番・津照寺方面を見下ろす

15:45、スカイラインは国道と合流。海岸線まで下りてきた。さて、岬=灯台に行くぞ!もうすぐ近くだろう、と思って場所を検索してみて驚愕する。

「室戸岬灯台まで1.8km、30分」

 

さ、30分!?なんで??

驚きつつよくよくマップを見てみると、灯台はさっき意気揚々と下りてきたスカイラインの上、山のてっぺんにあるのだった。岬の先っちょではなかったのだ。な、なんだと…

さすがにこの距離を(というか登りを)戻る気にはならず、灯台を見るのは諦めることにした。無念…

スカイライン出口
スカイライン出口
スカイラインを見上げる
あの上から順調に下りてきてしまった…

しかし後から写真を見返すと、駐車場のところでこれだけ「灯台は最御崎寺方面にある」と書かれている看板を撮っているのに気がつかないなんて、どんだけ内容を見ていなかったのかという話である。思い込みとは恐ろしい。暑さで頭も朦朧としていたのかもしれない。(もっと言えば、最初の遍路道の登り口も「室戸岬灯台」と書かれた看板が一番大きかった。へんろ札しか見てなかったわ…)

こんな間違いをやらかす人は他にはいないような気もするが、一応言っておこう。
「室戸岬灯台は、”室戸岬”にはないよ!最御崎寺の近く、山の上だよ!山を下りる前に見ていってね!」

 

それにしても、舎心ヶ嶽しかり、どうも「虚空蔵求聞時法」に絡む札所でウッカリ大物を見過ごすというのがパターンになっている気がする。記憶にまつわる場所で大ボケをかますというのは何かの暗示だろうか。気を引き締めないと。

駐車場にあった地図
うん、分かりやすい地図だ
行き先案内標識
思いっきり「岬方面ではない」ことが書かれていた
灯台の案内板
400mかあ、すぐだったね…

ええい、ここまできたら本当に岬の端の端まで行ってやろうということで、いったんお宿と逆方向、南へ向かう遊歩道へと突入する。ここで見られる岩は先ほど見たビシャゴ岩やエボシ岩などの斑糲岩(火山岩)ではなく、砂岩と泥岩が交互に積み重なってできた堆積岩なのだそうだ。タービダイトと呼ぶらしい。海底に土砂が溜まる時、重たい砂が先に沈み、その上から泥が積もって、しましまの層ができる。それがフィリピン海プレートの運動によって陸側に押し付けられ、折りたたまれたり、時にはポッキリ折れたりして、このように縦になった状態で隆起してきたのだという。

岬への遊歩道入口
遊歩道へ。奥に見えるのは中岡慎太郎像
しましまの地層(タービダイト)
しましまの地層

遊歩道をさらに進むと「灌頂ヶ浜かんじょうがはま」との案内があり、浜辺に近づけそうだったので波打ち際まで行ってみた。GPSで確認すると、岩場渡りなどをせずに室戸岬のギリギリ端っこまで行けそうなのがこのあたりっぽかったので、これで「岬」に立ったということで灯台をミスってしまったショックを鎮める。(実はここで山の方を振り返ると下から灯台が見えたらしいのだが、なぜかこの時はその発想が全くなかった。Oh…)

空海はこの浜で「灌頂の儀式」を行ったと言われている。「灌頂」とは、頭頂に香水こうずい(仏さまに捧げる水)を垂らして諸仏と縁を結び、その教えの正当な継承者と認められるための密教で最も重要な儀式なのだそうだ。もともとは古代インドにおいて、王の即位や立太子にあたり四大海の水を集めてその頂きに灌ぎ、四海(天下)を治める位を継承した儀式に由来しているという。空海が万感の思いで見たはずの光景を眺めながら、いま一番頭の中を占めているのはスマホのストレージのことだった。   動画、消さなくっちゃ。…残念ながら、悟りは一生開けそうにない。

灌頂ヶ浜
灌頂ヶ浜
灌頂ヶ浜の波打ち際
若き空海もこの波を見たはず…

その後も「子授けの岩」や「牛角岩」などの特徴的な岩を見物しつつ、南国の植物にみっちり囲まれた狭い通路を進んでいくと、ふいに広場のようなところに出た。ベンチの上に覆い被さるように枝を伸ばしているのは、亜熱帯性植物群の代表格・アコウの巨木だ。近づいてみると真っ赤な芽が枝のあちこちから出ていて、蕾なのかと思ったら葉っぱの新芽だそうだ。アコウの葉は総入れ替え方式で、新芽が出る前にいったん全部の葉を落とす。新しい葉は芽が出てからわずか1〜2週間で開ききってしまうそうで、この状態のアコウを見られたのは貴重かもしれない。しかしこれだけの量の葉っぱを一気に付け替えるとは、すごい生命力だ。

アコウの木
迫りくるアコウの木
アコウの根っこ
絡みつく根っこ
アコウの新芽
新芽がいっぱい

アコウの木の向こうに国道へ上がる階段が見えたので、そこで遊歩道を出た。国道沿いには、展望台、泊まれなかった室戸荘、公衆トイレとバス停、閉まっているカフェ、閉まっている観光案内所、中岡慎太郎の像、風見鯨のモニュメント。これが室戸岬の全てである。ロッジおざきの女将さんの言うとおりだった。唯一営業していたのが「ジオカフェ」というカフェだったのだが、ここはひと月ほど前、2025年3月20日にジオパークセンター内から移転オープンしたのだそうだ。

中岡慎太郎は言わずと知れた土佐勤王党の志士、坂本龍馬と並ぶ薩長連合の立役者だ。討幕開国による新しい国づくりを志して奔走していたが、京都近江屋で龍馬と会談している時に刺客に襲われ、わずか30歳でその生涯を閉じることとなった。室戸市に隣接する北川村の生まれで、地元安芸郡の青年団がこの地への銅像建立運動を行い、1935年(昭和10年)に除幕。制作者は桂浜にある坂本龍馬像と同じ、本山白雲だ。慎太郎の像と龍馬像はお互いに向かい合っているという説があるようだが、実際はどちらもしっかりと太平洋(南)を見つめているので、都市伝説のようである。

中岡慎太郎像
中岡慎太郎像
風見鯨
風見鯨
室戸岬バス停付近の様子
室戸岬のすべて

国道を北上してさっき下りてきた室戸スカイラインの分岐を通り越し、海沿いの堤防を辿ってお宿へ向かう。薬王寺から4日間ずっと東の海を見て歩いてきたのが、岬を越えると一転して西の海だ。まだ雲は残っていたが、その隙間から見える空はうっすら淡いピンク色に染まっていた。
  

本日のお宿に到着!

16:45、今日のお宿「うまめの木」さんに到着。室戸岬にはお宿が少ないので、最御崎寺の宿坊がアウトだったうえに鉄板の「室戸荘」さんが取れなかったときは絶望したが、こちらに空きがあってよかった。ご飯がおいしいと評判のお宿で、しかも3室しかないのでもともと諦め気味だったのだが、トライしてみるものである。玄関を入ると昭和の上品なご家庭にお邪魔した時のような雰囲気でどこか懐かしく、レースや絨毯も小花柄で統一されていてかわいい。受付を終えると、お水のペットボトルを1本くださった。とても助かる。

本日のお宿「うまめの木」
本日のお宿「うまめの木」さん
東の間
おばあちゃんの家みたいな安心感

案内してもらったのは「東の間」。お風呂はおひとりごとに準備するのでちょっとお時間くださいね、と言ってご主人がお湯を張りにいってくれたのだが、ほんの15分ほどでお声がかかった。お風呂まわりもレースやお花柄がかわいい。洗濯はお接待、カゴに入れて女将さんに預け、乾燥はないので部屋に干す方式とのことだ。

夕ごはんは19時からとのことだったので、洗濯を頼んだあとは部屋でゆっくり…、いやいや、予約を進めておかなければ。岩本寺から約23kmと距離のよかったお宿に電話をしてみて、無事に予約が取れた(5/5、「民宿ニュー白浜」)。電話口で喜んでいると、女将さんははにかんだ風で「普段は月曜日は休みなんだけど、祝日だから開けてみようかなって」と仰って、その様子がなんだかとっても可愛らしく感じた。

やれやれ、ここ数日ずっと頭を悩ませてきた連休のお宿問題だったが、ようやく解決しそうでひと安心だ。緊張感MAXの電話アタックからもしばらく解放される。まだ最終日の5/6(火曜・振替休日)が残っているが、これは勝算があるので明日にしよう。ほっとして窓の外に目をやると、木立の向こうに夕焼け空が見えた。時刻は18:30、ちょうど日の入りだ。今日からしばらくは西海岸、お宿のすぐ目の前は海。せっかくだからちょっと見に行ってみよう。

室戸の夕暮れ
室戸の夕暮れ
夕ごはん
夕ごはんはお魚づくし

19:00、夕ごはん。おかずは黒マグロの子供の刺身、まんぼうの煮付け、メイチ鯛の兜汁など珍しいお魚づくしで、まるで料亭のようだ。今日は北九州から来ているおじちゃんとふたりである。おじちゃんは奥様が以前歩き遍路ツアーに参加したことがあり、その日程と同じように計画したら歩けすぎてしまって逆にお宿に戻ったりしないといけなくなってしまったそうだ。それで調子に乗って薬王寺から室戸岬へ2日で行こうとしたらさすがに無理があり、今日はジオパークセンターで時間切れになってそこからバスに乗ってきたとのことだった。おじちゃんも連休中はいったん家に帰る予定とのこと、3人立て続けに同じパターンだったので、やっぱり連休は避ける派が多いのかな。

部屋に戻り、例によって写真データをUPしながら荷物整理をしていて、靴下のひとつに穴が開いているのを発見。歩いている時に親指〜中指の付け根あたりに体重が偏っているのか、いつもそこから穴が開いてしまうのだ。マメ予防と5本指ソックス温存のため、5本指ソックスに薄手の靴下を重ね履きしているのだが、案の定その外側のほうがやられてしまった。スペインの時はすぐに替えを入手できないので(小売りが主なのでスポーツ用品店を探さなければならない)さらに保護テープや絆創膏でガードしていたのだが、幸いここは日本。DAISOかしまむらを見つけたら買い足そう。

この日、ついに風邪薬を飲んだ。波があるが、喉の炎症からきた熱っぽさが酷くなっていて痛み止めでは埒があかない感じである。それに伴走するように痛みの波状攻撃をしかけてくる奥歯のほうも気になるが…。色々懸案事項はありつつも、いつものように今日の復習(実際に歩いたところを忘れないうちに色塗り)や明日の予習などをして、22時ごろ就寝。

 

後日談…

約1ヶ月後、youtubeに最御崎寺の動画が上がっていた。始まりは「鐘石」だ。あの日の鐘石の音。この時同じ境内にいたと思うと、まるで一緒の空気を吸っているような気持ちになる。灯台も見ることができた(笑)。

 

 

 

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